サラ文・展望台(2003年12月)

 今年も残す所1ヶ月となった。
 寒かった夏のせいか、秋を感じないまま12月を迎えてしまった気がする。四季の移ろいがよくわからなくなり、地球は少し病んできているのではないかと感じた。
 9月末から10月半ばにかけて西域南道シルクロードの旅に出かけ、タクラマカン砂漠を歩いたのだが、乾燥・灼熱の代名詞でもある砂漠に雨が降り、冷たい風・涼しい風が吹いていた。畑には青々とした作物があり、日本の東北地方を旅している錯覚に陥るほどだった。
近いうちに砂漠は農業地帯となり、都市が砂漠になってしまうのではないか、というのもあながち夢想と言えないかもしれない。
 部屋の片付けをしていて「北越雪譜」が目に付き、久々に開いてみた。
越後魚沼郡塩沢出身の鈴木牧之が約40年の歳月を費やし天保8年(1837年)68歳の時に初版が発行されたこの本は、雪国での生活の厳しさ、美しさなどを丹念に記しているが、その冒頭に下記の文章があった。
 『およそ天より形を為して下す物・雨・雪・霰・霙・雹なり。露は地気の粒珠する所、霜は地気の凝結する所、冷気の強弱によりて其の形を異にするのみ。・・・・・水は地の全体なれば元の地に帰るなり。・・・・・地温なるを得て気を吐き、天に向て上騰る事人の気息のごとく、昼夜片時も絶る事なし。天も又気を吐きて地に下す。是天地の呼吸なり。・・・・・天地呼吸して万物を生育也。天地の呼吸常を失う時は、暑寒時に応ぜず、大風大雨其の余さまざまの天変あるは天地の病める也。』(野島出版発行「北越雪譜」より引用、読み方により記載)
 やっぱり地球は病んでいる?今から200年後に地球はどうなっているのだろう。牧之の時代から現在までよりも大きな変貌を遂げているに違いないが、都市が砂漠と化してしまわないことを祈ろう。
「地球環境保護のために資源の無駄使いを止めよう」とちょっと良心に痛みを感じながら発言している私だが、資源のリサイクルのために12月20日の「サラ文フリーマーケット」に出店しようと思っている。
全然地球規模の貢献にはならない?・・・中島 邦子

nakajima


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