サラ文・展望台(2016年11月)

「道徳なき経済は犯罪である。経済なき道徳は寝言である。」は幕末の実践的思想家、二宮金次郎の言葉だ。
  水と油のように言われがちな「道徳」と「経済」だが重要な共通項がある。ともに公権力がそれらに不必要な介入をすれば待ち受けるのは歪みだけである。愛国心を強要するような「道徳」であれば忌まわしい全体主義を招来する。渋沢栄一も「論語と算盤」で同じようなことを言っている。
  日本の社会はどんどん成熟している。これからは「GDP」をはじめ経済指標の世界ランキングでいかに品よく下げるか。住みやすい文化など、順位をどのように上げて行くかが問われる。日銀が追加緩和に踏み切り、景気の先行に不透明感が漂う。外国ばかりにとらわれている場合でもあるまい。栄養補給に「骨太」にと言う都合のいい「方針」、兵站を考えずに戦った旧日本軍のような。さぞや連戦連勝だろう。
 所得制限などで、受益者を限定してしまえば、ある所得以上の階層は単に負担者になる。バラマキと分配は違う。
 法人税減税を進めながら、内部留保に課税するのはブレーキとアクセルを同時に踏むようなもの。
 株主から業績を問われる時代。経営者はますます短期志向となる。遠慮がなければ近憂あり。日本人の本質は戦前と変わらない(伴藤一利)。
 催眠術にかからなければいいが懸念する。日本人は冷静に考えないまま同じ方向に走るのが特徴、戦争に負けても同じだ。抗議のうねりが政策を変えられない現状。
ああ、やんなっちゃた、驚いてなんか居られない。


加藤 三郎