サラ文・展望台(2017年2月)

<展望台>に替えて<サラ文通信次号(3月)で終了にさいして>
●サラ文は遂に3月で解散となります。戦国大名家で、無名の家に英雄が現れて、その英雄が死亡後程なく亡んだ家もあれば、死亡後も栄えた家もある。前者の英雄の例では、豊臣秀吉、加藤清正などが挙げられる。西洋では、西ローマ帝国を滅ぼした(諸説ある)とされるオドアケルか。後者の英雄の例では、黒田孝高(官兵衛)が挙げられる。サラ文は、完全に無から立ち上がり、25年も続いたものの後が続かず解散する。天下を取った程ではないので、加藤清正タイプか。
●後が続かないのは、若い世代に入会がなく、壮老入会者の高齢化によるものである。所謂「失われた10年」でサラリーマンの趣味活動が下火になったこともあったが、発足当時に比べると、IT化による若い世代の変化を感じる。趣味も多様化してきたが、取分けパソコン・ゲーム機が蔓延し、若い世代が熱中するようになってきた。ITを通じた繋がりが若い世代の軸になってきた。また、人と交わることを億劫がって一人で自分の世界に埋没したがる人たちと、逆に大集団となって大騒ぎする人たちに2分極化してきたように感じる。
●高齢化で定年者が増えた点ではサラ文に有利になったが、若い世代は呼込めなかった。サラ文にはIT化に強い人がいなかった。パソコンやゲーム機を前提とした行事・活動を企画し、ホームページやブログ・ツイッター等の理に適った活用をして若い世代にアピールできなかったものかと思うが、何せ私にはその面の能力が無く、サラ文の実力の限界だったと思う。
●趣味を軸に多様な人たちと付合うことは、いつの時代にも大切なことと確信します。定年で時間が自由になった時「自分の人生で本当は何をしたかったのか」を考え、その実現に尽力することは「悔いのない人生」に不可欠と確信しています。IT化とは言えませんが、連絡網だけは確保し、古文書やマラソンなど、個人レベルのミニ・サラ文活動は続けます。私にサラ文の理念は生き続きます。

     


東山道之