ヨーロッパ横断紀行

ランナーの巡礼歩き〜クラクフからジブラルタルまで6700km〜  太田 宏

04・・その1−ポーランド3(グダンスク出発からドイツ・バンシン到着まで 6/11-6/18

27. 6/12() Gdańsk(グダンスク)からSopot(ソポ)まで】

28. 6/13() Sopot(ソポ)からGdynia(グディニア)まで】

29. 6/14()  Koszalin(コシャリン)からMielenko(ミエレンコ)まで】

30. 6/15() Mielenko(ミエレンコ)から Kołowdzeg(コウォブジェグ)まで】

31. 6/16() Kołowdzeg(コウォブジェグ)からRewal(レバル)まで】

32. 6/17(水) Rewal(レバル)からDźiwnów(ジブヌフ)まで】

33. 6/18() Dźiwnów(ジブヌフ)からフェリー→Świnoujście(シフィノウイシチェ)経由ドイツBansin(バンシン)まで】

 

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Gdańsk(グダンスク)→Sopot(ソポ)→Gdynia(グディニア)

Gdańsk(グダンスク)Sopot(ソポ or ソポト)Gdynia(グディニア)の3都市は”Trójmiasto(トロイミアスト:三つ子の町)"と呼ばれている。

27. 6/12() Gdańsk(グダンスク)からSopot(ソポ)まで

Gdańsk(グダンスク)→Sopot(ソポ)→Gdynia(グディニア) map

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高々30kmしかない。

これを12日で歩く。相当の余裕である。

 

グダンクスの市街を9:30というかなり遅い時間に抜けていく。中央駅は強大なモニュメントのような建物である。

 

Oliwa教会(オリーヴァ 主教会Archikatedra Oliwska)

パイプオルガンの演奏が13:00から始まるというのでミサに参列した。Sopo(ソポ)へ行く途中に寄り道。そこに行く大通りで女性に抱きつかれしまった。facebookに小生の事が載っているという。それを見た女性なのであろうか。「貴男なのね。歩いている人って。」と。バナナを一本頂戴した。

Oliwa-Katedra(オリーヴァ 主教会)のパイプオルガン

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(fri) 12 Jun 12:30
定時刻に30分くらい演奏してくれる。無料。

三つ子の都市 2つめ Sopot(ソポ)にて

ここは逗子マリンと軽井沢を足したような驚愕の町である。不夜城のように若者がオールナイトで闊歩する。ヨーロッパ一の1kmにも及ぶ桟橋が名物。

 

ソポのHostelで失敗をしてしまった。その直前に買った安いイチゴがいけないのである。真っ赤なイチゴは着色でもしてあったのか、手まで真っ赤となってしまった。それを頬張りながら、Hostelを探したのである。小さな庭があり4階建てのロココ風のしゃれた建物があった。左側が美容院。右側がHostel

真ん中に玄関があり、上の階に行く玄関となっている。左右の店は螺旋階段がありそこを登っていく造りである。このHostelに限ってドアが開かない。イチゴに気を取られ過ぎていたのか、力を余り出さないかったものだから真ん中の扉は固くて開かなかったのである。

netで調べてみるとチェックインは15:00となっている。これが原因でだれも応えないのかと思ったのだ。別の入口を当たってみたがこれも固く閉じられている。つぶれてしまったhostelなのか?

15:00までの時間で桟橋を見学したりやることは多い。この機会に理髪してしまおうと考えた。日本にいるときから前回理髪から3ケ月目のこの日はSopotBarbarを利用する積もりでいたのだ。 Rashiku czyste lato(夏らしく、短く)とタブレットに喋らせてヘアカットが始まった。Befor Afterと言って鏡にうつる姿を写真に撮る。店内が大笑いである。

Before & After

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5cm
もカット。あぁ神よ!

 

普段は3cmほどcutであるがポーランド人にはスキンヘッドも多いので強めの5cmcutにしてもらった。出来上がりはやけに短くなり変装したのかと言われるほどの驚きの姿となってしまった。

終わってから再びHostelを訪問。リュックは螺旋階段の下に隠れるように置かせてもらっている。まだ閉まっている。ドアノブは回るが、ドアのベニアは釘で打ち付けてある。このベニア板を剥しにかかった。ひょっとしてオーナーが夜逃げでもしたのではないかと。再度netで調べると、Hostelの評価が「good」などが出ている。ということはまだこのHostelは潰れていないようである。明日インタビューを予定している女性に「私、今ホームレスです。かくかくしかじか・・・」とメールしているときに中央の玄関から一人の女性が出てきた。

タバコを吸いに出たのである。螺旋階段に置いてあった空き缶は灰皿であった。聞くとHostelの受付嬢である。中央の玄関は最初から開いているという。「Hostelはグランドフロアなので、そのまま真っ直ぐ進めばHostelの受付よ。」と涼しい顔で言うではないか!最初から開いていたとは。真っ赤なイチゴがいけないのである。

後で分かったことは全てこちらの早合点であったことだ。一度は扉に張り付いていたベニヤ板を剥がそうとしたのも間違いであった。そこは以前入口であったものをレイアウトを変えたために使わなくなっただけであると。ベニヤ板を引きはがしていたら住居侵入で逮捕されていたかも知れない。別の入口が閉まっていたわけではなく少し固かっただけで押せば開いたということを。

 

 

ついにバルト海!

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砂浜にはもう人々が。
待ちきれない夏をエンジョイ。

 

ul.Bohaterów Monte Cassinoの通りの延長線上に桟橋があった。歪んだ家も建ち 観光スポットである。朝の早朝runで再び桟橋へ。そこで徹夜をしたのであろうか20歳の青年たち5人が語りかけてきた。彼らはポーランド北東部のSuwałki(スバウキ)から車でやってきたのだと言う。そこは湖が大きい魚のfishingのメッカであるという。釣った魚を見せてくれた。深さ108mの湖もあるという。

 

ソポの桟橋の入場料は一回7.5zł(300)1日券かと思ったが5secで出てきてもそれは二度と使えないと言う。深夜〜早朝は5zł(200)と安い。このためいつも監視員が居る。完全無料化をすべきとは思うが。

この桟橋合計3回も出入してしまった。徹夜をしたであろう若者(ポーランド北東部のSuwałki(スバウキ)から車でやってきた5人グループ)と朝 この桟橋で会っている。

 

Sopot(ソポ)の沿岸(夕刻)

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(fri) 12 Jun 19:00

 

Sopot(ソポ)の桟橋

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(fri) 12 Jun 18:42

海上500mの直線(L字)の桟橋。

桟橋の両端に100隻以上のヨットが停泊できる。

 

翌日の朝

Sopot(ソポ)の桟橋から朝日を拝む

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(sat) 13 Jun 4:38

 

 

Sopot(ソポ)の沿岸(早朝)

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(sat) 13 Jun 4:59

 

 

28. 6/13() Sopot(ソポ)からGdynia(グディニア)まで】

三つ子の都市 3つ目 Gdyniaグドゥニアにて

Sopoから幹線では10kmしか離れていないため到着は11:00。ここは早すぎて玄関のベルを鳴らしても応答なし。

netで調べて電話すると出てきた。14:00からというが12:00 にここで人と会う約束をしているためシャワーだけでも使いたい旨伝えると「問題ない」と玄関まで迎えに来た。集合住宅になっているためシステムテムが複雑である。7#1234などの番号を押して玄関ドアを開けよ と。この#の部分が鍵マーク。一体何の合図なのか? Hostelの部屋に入った後、タブレットを一階のランドリーに忘れたのかと思い飛び出した。裸足で不用意に外に出てしまったものだから後がたいへん。

1234を押しても応答なし。7を押してから1234を押したりと。うんともすんともいわず。時間は迫ってくる。悪戦苦闘していると下の階のご婦人が外出する機会を偶然得た。ここでご婦人がやり方を教えてくれた。カギのマークも特別のキーがあるのでそれを押さなければならなかったのだ。hostelの人はそんな事教えてくれなかったが常識なのであろう。タブレットは実は部屋に置いてあったのであるがその上に荷物を置いたものだから気が付かなかったのである。な、なんとしたことか。20分ほど時間をロスしてしまった。早くしないと、ガイドの女性がこのHostelを尋ねてやってくるのだ。シャワーはすでに女性が使い終わって空いていると言う。さっそくシャワーと洗濯を同時に済ませ、部屋で干し物をしているときにくだんの女性が室内に入ってきた。なんと。こちらはまだ裸のままである。Hostel受けの女性が気をまわし過ぎて、その女性を小生の部屋まで案内してきたのである。2人部屋でまだ一方は空いている。赤恥をかきながら着替えをして外に出る。

Muzeum Miasta Gdyniという博物館の屋上でインタビューを受けることになっている。洒落た計らいではないか。ガイド、メディア、インフォメーションの3人の女性に囲まれて主にメディアの質問を受ける感じでmeetingが続いた。矢張り多いのが巡礼の国として何故ポーランドを選んだのかという質問である。シェンゲン規定から32kmx80日で2500kmを得ることと、パリから逆算するとポーランド・クラクフを起点とし、ヴィスワ川沿いにS字を描くように旅を立案したと応えるもやはり最大の理由はまだ見ぬ国であることである。「今回の旅行で何か特別な訓練をしたのか」には毎日が明日への鍛錬になっていると応えておいた。

カンカン照りのなか、オリーブの瓶などコルクで栓をしてあったものが、ポンポンと抜けていく。

れほどの凄まじい暑さ。岸では大勢が海水浴をしている。メディア関係の女性は「Trójmiasto新聞」の報道官。もう一人は市の広報室で新都市開発の資料館に勤めている。迎えに来てくれた女性はGdynia(グディニア)の観光ガイド。そうそうたるメンバーであるが彼女たちは食事をしない。小生一人のみが飲み食いする格好でインタビューが続いた。恐縮である。彼の地ではもてなす側ともてなされる側とではこのような風に食事を共にしないというのが原則のようである。終わってからはメディアの人が帰り、2人の女性と主に港関係を散策。

 

三つ子と呼ばれるのは旧都市のことを差して言われるが、Gdynia自身は1989年に「市」としてスタートしたばかりの町である。新都市は2025の完成を目指すという。壮大な模型(これでも1/5のエリアだという)は見事なものであった。実にきれいな町であった。

日本が負けているという感じである。失礼。

 


 

Gdynia(グディニア)の新しいビル

 

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Gdynia(グディニア)

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(sat) 13 Jun 13:46


 

Gdynia(グディニア)の都市開発計画模型

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(sat) 13 Jun 14:33

白い部分が新規に建てるビル群。この模型(全体像)でも1/3であるという。

まさに新都市開発である。明るいビル群と海。

民衆を惹きつけてやまない新都市である。

 

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(sat) 13 Jun 16:04

歴史博物館や映画館の上に多層階のオフィス空間

Multikino 、Muzeum Historii Miasta Gdyn

29. 6/14()  Koszalin(コシャリン)からMielenko(ミエレンコ)まで】
ポーランド徒然

自転車と歩道

バイクをやる人に取ってポーランドは天国である。列車は勿論都市バスの全てが自転車が積み込めるように入口が低床である。乗ったままバスに乗れたりする。歩道は歩行とバイクが分離されている場合が多く色で塗り分けられている。驚きなのがバルト海(Morze Bałtyckie)沿岸地域。バイク道が延々何百kmも続いているのである。家族で任意の距離を楽しんでいる。幼少の時から近隣をツーリングするのである。国土の有効面積はほぼ100%。人口は少ない。森が多い。よってツーリングコースが無限に設けられている。コースにはフランスGRルートのマークと似ており白赤白の3本が電柱や幹に付けられている。

歩道の敷石

ずっと下を向いて歩いているせいか歩道に敷かれたブロックを仔細に眺め比較する癖がついてしまった。下記のような種類。

60x6050x5040x40、・・などの正方形のコンクリート製

10x109x9の小さな石やコンクリートブロック

20x10のレンガやブロック(矩形や波形)・・最も多い

22x16のレールの断面形でコンクリート製・・新都市や新しい歩道面は大体がこれである。
一辺が20cmの六角形・・古い町並におおい ただ凸凹していたりすり減っている場合が多い
Wを2つ重ねた波形・・駐車場へのエントリーなどに敷かれスリップ防止の効果 但し歩きづらい
面白いのが10x910x6の台形のブロック・・Sopotの町は歩道面が全部これできっちり水平面を保って敷かれているのは見事。

これらのバリエーションとして角が丸くなったものなど。

ブロックの目地は隙間なく並べる場合以外全部砂である。よって蟻の住まいとなる場合も多くその場合は、噴火型の小さな山ができ蟻達が出入りをする。

日本のように歩道がアスファルトやコンクリート製は殆ど無い。これは地中に雨がしみこむようにとの配慮ではないだろうか。

Wisła(ヴィスワ)

Queen Riverと呼ばれる大河で全長1047km

今回はこのヴィスワ川に沿って大きくS字を描くように旅をした。

上流からいくと・Oświęcim(オシフエンチム),Kraków(クラクフ) ,Warszawa(ワルシャワ),Kazuń Nowa (カズン・ノビ),,Kamion(カミオン) ,Skoki Duże(スコキ・ドゥゼ),Włocławek

(ヴウォツアベク),Toruń(トルン),Grudziądz(グルジョンズ),Kwidyn(キュジン),Tczew(トチェフ)などの都市である。

ワルシャワで川幅400m両側の堤防幅600m、トルンで川幅500m-堤防幅700m と日本のどの川よりも巨大である。Zatoka Gdańsk (グダニスク湾に注ぐときは多数の三角州上の支流に別れる。Malbork城のそばを流れる川もヴィスワ川の支流Nogat川である。


 

 

09.Gdynia(グディニア)→ポーランド国境 map

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Koszalin(コシャリン)から国境までは166km。(ドイツ側で72km。この地図には出ていない。)

 

三つ子の町の一つで最北にあるGdynia(グディニア)からドイツの学園都市Greifswald(グライスバルト)までは400kmもある。この中でもポーランドの国立公園が2つ。

一つはSłowiński Park(スウォビンスキ国立公園)、もう一つはWoliński Park(ボリンスキ国立公園)。前者はGdynia(グディニア)から北西の60kmのバルト海沿岸。後者は国境近くのMiędzyzdroje(ミエンジズドロイエ)市にあり通過する予定の公園である。今回はスウォビンスキ国立公園をパスし2時間の電車の旅とした。

Gdynia(グディニア)からKoszalin(コシャリン)まで電車で行き、残り237km7(平均34km/1)で行く計算とした。10:0812:28着。172kmをパス。

Koszalin(コシャリン)経由Szczecin(シュチェチン)行きの急行列車

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(sun) 14 Jun 10:15

 

初めての電車による長旅である。乗りこさないようにと時計を確認しながらの着席で落ち着かない。日曜日の移動であるが、コシャリンの大型スーパーが開いていて助かった。テント泊1泊分の食糧をget。夕食+朝食でかなりの重量である。寒い日がこれからづっと続くのであるが、まだそれを知らない。雨具に身を包み震えながら自転車道を海岸に向かう。サイクリングロードが整備され、親子連れやグループでツーリングを楽しむ人たちがこの雨の中でも楽しそうに自転車をこぐ。

 

 

ミラクルの連続

Mielenko(ミエレンコ)にて

コシャリンの駅からはバルト海に面する町ミエレンコまではほんの15kmに過ぎない。小雨交じりの寒い日であるにも関わらず日曜の遠出であろうか専用の自転車道にはひっきりなしに家族や仲間によるツーリングが行き交う。舗道が色分けされていて車道側がだいたい自転車道。歩道と並行に敷かれている。自転車道を不用意に歩いていると怒られたりするのはこの国はルールをきっちり守る国であることを証明している。横断歩道以外を渡る人は余り見かけないように。

 

さてミエレンコという町の2km手前にミエルノ(Mielno)という似た名前の街がある。教会は日曜日でも夕刻に礼拝をやっているようで人の出入りがある。この教会にお世話になってもよかったのであるが、明日の行程は35kmと半端ではない。先に進んでおかなければならない。Barで聞くと教会は無いという。テント泊確実である。当初から狙っていキャンプ場へ歩を進めた。campinganaという名前のキャンプ場。周囲1kmほどの広大な敷地にテント泊の人も点在。バンガローなどもありやキャンピングカーでなくても安く宿泊出来るため利用客が多いのであろう。既にテントを張って寛いでいたのはハンブルクから来たというサイクリスト。

受付でさてお金を払おうとしたら「要らない。」という。プレゼントするとも言う。何か初めての日本人らしい。日本からポストカードを送くる約束だけでシャワーも電源も自由に使えという。歩きお遍路のようなリュック姿が同情を呼んだのであろうか。


夕陽を拝みに海辺へ。21:30きっかりの日没。近くの砂浜はここばかりは低地となっていて松林から直接砂浜が見えた。夕食後21:30日没を狙って散策。バルト海沿岸の特徴は砂浜と崖。10mから100mと段差がついているのが特徴で、要塞を兼ね備えているような感じである。よって砂浜へは階段を使って降りていくというスタイル。

この海岸で、琥珀が取れる。「琥珀狩り世界選手権」が開始される。また砂浜running大会などもありリゾート地としてよく整備されている。

Mielenko(ミエレンコ)の夕日

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(sun) 14 Jun 21:30

 

 

Photo:Mielenko(ミエレンコ) 海辺のBar

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(sun) 14 Jun 18:56
雑貨(Sklep)を兼ねている。

地元の男性が多く酒を飲んでいた。すこしお喋り。

 

30. 6/15() Mielenko(ミエレンコ)から Kołowdzeg(コウォブジェグ)まで】

翌日も寒く冬のような気候。強風があり太陽がせわしなく見え隠れする。この悪天候にもかかわらず海岸のテラスでは皆が日向ぼっこ。

Kołowdzeg(コウォブジェグ)では文化施設のような場所のゲストルームが用意されていた。特にインタビューも無いのはすでに情報がいきわたっているためであろうか。接待のような感じである。ここも副市長と翌朝、教会にいったり出発が遅くなった分を車で送ってくれたりする。なかなかのサービスである。灯台の絵をプレゼントした。

 

Kołowdzeg(コウォブジェグ)にて

鉱泉治療の拠点。SPAやリラクゼーションで有名なコウォブジェグは施設利用の人達で手前20kmくらいから賑わっている。散歩では塩分を浴びながらかなり長い歩道を歩くようである。砂浜との段差は10mくらいとどこも高い。所々でスロープや木の階段が用意されている。海を見ながら上にある展望ベンチで寛いだりと。この強風にも関わらず赤ん坊までが海を感じている。きっと逞しい子供に育つのだろう。

海沿いの道はここでも歩行とサイクリング道路の分離がされている。15() Kołowdzeg(コウォブジェグ)市の広報室の女性が到着を待っているというので歩行を飛ばす。海から吹き付ける風は防風林帯に遮られている部分でも強烈である。日差しがないとゆっくり休養もしておれない。先を急ぐが足へのダメージが心配である。

Marinホテルや療養型アパートメントが立ち並ぶ市の東玄関で彼女と待ち合わせる。灯台のある港町でもあり町中は観光客で一杯である。健康リゾート都市として国内およびドイツからの観光客が多い。

市のvise presidentoとの面談が有るというので文化センター Regional Cultural Centre (RCK).の綺麗な建物の最上階のゲストルームが宿泊場所として提供された。予約のhostelはキャンセル。この展開は初めてのケースである。灯台や夕陽を見物。


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バルト海のテラスで寛ぐ

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(mon) 15 Jun 12:09
皆防寒服を着ながらの日光浴。

バルト海の荒波でも日光浴

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(mon) 15 Jun 12:11

裸になっている人を見よ。

荒波に対しては100m置きに杭が打たれ波消しを行っている。

 

海岸に沿う自転車道

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(mon) 15 Jun 13:33

 

白鳥を撮る(合成)

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(mon) 15 Jun 14:14

Kołowdzeg(コウォブジェグ)の灯台

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(mon) 15 Jun 19:44

Kołowdzeg(コウォブジェグ)の夕日

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(mon) 15 Jun 21:18


 

31. 6/16() Kołowdzeg(コウォブジェグ)からRewal(レバル)まで】

Kołowdzeg(コウォブジェグ)のゲストルームは文化施設の4階。公園の一角に建つため、眺望は抜群。8:00ロビーで副市長と待ち合わせ。挨拶もそこそこに市内観光が始まる。まずは教会へと。本日は格別の長距離歩行が残っているので先を急ぎたいと無理なお願い。隣町はDźwirzyno(ジビジノ) Rogowo(ロゴボ) Mrzezyno(ムジェジノ) Pogorzelica(ポゴジェリツア) Niechorze(ニエホジェ)と続くが、遅い出発となったがあまり遠くまで送ってくれとはいいづらい。隣町のDźwirzyno(ジビジノ)までドライブ。

町のセンターで降ろしてもらう。12km得をしたような気持ち。ずっとリゾート地区なので別荘や湖があり風光明媚。老夫婦が手を繋ぎながらゆったりと歩く。皆がそんな感じなので、こちらはザックとキャラバンであるため靴の音がせわしない。ザク、ザクと音を立てながら進むため老夫婦達には申し訳ない。

なんて気ぜわしく歩く人なの!と思われているのかもしれない。さて、問題の Pogorzelica(ポゴジェリツア)にやってきた。10kmx2kmの森林地帯。その上、道路の名前がWojska Polskiego(ポーランド陸軍)というものものしい名前である。Google Earthでは赤斜線で囲まれていて、ミサイル基地となっている。

このため迂回を検討したが、海岸か川沿いの2つしかなく、海岸は断崖絶壁の砂浜で無理。

川沿いは10kmくらいの迂回となってしまう。どうにかしてこの軍用道路を進みたいが。Kołowdzeg(コウォブジェグ)でも聞いてみた。森林地帯のすべてが軍用基地ではなく、サイクリングロードが一本森林の中に通っているとのこと。矢印にそって森を抜けることにした。石畳の道は軍関係のトラックが通る道。土道は自転車コース。そのすみわけが成された総延長15kmほどの道を進む。

 

Rewal(レバル)にて

ここは印籠が通じてテント場所が確保できた。久々のテント泊。教会の敷地とは言え外部に通じる歩道があり人が通る。日没後にテントを張ることにして夕食と夕陽(21:40)を堪能する事にした。

 

21:40 Rewal plaza。この広場は教会から真っ直ぐ延びた目抜き通りの先端。木のオブジェが置かれ市民や観光客の憩いの場になっている。そこから張り出した展望デッキから夕陽を拝む 気温10℃

風強し、薄着のため震える。翌朝は5時前出発。

5:08雲間から太陽が顔を出す 角度は63(磁気偏差約10度で地図上の角度は73)雲が多いが晴れ模様 風はない 絶好のコンディション。午後の気温16度。

Rewal(レバル)手前Niechorze(ニエホジェ)の観光電車

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(tud) 16 Jun 15:42

Rewal(レバル)の夕日

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(tud) 16 Jun 21:31

 


 

32. 6/17(水) Rewal(レバル)からDźiwnów(ジブヌフ)まで】

教会裏側の繁みの木の下。窮屈なテントであった。丘の上とはいえご近所が近い。住民も教会裏の丘を登っては住宅に行くようで近道にもなっているのであろうか。

こういう場合は早くテント場を抜け出すに限る。テントを畳む瞬間が一番無防備だ。しかし早朝は鳥以外は起きていない。そっと抜け出す。海岸は崖の上にあるが雲っていて朝日は雲の上にやっと出た。林の中を通る散歩道が続いて快適。

町の目抜き通りもその道の延長線上にある。昔からの道だったものである。自動車道は時々。そういう町に寄りながら外側を通っているようである。リゾートらしく良いはからい。

 

Dźiwnów(ジブヌフ)にて
驚くべき展開が! ポーランド最後の夜にミラクルが。

湖と海に挾間まれたリゾート都市。当初はこの2km先のMiędzywozie(ミエンジボジェ)に宿泊予定で単に通り過ぎるだけの町であったが、通りで待ち構える人が居るというメールが入っているのだ。これも市の計らいでスポーツ施設のゲストルームが用意された。 Międzywozie(ミエンジボジェ)の宿はキャンセル。昼食とディナーをご馳走になる。ここまで来ると情報が全部伝わっているので質問攻めと言うことはなく、ゆったりと時間が流れる。エスコートしてくれたのは市のスポーツジムの責任者K氏。跳ね橋(ポーランド唯一)というViewPointがあるためお礼のスケッチなどをして寛ぐ。海から湖(カミエンスキエ湖)へヨットが行き来する。この時国道102号の橋が開くのであるが、よいタイミングで船が通過した。夕食後K氏のお宅にお邪魔。綺麗なアパートメントであった。ガールフレンドが作ったケーキをお土産に貰う。明日早朝の食事に添えるべく。

 

明日はジブヌフからミエンジボジェまで2kmを歩き更に20kmほど先にある似た名前の町Międzyzdroie(ミエンジズドロイェ)まで歩いてポーランド歩行を終了する。あとは電車でŚwinouiście(シフィノウイシチェ)まで行き、無料のフェリーを利用して対岸にわたり6kmほど歩いてドイツに入る。

Dźiwnów(ジブヌフ)の跳ね橋 (カミエンスキ潟)と海に挟まれている。

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(wed) 17 Jun 18:00

冬は流氷が流れ着くため海方向の橋げたは鋭い鋭角となっている。

Dźiwnów(ジブヌフ)の雑貨屋前で

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(wed) 17 Jun 18:31


 

33. 6/18() Dźiwnów(ジブヌフ)からフェリー→Świnoujście(シフィノウイシチェ)経由ドイツBansin(バンシン)まで】

Dźiwnów(ジブヌフ)跳ね橋(ポーランドで唯一)を渡り、Międzywozie(ミエンジボジェ ミエンジ=「間に」、ボジェ=「水」を表し 意味としては=「水の間」)Międzyzdroje(ミエンジズドロイエ)と似たような名前の町を通過っしていく。ここに来て初めてゴルフ場を発見。もとより平坦な国土なので、起伏のあるゴルフコースは設営が難しいようである。やっと国立公園:Woliński Park(ボリンスキ国立公園)にきて起伏らしい起伏を登るに至った。まさにそこにゴルフ場があった。

だまだポーランドではマイナーなスポーツらしくプレーしている人は見かけなかった。

国立公園:Woliński Park(ボリンスキ国立公園)は牛科牛目のヨーロッパ・バイソンが棲む。樹林帯は何万haと広がる。中を通っている国道も森の中を8kmも通るという凄まじいものである。山岳地帯なので起伏が多い。歩行は常に側道の草道で素晴らしい。トレッキングコースも縦横にありバルト海と湖に囲まれた一大リクレーション地。ポーランドの歩行で一番感動した森であった。

フカフカの林床にマットを敷き寝そべる。最高。バイソン見学には国道から歩くスポットが2箇所ありそれぞれ12km森の中へ歩いていく。深い森に分け入る快感を味わうことができるのではないだろうか。観光バスが沢山止まっていた。

 

Międzyzdroje(ミエンジズドロイエ)Jakubaマーク

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(thu) 18 Jun 8:51
camino
マーク(Jakuba)を発見。


 

Międzyzdroje(ミエンジズドロイエ) Wolin国立公園で

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(thu) 18 Jun 11:34

6/17() ポーランド Świnoujście(シフィノウィシチャ)にて

Świnoujście(シフィノウィシチャ)市は、Zalew Szczcinski(シュチェチン湖)からバルト海に流れる細い川Świna(スィナ)に面して両側に広がる町である。Zalew Szczcinski(シュチェチン湖)にある大きな町がSzczcin(シュチェチン)市でドイツの学園都市Greifswald(グライフスヴァルト)と姉妹都市となっている。

Międzyzdroje(ミエンジ ズドロイエ)から電車に乗って終点で降りると50m先にフェリーが待ちかまえている。Świnoujście(シフィノウイシチェ)運河は無料でフェリーが運航している。「市営の道」として無料である。電車から降りた乗客はほとんど西側の対岸へと渡る。数分の旅であるがなかなか面白い。市民の足となっていることを実感。車も積めるだけ積んで出帆。

 

Świnoujście(シフィノウイシチェ)のフェリー

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(thu) 18 Jun 15:33

さて対岸は3km先でドイツ。ここをこれから10kmほど真北に進む。

 

ドイツ徒然

歩数のカウント

せっかく覚えたポーランド語を忘れたくない。歩数のカウントはポーランド語で続けよう!

あと5kmなどkmのカウントは最近は眠気覚ましに大声で毎100m毎にポーランド語で喋るようにしている。左右の指折りも加えて。

左右の足のいずれかの歩行数をカウント。

一応 65歩を100mとしているため次のような感じ。

1,2,3,----63,64,sto(スト:100)1,2,3,----63,64,dwieście(ドヴィエシチ:200)以下trzysta(チシスタ:300)czterysta(チュテルィスタ:400)pięćset (ピェンシセト)sześćset (シェイセト:600)siedemset (シェデムセト:700)osiemset(オシェムセト:800)dziewięćset (ヂェヴィェンチセト:900)・・1000。「2km」台をカウントしていればここで、「3km」と+1kmのカウントとしてまた0から繰り返す。この太字の部分を大声で発音。眠気覚ましと記憶のためである。

 

数えていると、脳の構造がよくわかる。count領域と言語領域で別々の脳を使っているようである。50位になるとポーランド語を別の脳領域が準備し始めるようで出番を待つのが実感できる。数えている間車が何台通ったかはcount領域の深層部分で記憶される。左右何台づつ通ったかなど目が回るほど忙しいが脳が活発に動いていることが実感できる。


 

国境

おったまげた。ポーランドとドイツの国境。路線バスも車もスイスイ往き来する。

Świnoujście(シフィノウィシチャ) から北に3km。コンクリートの柱が2本立ち真ん中に基準点のような石が置いて有るだけであった。


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(thu) 18 Jun 16:50

路線バスが通る。一般乗用車もスイスイ通る。

センチメンタルな感情はゼロである。

 

横断歩道

驚いた。ポーランドできっちりついていた横断歩道マーク(60cmの白線で日本より太い。)が無いのである。道幅を示す鎖線のみ。横断歩道用のタッチボタンを押さないとずっと渡れないだろう。 白線が引かれた横断歩道もあるにはあるが少ない。

 

踏切

こちらでは踏切の一旦停止はない。speedは変わらずである。直前にある大きめの赤信号と電車の警笛のみである。合理的と言えば合理的である。日本ではより頻繁な電車の往来があることと、信号システムの信頼度が低い時代があったからであろうか。ドイツやポーランドからすると不思議である。

 

ドイツ国境→Greifswald(グライフスバルト)map

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国境からGreifswald(グライフスバルト)までは72km。およそ2

6/18() ドイツ Bansin(バンシン)にて

ドイツはポーランドと違って少し様子が違う。今までのような旅は夢のまた夢か? 教会を頼りに出来ないのではないかと。毎日のようにミサが行われていないのである(2週間に1回?)。よって牧師に会う機会が極めて少ないのではないだろうか。教会があるにはありちゃんと鐘は鳴るがそこに人が集まる風景をまだ見ていない。Worgast(ヴォルガスト)の教会では観光客に内部を説明している人が夕方6時には鍵を閉めてしまった。巡礼手帳を見せたら付いてこいと言うことになり下記に記述したように一宿の接待を受けることができたが。地域によって差があるのかまだ分からない。

 

ドイツでの一泊目はテント泊。町外れの樹林帯。広大な芝生。コンクリートの道がそれに沿って森まで続く。看板に「無料のレジデント」など書かれていたのでまぁ無人の家屋群の先は深い森となっている。林床の腐葉土も申し分ない。深々の森、雑草一つ生えていないふかふかの森である。夜の帳が降りる頃設営。

 

人口密度が倍増する国へ足を踏み入れた。1平方キロに123名が住むポーランドから226名のドイツへ。面積はドイツ357千平方キロ、ポーランド312千平方キロと仲良く並んでいる。この両国は平野部分が多く、国土有効面積率が高い。

国境から3km手前のポーランド側の都市、Świnoujście(シフィノウイシチェ)市の銀行はどこもユーロを扱っておらず両替商(KANT)のみが対応してくれた。70ズーロを約19ユーロに両替してもらった。感傷に耽って国境をまたぐが、ここでは路線バスも車も速度を落とすことなく行き来している。涙しているのは私だけか?拍子抜けもいいとこである。

しかし、バンシンというテント予定の場所まで、どうにかしてユーロをもっと持っておきたい。小さな町にくるたび銀行はあるのか、ATMはどこかと聞くが誰一人応えようともせず逃げるように立ち去って行く。なんという国なのだ?と疑問が湧いたがあとで考えた。どうも東洋人がへんな発音で言い寄ってこられたもので全員逃げたのではないかと。

L266号沿いの道を急ぐがまだ誰とも話せないでいる。夕刻迫る中、異国の地でテント場を探す身の辛さよ。直角に折れ1kmほど行けば海岸である。高級リゾート風のホテルが立ち並ぶ。今回はこういう風景をパスし県道のみを伝う。ほどなく森が見えそこに入る細い道を発見。林床はふかふか。

ここにテントを張る。しかし朝方大変なことに。