ヨーロッパ横断紀行
ランナーの巡礼歩き〜クラクフからジブラルタルまで6700km〜 太田 宏
05・・その1−ドイツ1(Bansin(バンシン)出発からLübeck(リューベック)到着まで 6/19-6/28)
【34. 6/19(金) Bansin(バンシン)からWolgast(ヴォルガスト)まで】
【35. 6/20(土) Greifswald(グライフスヴァルト)にて】
【36. 6/21(日) Greifswald(グライフスヴァルト)からReinberg(ラインベルグ)まで】
【37. 6/22(月) Reinberg(ラインベルグ)からKummerow(クンメロー)まで】
【38. 6/23(火) Kummerow(クンメロー)からRibnitz-Damgarten(リーブニッツ= ダムガルテン)まで】
【39. 6/24(水) Ribnitz-Damgarten(リーブニッツ= ダムガルテン)からRostock(ロストック)まで】
【40. 6/25(木) ロストックからBiendorf(ビエンドルフ)まで】
【41. 6/26(金) Biendorf(ビエンドルフ)からWismar(ヴィスマル)まで】
【42. 6/27(土) Wismar(ヴィスマル)からHolm(ホルム)まで】
【43. 6/28(日) Holm(ホルム)からLübeck(リューベック)まで】
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【34. 6/19(金) Bansin(バンシン)からWolgast(ヴォルガスト)まで】
朝靄の中、テントから外がうっすらと透けて見えだした。テントの布地に何か模様がついており、静かに動いている。ヘッドライトを照らすとその影はなくなる。外側に無数の巨大ナメクジがテントを這っているのである。こんな恐ろしいことは生まれて初めて。テントの中から、指ではじいて落としていく。一匹づつパンチを食らわせながら空中に飛ばすのである。よくもまぁずうずうしくテントを占領しようとしたものだ。ポーランドと似たようなナメクジであるが、ドイツversionは少し色が違う。これらは今回の旅行で仔細に観察することに。彼らは全員袴を履いている。2層になっていて模様が違うのである。ポーランドのは黒。ドイツのは茶色。なぜ色が違うのであろうか。森、湿地帯、草地という条件で生息しているが、川などで環境が途絶えると違った系列がはびこり、すこしづつ違ったものになったのであろうか。さて、テントを片づける段になって気付いたが、底の部分にも1mmくらいの小さな生き物がくらいついている。ナメクジの子供である。家族全員束になってテントを襲撃したか?
気を取り直して、のどかな田舎道を進む。ドイツの最北部。湖と海に挟まれた地域。素晴らしい風景が続く。
Wolgast(ヴォルガスト)の跳ね橋
(fri) 19 Jun 15:44
絵には小さく見えるが、実際は巨大。
河口部にあるシュロス島に渡された橋は、Dźiwnów(ジブヌフ)同様跳ね橋があった。ただしこちらのは鉄道も通る橋。それらを丸ごと持ち上げるために巨大な造りである。毎日5回くらい定期的に上がるような予定表が掲げられてあったが、実際には船の運航がないと起動しないようである。
Wolgast(ヴォルガスト)気温13℃
翌朝も予定時刻に行ってみたが船の運航がなく見ることが出来なかった。インフォメーションセンターで、銀行の場所を聞く次いで例の印籠(ドイツ語に訳しておいた)を見せ、対応してもらえそうな教会と、事務棟などの場所を聞いておく。Deutsche Bankの支店で漸くまとまったユーロを手にした。ATMは店内。
教会の中に荷物を置かせてもらってスーパーに買い出し。教会へ戻ると館内を説明していたおじさんが鍵を持っていて閉めようとしている。巡礼者であることを説明した後、ドイツ語に翻訳しておいた印籠を見せると、付いてこいとなった。司祭棟別館のような3階建ての建物の最上階に案内され、自由に使え、ただし静かに。と。本日予定の3km先の空き地でのテントはpass。助かった!
夕食は外に出て街中のBarでサラダ:Insalata
"al dento"を食す。説明文は詳しい。
Gemischter Salt mit Thunfisch,Schinken,Ei,Mais und Oliven などなど。要するにツナサラダ。野菜不足の身には最高の食材群であった。
Zahlen,bitte(ツァーレン ビッテ:お会計お願い)と言って勘定を済ませる。せっかく慣れたポーランド語がこちらでは使えないのが悔しい。翌日も小雨交じりの寒々とした天候。
Wolgast(ヴォルガスト) st-petri-kiriche 聖ペテロ教会と路地
(fri) 19 Jun 19:51
建物横の歩道の敷石は今までにない小粒の丸い石。
中世からのものっであろう。
翌朝Wolgast(ヴォルガスト)の運河の風景
(sat) 20 Jun 5:46
【35. 6/20(土) Greifswald(グライフスヴァルト)にて】
気温12℃
ドイツ初めての大都市 学園都市(Ernst-Moritz
Arndt Greifswald Univ.エツンスト・モリッツアルント大学などの大学群。市民の2/3が学生であるという。都市の規模は10km四方ほど。町に着いても油断してはならない。中心までまだ5kmも進まなければならないし道もみな広い。ユースホステルへ直行。
夕食を旧市街地の広場にあるドイツ料理店「Fritz」でRagout(ラグー:牛肉の煮込み)を食しながらスケッチ。
翌日(6/21(日))・・ 日本人留学生と会う。
ホステルの女性に聞いてみた。「教会に行きますか」と。行かないという返事に一瞬たじろぐ。日曜日のミサについて聞いてみた。聖マリー教会で9時頃ミサをやっているのではないかという。
今日(6/21(日))は特別のイベントがあった。「69.Greifswalder Bachwoche」ブランチ付の演奏会。ミサの一環として行われた。
祭りのブランチを持つサービス、オネゲルの「ロワデイヴィッド」などが演奏された。
オーケストラが壇上に整列。建物はドイツ入国最初の大きな教会Worgast(ヴォルガスト)のカテドラルとほぼ同じ。タワーも含めゴチック様式のレンガ造り。10時のミサに1000人位が席についている。さすがドイツ。ソリストが4人とコーラス フル編成にパイプオルガン。1時間半に及んだ。
今日の行程はテント予定で17kmと短いため午後の出発でもokであるから。
そのブランチの時 日本人留学生と偶然会ったのである。ドイツ語留学でまだ3ケ月しかたたないというがなかなかのもの。貧しい巡礼者と学生のコンビは最後の食材まで綺麗に食べ尽くした。バグパイプの練習をはじめたという。ここはスェーデンの国であった時代もあり色濃く影響が残っているとも。21歳のこの学生 これからの人生どう生きていくであろうか。応援したくなった。
この日は色んな人と会っている。ベルリンからロストックまで北上しドイツ最東部に向かう徒歩旅行の青年。ポーランドから来たという自転車の男性。
そろそろここドイツでトレッキングをやっているのかバッグパックを多く見かけることとなった。テントを張る場所を聞いてみた。「どこでも」と言う回答とか「警察には捕まらない」という返事。まぁ心強い回答であった。
サイクリストや歩行のために残された歴史街道
農道からの風景(Katzow)
(sat) 20 Jun 7:25
ノイ・ボル テンハーゲン Neu Boltenhagen石畳の道
(sat) 20 Jun Jun 8:37
雨のツーリング;ケムニッツ Kemnitz
(sat) 20
Jun 10:23
このグループとは5回くらいすれ違っている。
サイクリングで周回をしていたようである。最後の方はもうお祭り騒ぎである。
不思議なタンデム
(sat) 20 Jun 13:37
Greifswald(グライフスバルト)の市場(Markt)
(sat) 20 Jun 17:40
(sat) 20
Jun 19:14
翌朝
グライスヴァルト・マリエン(聖マリー)の教会のミサ |
グライスヴァルトの広場のcafe |
|
|
(sun) 21 Jun 11:23 |
(sun) 21 Jun 11:32 |
【36. 6/21(日) Greifswald(グライフスヴァルト)からReinberg(ラインベルグ)まで】
グライフスバルトから今日の投宿予定地のReinberg(ラインベルグ)までは17kmと短いため、日曜日のイベントに参加した。DJH (ユースホステル) の女性がMarienkirche(セント・マリエン(聖マリー)の教会)でミサがあると教えてくれたので行ってみることにした。その日(6/21)は特別のイベントがあった。「69.Greifswalder
Bachwoche」オーケストラ&ブランチ付の演奏会。ミサの一環として行われた。オネゲルの「ロワデイヴィッド」などが演奏された。
現地便りにも書いたがErnst-Moritz Arndt
Greifswald Univに語学留学している日本人青年と会い少し歓談。ブランチを熱心に最後の一皿、one-cupまで食べ、飲みつくしたという感じ。
ここで彼からJakobsweg(ヤコブスベーグ)なる言葉を初めて教わる。注意してみると広場にその標識がありサンティアゴまで3400kmと記している。調べてみるとポーランド国境の町Świnoujście(シフィノウイシチェ)を通ってGreifswald(グライフスヴァルト)に達し、ロストック、ハンブルク、ブレーメンとほぼ今回の小生の旅と同じ町を経由しながらケルン、パリへと向かっている。
なんという偶然であろうか。日本で必死に検索したが出てこなかったこのルートは、Jakobsweg_nordDeutsch或いは、Jakobsweg Via
Baltica で、又の名をDer baltisch-westfälische Weg(バルト海からヴェストファーレン(州)への道)と呼ばれている。
午後ほぼ真北に梶を取る。途中にガソリンスタンドがあったのでドイツネットで使えるsimカードを物色。「Congstar」という通信会社のを9.9ユーロでget。やっと4日目にして手に入れた!
これが苦戦の原因に。早速挿入するも電波の棒すら立たなくなりxマークが表示される。8kmの休憩ポイントでバイクの青年が通りかかったので助けを求めた。説明書をみてもらうと事前に詳細な個人情報の登録が必要であると。その後の話であるが、住所登録で日本の住所を教えたものだから手間取ったのであろうか。登録してから24h-48hで使えるようになるというのに48時間以上経っているのに使えないのであった。進捗状況を聞こうにも全てドイツ語による自動音声であり確認のしようがい。あぁ、10ユーロ返してほしい!もたもたしていても、 ラインスベルグには 18時に到着してしまった。
高台に教会があったので寄ってみたがが閉まっていた。なかなか古風な佇まい。近所の家の呼び鈴を押せども応答なし。おそらくグライフスヴァルトに住む学生達だろうか。19:00からコンサートがあるらしく、楽団として続々と到着し始めた。それも直前の18:45頃。終わるのを待ってテント設営というシナリオは無理そうなので、さらに街道を進む。
リンデン通り(菩提樹)というその街道と105号が合流する辺りも適地であったが、演奏会が終わった頃に多数の車が通ることが予想され諦めてさらに歩を進める。地図に予めマークしてある田舎の一軒屋、Hotelの看板が目に留まった。街道からは少し入るため静かなホテルである。値段を交渉して安くしてもらう。
Greifswald(グライスヴァルト)からRostock(ロストック) map
Greifswald(グライスバルト)からRostock(ロストック)までは116km。これを3泊4日というスケジュール。1日目は17kmと短く、2日目以降は33km/1日という何時もの行程。
ラインベルグの歴史街道
(sun) 21
Jun 17:08
ラインベルグの教会
(sun) 21
Jun 18:26
尖塔部分が木造の変わった造り。
【37. 6/22(月) Reinberg(ラインベルグ)からKummerow(クンメロー)まで】
6/22(月) Stralsund(シュトラールズンド) ・・ラインスベルグから テント予定のKummerow(クンメロー)に行く途中通過する一大観光地。 ハンザ都市として栄えた歴史を持つが今では、海浜リゾートのRügen(リューゲン島)やHiddensee(ヒデンゼー島)への渡航拠点である。町を眺めることができる高台からは何十という教会の尖塔が見え壮観である。
気温10℃と寒いのでJakobi教会で少し休む。この教会は外枠だけで内部はがらんどう。ステンドグラスや柱部分に歴史遺産が数多く残る。この外にもSt.Nikolai Rathaus St.Marien など沢山の教会がある。大きい教会は、ニコライ教会、マリエン教会
シュトラールズンドへの道
(mon) 22
Jun 7:55
麦の成長を追いかけての今回の旅。
熟した麦穂が暴れている。
シュトラールズンド・市庁舎
(mon) 22 Jun 11:11
シュトラールズンドの門
(mon) 22
13:37
シュトラールズンド・Knieperteich(クニペールアイヒ)池より
(mon) 22
Jun 14:27
シュトラールズンド・マリエン教会
Kummerowクンメローの悲劇・・シュトラールズンドで相当の時間を過ごした後4時ころテント予定地まで進む。そのクンメローで悲劇が。狙いをつけておいた場所でテントを設営。そこまでは順調。問題は真夜。1時頃大雨が降り出したのである。頭上の換気口からも雨が顔に落ちてくる。寝袋の足元が濡れてきた。換気のために大きく開けておいたテント入口からもろに雨が降り注ぎ入口部分に1cmの高さで浸水。早速水を掻き出す。ソックスやタオルをフル動員し水を外に搾り出す。まさに試練であった。翌日は寝不足で足がもつれる。
【38. 6/23(火) Kummerow(クンメロー)からRibnitz-Damgarten(リーブニッツ= ダムガルテン)まで】
昨夜のテント場は、町内の道と、105号線が再び合流する箇所。若干のスロープがあるが頭を上にすれば十分就寝はできる。ガードレールが2重に張られている場所で車のライトが当らないようだ。食事を済ませ、耳栓もしっかりと就寝したわけであるが、午前1時ころから雨が降り出し3時には土砂降りとなった。テントは天井部分と、入口に結露を防ぐための穴が開いており防虫ネットが張られていてベンチレータの役割をしている。入口の部分すなわち足の部分を大きく開放して寝ていたのである。大雨が降ってきたにも拘わらず気付かずに寝入ってしまったため大変なことに。
足元に雨が降り注ぎプールのように水浸しとなってしまった。寝袋もその影響で濡れそぼってしまった。とにかく溜まった水を掻きださなくてはならない。タオルと靴下を総動員し、吸収と絞りだしの動作を何十回も行った。悪戦苦闘しながら朝を迎え、西に向かって行軍。途中晴れ間もあったので、テントと寝袋と靴下をリュックの外側に結わえ、天日干しを企んだ。今日もテントなので、日が差せばそれらを地べたに広げて乾かし、そうでなければリュックに背負って歩くという涙ぐましい努力。
Kummerow(クンメロー)の朝
(tue) 23
Jun 6:11
大雨の後の小康状態。朝霧でガスっていた。
畑の道
(tue) 23
Jun 11:50
畑の自転車道、テント、寝袋、靴下を背負ったリュック
リーブニッツ= ダムガルテンは湾に面しているためヨットハーバーもあり静かな町。テント場はここから4kmの町はずれ。中心部で19:00頃までゆっくりできたためスーパーやiセンターでの情報収集やレストランへと町の中で時間を費やす。
町中には昼過ぎには到着。なにせ未だ使えないインターネットをどうにかしなければならない。教会の牧師にも会いたい。明日への買い出しもせねばならない。濡れた寝袋を乾かさねばならない。歩くことのほかにやることが多い。小雨が10-15分置きに1-3分降るという複雑な雲模様に空を眺めては次なる雲の厚さを見計らって寝袋をベンチで干す。牧師舘を訪ねたが留守。インターネットの方はVodafoneのshopで相談。「Congstar」の方は諦める。ここでやっとドイツsimを購入。
Greifswald(グライフスヴァルト)のガソリンスタンドで買ったsimは電話用であったためタブレットには使えなかったらしい。7月22日まで使えるsimであることからドイツ国内はインターネットの電波が届く限り、netやGoogle Mapでの現在地確認、音声や写真の翻訳機能などすべてがフルに活用できることになり大いに助けられた。こちらは本体15ユーロにsw代などとして計25ユーロも取られた。ポーランドのorangは4zł(約1ユーロ)ですぐ使えたのにこちらは真逆である。
リーブニッツ= ダムガルテンのiセンター
(tue) 23
Jun 15:25
背景は聖マリエン教会
6/23(火) Ribnitz(リーブニッツ)郊外にて感涙・・20時頃、町を出て郊外に向う。このシチュエーションは実に寂しいものがある。レストランではこれから客たちで溢れ、Barでは大人たちがはしゃぎ、アパートからは団欒の光が漏れる。その中を、一人トボトボと反対方向に出ていく。この時点では寝るところが定まっていないため、大きな荷物を背負ったホームレスである。
さて今夜のテント場は国道と市道が交わる部分で交通量が多い。少し進んでみると牧場があった。その外れからまた農家が続く。一軒家の大きめの家が門が開いていた。大声で叫ぶも反応がない。裏庭に回ってみると歩道から下がった場所に格好の場所が。はたしてこの裏庭もここの土地であろうかと逡巡していると、猫が視察に現れた。留守宅でも猫が居るということは家主が外出しているだけかも知れない。許可なく勝手に使うわけにも行かず退散。猫が重要な仕事をしたことになる。
牧場と歩道の間のわずかな隙間にテントを張る。夕闇になっても牛は鳴いている。テントの中で寝ていた時だ。時刻は22:00頃。市内から自転車で帰路についた女性がテントが張られているのに気づき声を掛けてきた。第一声が「大丈夫ですか?」5分もしないうちに、毛布、バナナ、スウェーデンのお菓子などを段ボールに入れて持参。恐らく先ほどテントを張ろうとした家に違いない。その時は猫が視察にやってきたのであきらめたのである。愛猫かもしれない。其の猫も仔細に小生のことを報告したのかもしれない。『今日ねぇ。知らないオジサンが庭先でテントを張ろうとしてたので「ニャン」と言ったら逃げて行ったヨ。』とでも。全てを察知した女性が支援をしてくれたのに違いない。あぁ、ドイツにも神様が居るのだ。と夜空に向かって泣いていた。
リーブニッツ近郊
今日のテント場所は牛の隣。気温16度
牧場の夕日
(tue) 23 Jun
21:25
【39. 6/24(水) Ribnitz-Damgarten(リーブニッツ= ダムガルテン)からRostock(ロストック)まで】
ロストックに向って105号を歩く。並行してトラムのような感じで列車が行き来する。朝の通勤時刻。森を抜けると今まで気づかなかったような強風が吹きつける。ものすごい寒さ。レインコートを羽織るが、今回の旅ではレインコートよりも保温性、透湿性、通気性、防水性のすぐれた素材でできた例えばGore-Texファブリクス、Gore-Texプロト、ドライテックなどの素材で出来たジャケットなどを一着分、持ってくるべきであった。ランニングウエアの外に纏うだけで良かったのではないかと思っている。
6/24(水) Rostock(ロストック)にて・・市庁前の広場に到着。張りぼての佇まい。正面がすべて飾りの建築様式である。台形や円を組合せた天井部分。厚さ50cmほどの壁で出来ている。 色は全て違っているものの不思議な落ち着きがある。夕食を目抜き通りの Block House で食す。
(wed) 24 Jun 13:01
町の入り口で息を飲んだ。聖ペトリ教会の尖塔。
とんがり帽子は今まで見た中で一番高い。
聖ニコライ教会、聖マリエン教会などの尖塔が見え隠れしている。
ロストック 聖ペトリ教会
(wed) 24
Jun 13:49
橋を渡り終え、トラムの線が交差する四辻で教会を見上げてみた。
その風格、外輪山のように壁が旧市街地を取り巻いている。
赤い屋根も天井裏の窓が美しい。これを描いているとき久々にパレットの水がシャーベット状に凍りだした。それほどの寒さ。
ロストックの広場
(wed) 24 Jun 14:39
戦後に再建された美しい切妻屋根の建物群とトラム
ロストックの港
(wed) 24
Jun 18:23
ロストックのスーパー
(wed) 24
Jun 18:36
整然と保冷室が並ぶ。高級感漂うスーパー
ロストックの市庁舎
(wed) 24
Jun 20:15
7つの尖塔が特徴。
【40. 6/25(木) Rostock(ロストック)からBiendorf(ビエンドルフ)まで】
Rostock(ロストック)からLubeck(リューベック)までのmap
131kmを3泊4日で。DJH・Wismar(ヴィスマル・ユースホテル)泊1、テント泊2.
ロストックからWismar(ヴィスマル)まで車道で62km。105号線であれば地図を見ることなく大都市に到着出来るがここは敢えて田舎道を選んだ。
ロストックは旧東ドイツ時代の最大の港湾都市で20万人の中核都市である。
Kröpeliner(クレペリーナ)塔
(thu) 25
Jun 5:52
早朝 この門を抜けて旧市街を出る。さらに郊外へと進む。大都市の朝はトラムの乗客がこちらを物珍しげに見る。そこから17kmにBad Doberan(バート・ドベラーン)という町がある。昼休みのpointである。目の前を蒸気機関車が通過していくのでびっくりした。鈴なりの観光客。近くの停車場は19世紀の町の雰囲気。西部劇の1場面としてもおかしくは無い。沢山の客が乗り降りする。これは海水浴場のHeiligendamm(ハイリゲンダム)からKühlungsborn(キューリングスボルン)を経由してBad Doberan(バート・ドベラーン)までの15kmを結ぶ路線で運行されていいる。30分に1本の割で運行されているようで、気動車の場合もある。
Bad
Doberan(バート・ドベラーン)(or バード・ドーベラン)の汽車
(thu) 25
Jun 11:26
目の前を蒸気機関車が通過していく。
小型の蒸気機関車はMolli(モリー)という愛称。
Bad
Doberan(バート・ドベラーン)のイチゴ売店
(thu) 25
Jun 11:12
季節になるとこのような目立つ小屋が随所に建つ
上の汽車の絵の右側の赤いのがこれである。
さて、ロストックは標高0m、バート・ドベラーンは38m。次のクレーペリンまでのtopは88m。町は標高50m。30mや50mの登りや下りは平坦な道ばかりを歩いてきた身にとってはきつい。
Biendorf(ビエンドルフ)という片田舎へはcamino道のような土道を5kmも辿る。休んでいると自転車に乗った少年が声を掛けてくれる。okかと。当地ではマットを敷いて休むという習慣がないのであろうか。ポケットから飴玉を出し渡そうとする。天を仰げば、30数台の風力発電装置が麦畑に林立する。
ビエンドルフの教会の脇に小さな森があった。庭で出た植栽のゴミなどを捨てる場所であるようだ。表札の文言を訳したりしながら使ってよい空き地かを確かめる。
Biendorf(ビエンドルフ)への麦畑
(thu) 25
Jun 17:11
田舎道から広大な麦畑を眺望。
風力発電も多い。
Biendorf(ビエンドルフ)への麦畑の田舎道
(thu) 25
Jun 18:16
何とも静寂な雰囲気。Yakobiweg(ヤコビヴェーク:camino:)を彷彿とさせる土道も通る。村の教会に到着したのは午後7時過ぎ。掲示板を見ると時々openするようである。敷地には入って様子をみたが無断では憚られる。隣接する空き地が「grünabfäll
:緑のごみ 」となり花壇の塵などを捨てる場所であった。その奥の樹林帯を利用。夕陽が少し早くなってきた。21:20頃の日没を確認しテントに潜り込む。
【41. 6/26(金) Biendorf(ビエンドルフ)からWismar(ヴィスマル)まで】
地図作成のとき最初から迷っていた車道を使う遠回りと近道。どちらを行くか。もちろん近道をとる。しかし農家が一軒ポツンとあり道はそこまで。トウモロコシの苗が植わっている1km四方ほどの畑が続くのみ。途方に暮れる。なんとしたことか。「畑のあぜ道」というような気安いものではない。畑そのものを苗を踏まずに1kmも歩けるものであろうか。途中に櫓(やぐら)がある。植物の成長など全体像を眺めるためのものである。こんもりした草地に上がって驚いた。畑は麦畑に変わっており、これまた1kmも遙か向こうまで続く。麦はかなり成長しているので跨いで歩くというのがつらい。苗の間を縫って歩く。こんな「農夫」はいない。機械化された農地なので畑を歩くという必要はないのである。
Biendorf(ビエンドルフ)の朝
(fri) 26
Jun 5:21
まだ5時なのに、ここで道がなくなる。
延々畑の中を歩く。
歩きづらいといったらない。近道を選んで失敗した。L12の街道が見えているのになかなか近づけないのである。やっと畑を抜け出し自由の身となる。
Neubukow(ノイブコウ)のHellbachtal(ヘルバッハタール)自然遊歩道を通り海岸に出る。素晴らしい景色を進む。何10kmも店がない海岸地域。ビエンドルフから
ヴィスマルのコース(32km)の大半は海岸沿いのバイクコースと重なる。ポーランド以上にバイク人口が多いように映る。夫婦連れのサイクリストがとても多く微笑ましい。親子連れやグループなど多様。歩いている人は小生のみ。自転車道はアスファルトが多くタイヤに優しいようだ。
海の見える風景
(fri) 26
Jun 10:02
Wismar(ヴィスマル)への途中
やっとcafeがあった。ケーキなども作っている店で休憩。風車が近くにあり道路を挟んでその博物館のような小さな館もあった。駐車スペースもあるため狙いのViewPointなのであろうか。(スケッチ参照)
Boiendorf(ボイエンスドルフ)の風車
(fri) 26
Jun 11:20
Wismar(ヴィスマル)へ行く途中の風車
5,6歳のかわいい少年が父親と一緒にツーリング途中で訪れた。小さいながらちゃんとヘルメットをし黒丸のサングラス。あまりに格好がいいので「クール!」と叫ぶ。父親は笑っていた。
8km毎のWalkingパターンを少し変えてみた。1km毎に前に抱き抱えているリュック(Osplay-35L)を左右の手で持ち替える。水を飲んだりし今少しインターバルを置く。身体を褒めてあげるようにキャンデーなどを頬張る。快適な田舎道と言えども単調な展開にはこのように身体のほうで変化を与えてあげる。意外と効果を発揮し何kmでもこの調子で歩けることを確認。2時間ごとの大休止は今まで通り。天気が良ければマットを敷いて寝そべる。
港湾都市に旧市街を持つ典型的な北ドイツのMecklenburg-Vorpommern(メクレブルグ=フォアポンメルン)州の風景が展開されている。どの町も数時間しか居ないためゆっくり観光が出来ないのが残念である。ツアーと違って、はるか郊外から町の全容を捉え、また郊外に抜けていく。そいう行動パターンもなかなか面白い。
さて、ユースホステル(DJH :Deutsch
Jugendherberg)はバイクの人達に人気の宿である。ヴィスマルのDJHは広大な敷地にスポーツ施設などもあり大いにエンジョイできる。赤ん坊を連れた家族連れが2組もいた。彼らは車での移動で15組位。50人位がバイクである。
さてやっとWismar(ヴィスマル)の港町に着いた。人口4万人の小都市である。ハンザ都市の面影が残る。ヴィスマール、リューベック、ロストックの町が1229年に結んだ海賊対策のための協定がハンザ同盟の基礎となったという。1648-1803年の間はスウェーデン領。1903年にドイツに戻った。なんとも鄙びた雰囲気のある町である。基礎だけが残った教会、石畳の道、町入口のニコライ教会、マルクト広場に近いマリエン教会。
Wismar(ヴィスマル)マルクト広場
(fri) 26
Jun 18:53
レストランSchwedenwacheから
頻繁に雨が降る。
ユースホステルの庭に干しておいたテントや寝袋が心配で落ち着けない
雨はすぐ止む。
【42. 6/27(土) Wismar(ヴィスマル)からHolm(ホルム)まで】
ユースホテルを8:00に出発。かなり遅いスタートではあるが、テント泊なのでokである。時間がたっぷりとあるため、ゆっくりと歩め、景色も堪能できる。
17km先に、ブロッゲン湖を擁するGrevesmühlen(グレーブスミューレン)市がある。当初は町の中央を通るビスマルシェ通りを進む予定であったが、湖のほうが先に目に留まった。湖面まで斜面を伝って降りていく。
緑の芝生が広がり気持ちがよい。その真ん中にマットを広げて昼食。土曜日だというのにあまり人はいない。湖畔で釣りをしている男性が居るぐらいである。さて、パラパラと雨が降り出した。大きな柳の木の下に避難。
Gressow(グレッソー)の重厚な壁の教会
(sat) 27
Jun 10:55
Evangelische
Kirchengemeinde Gressow-Friedrichshagenプロテスタント系教会
まぁのどかなものである。上のほうで車が行き過ぎる音が聞こえるのみ。テント予定地のHolm(ホルム)は森とホテルのみ。その手前に郊外型のレストランHanstorfがあったので寄ってみた。17時半と早い時間ではあったが、池と広大な庭と林というお膳立ての素敵なレストランである。外での食事。SoijankaスープとRippenbraten(ローストリブ)を食す。最初はここが野営地に近い一軒屋のホテルJägerhorf Ostsee
GmbHと思いビールを何杯もお替り。
郊外型レストラン
(sat) 27
Jun 17:38
まだ早い時間であった。優雅な気分である。
テント場所と決めてあった場所は郊外型外型のお城のようなHotelに近い。道路反対側の未使用の原っぱを野営地とした。麦畑と菜種畑の広大な森とで出来ている場所でも隠れ家のようなレストランがある。ビールをしこたま飲んだ後2kmも歩くのは辛い。瀟洒なレストランをHotelの場所と勘違いしていたものだからその時点ではビールも正解であった。Google Mapで森の中の現在位置を仔細に観察すると2kmほどの誤差があったのだ。真っ平らな草地を見つけテントを張って就寝。19:00とかなり早い時間であるがまぁたまにはよいであろう。
Holm(ホルム)のテント
(sat) 27
Jun 19:02
mont-bellのテント ULドームシェルター2型(1m x 2m x 90cm)
組み立ては5分。手軽である。開口部分のnetを閉めないと雨がテントの中に降り注ぐ。
完全に閉めてしまうと今度は結露の心配あり。
【43. 6/28(日) Holm(ホルム)からLübeck(リューベック)まで】
野原のテントをam5:00には抜け出しひたすらリューベックを目指す。
Dassow(ダッソー)という町で市中に入り道を短絡する。Dassower See(ダッソー湖)という海に繋がった潟がある古い町で中は石畳の道が続く。教会もあるが6時という早い時間ではまだ通りに誰もいない。海に沿った道は菜の花畑であり。歩道は出来たばかりの道のようでアスファルトが黒々と美しい。(写真)
Dassow(ダッソー)から海岸線 菜の花畑
(sun) 28
Jun 06:15
トウモロコシ畑
(sun) 28
Jun 9:01
一区画1km四方という広大な畑が続く
105号をリューベックへ急いでいたら車が止まった。右側の草道を歩いていると、このように車が止まるのである。理由は、危ないからという一言。こちらはそんな援助は必要とはしないが、相手は気が気ではないらしい。事故でも合われたら困るという気持ちである。日曜日で郊外のガソリンスタンドまで給油に来た車が市内へ帰る途中であった。7つも教会のある町である。時間が幾らあっても足りないため。2kmの距離でも短縮できるのは有り難い。好意に甘えて市内まで送ってもらう。ヤコブ教会の近くにある行きつけというパン屋に寄った。そこで降ろしてもらい教会をスケッチ。Breite(ブライテ)通りにあるCafeでくつろいでいると教会の鐘が連打される。旧市街の中心にあるヤコビ教会の日曜ミサが10:30に始まった。11:30終了。神父さんと少し会話。印を貰う。この日を待っていたかのように気温がやっと20℃。島をなす旧市街の西側の塔に向けてパレードが始まった。やっと夏になるのではないだろうか。市民が弾ける気持ちが分かる。
Breite(ブライテ)通りからJakobi-kirche ヤコブ教会
(sun) 28 Jun 11:46
Lübeck(リューベック)の旧市街地へは北側にあるBurgtor門から入った。
すぐ目の前に大きな尖塔が見えた。
日曜日であるがパンとコヒーの店は長蛇の人。
お茶を飲んだりゆっくりしていてもホステルには12:00に着いてしまった。部屋の掃除はまだ終わっていなかったがシャワーは使えるというので洗濯などをする。ここで失敗が。
町中で音楽隊の音がする。いくつものグループがパレードの練習をしていた。ホステルの建つ路地にも会場に向かう人の列があった。下でなにか大騒ぎがしている。窓に引っ掛けてあった洗濯ものの一つが風に煽られて歩道に落ちたようだ。
最後尾の男性が僕を見上げジェスチャーで何か叫んでいる。「これはあなたのものか?」「頭にかぶさったので女性がカンカンになって怒っていたと。」といいながら大笑いしていた。見ると下着のボクサーパンツであった。済まない事をしてしまった。あわてて階下に取りに行ったが。
リューベック:Breite(ブライテ)通り
(sun) 28
Jun 12:01
リューベック:トラヴェ川
(sun) 28
Jun 14:45
倉庫群。リューベックはトーマス・マンの故郷でもある。
Lubeck(のパレード
(sun) 28
Jun 14:59
赤ん坊も行列の仲間入りである。
飴などを見物人に投げる。子供達はそれを拾う。
気温は20℃であるがやっと夏が来たと言う感じ。
パウル・ゲルハルト、リューベック:コミュニティカーニバル
トラヴェ川とHolstentor(ホルステン門)
(sun) 28 Jun 15:20
ハンザ同盟中心の都市リューベック。海産物の取引場だった場所。