ヨーロッパ横断紀行
ランナーの巡礼歩き〜クラクフからジブラルタルまで6700km〜 太田 宏
08・・その1−ベルギー(アーヘン出発からクーヴァン到着まで 7/21-7/26)
【64. 7/21(火) ドイツ・Aachen(アーヘン)からベルギー・Blégny(ブレニュー)手前5kmへ】
【65. 7/22(水) Blégny(ブレニュー)手前5kmからEngis(アンジ)まで】
【66. 7/23(木) Engis(アンジ)からHuy(ユイ)経由Sclaigeaux(スクレノー)まで】
【67. 7/24(金) Sclaigeaux(スクレノー)からNamur(ナミュール)まで】
【68. 7/25(土) Namur(ナミュール)からFravion(フラヴィオン)まで】
【69. 7/26(日) Fravion(フラヴィオン)からCouvin(クーヴァン)まで】
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1 Aachen(アーヘン)からNamur(ナミュール)までのMap
116kmを3泊4日で行く。ナミュールまではすべてテント泊。
途中に中核都市Liège(リエージュ) を経由。
【64. 7/21(火) ドイツ・Aachen(アーヘン)からベルギー・Blégny(ブレニュー)手前5kmへ】
寒い。曇天の日が続く。小雨交じりである。
前の夜アーヘン・ユースホステルで寝ながら考えた。旅を止めるとしたら今が潮時である。旅を続ける場合は寒さ対策が欠かせない。新しく買ったポンチョ一つでは足元は無防備である。野宿で凍死の恐れがある。極小のリュックを買ったが食料品などは入れたら満杯で使い物にならない。ここは大きいリュックとマット、テントを買うべきではないかと。散財ではある。日本で何か職を得よう! 店の開店はレシートで調べると10時であると。アーヘン出発を10:30として35kmの行程では夜行となってしまうが逆にテントを張るには都合がよい。ここは前向きに!
アーヘンのスポーツshopの開店時間10:00をまっても玄関はあかない。なにをもたもたしているのか?と思う。10:05漸くドアが開いた。リュックやテントを奪うようにレジに持っていき、その場で荷造りが始まる。合計は600ユーロを軽く超える。この価格に恐れをなしシェラフを買うのを踏みとどまってしまった。嵩張ることも要因の一つであったがその後寒さに苦しむことになった。
マットをリュックの側面に付け出発。時刻は10時半。何時もより2時間半から4時間も遅い。
Aachen Jakobsweg さあ出発
(tue) 21
Jul 10:44
スポーツshop と対峙する広場からJakobswegなるヤコブ通りが始まっていた。
新調したリュック(60L+10Lという本格的なものだったが非常に軽く優れもの。大きくは感じさせない。)とテント(変形の台形をした奇妙な形。ポールは台形型一つ。店では最軽量という。)で旅を続ける。
アーヘンから10kmほどでベルギーとの国境である。オランダ・ベルギー・ドイツの3国の国境ポイントがあり、山の上は賑わっていた。十分観光スポットである。ここで日本人親子とベルギー人の家族と会う。記念撮影をして別れる。オランダも2kmほど歩いてベルギーに入る。何と静かな風景だろうか。日本の風景を彷彿とさせる。すなわち電柱があるのである。奈良の風景とも似ている。お寺を教会に変えればそのままベルギーとなる。
ドイツ側Aachenの峠の家
(tue) 21 Jul 11:49
デザインが美しい。ここから1kmも登ればベルギー国境である。
ベルギー国境のヘリを100mほど進めば次は「ドイツ、オランダ、ベルギー」の3国国境。大変な賑わいである。観光スポットになっておりレストランや展望台、公園など各国意匠をこらした店が軒を連ねる。ここにたまたま遊びに来ていた国際結婚のベルギー・日本カップルと彼女の母親の3人連れと会う。写真を撮って貰ったのがこの写真。
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ドイツ、オランダ、ベルギー国境にて (tue) 21 Jul12:23 久々の本人登場。ソポト(sopot)で散髪以来、髪が伸びていない。 新しいリュックを担いでまだ4時間しかたっていないが実に軽い! マットは薄っぺらであるが、2mもあり身長を十分カバーしてくれ助かっている。 もう笑っている。くよくよしても始まらない。さぁ頑張って進め! |
ここからフランス語となり水を得た魚のように漸く言葉が分かる国に到着した。しかも景色は日本と似ている。神社仏閣の代わりにあらゆる村には教会がある。電柱も出現した。見慣れた日本の風景である。
国境からはcamino道と言うべき杣道をひたすら歩く。丘を越えても越えても丘が続き、それはそれは果てしない。
何百という丘を越えればマース川というベルギーきっての大河が現れる筈。自転車人に聞いてみたが知らないと言う。不安を煽りたてる回答である。
選んだ道は田舎道ばかり。やはり心配していたようにスーパーが無い。ドイツで買った食料を食いつなぐしか手がない。大きな町を経由するまでは辛抱。さてAubel(オペル)の町に着いた。起伏の多い丘陵地帯にポツンと町がある。決まってどの町にも教会があるが閉まっている。広場ではレストランがパラソル合戦。一番流行っている店に飛び込み料理をオーダー。食事中にはタブレットのチャージをお願いする。行程はまだ5kmも残っているがビールが旨い。夕闇迫る中を丘陵地帯をいく。予定したより3km手前で山に入っていく道を発見。牧場に上がっていく道。よい平坦な場所を見つけた。明るいうちに初めてのテントを張らねばならない。紐で引っ張る形のテントであるがポールが変形一本であるので至って簡単。2mのマットが余裕で展開出来る。荷物の出し入れは横サイドからとアクセスは抜群。ただMontBellのよりも結露が多い。この点ドアの開け閉めを工夫すれば何とかなるのでは。
買ったばかりのドイツ製のテントを初めて森の中で張る。説明書はなんと20ヶ国語で書いてある。英語の部分はわずか10行。大したことは書いていない。すべては店で展示してあった形を思い起こしながらの作業となった。なんとペグとワイヤーで四方から引っ張る形となっておりこのため必要スペースは2mx3mくらいと結構場所を取ることが判明。それでもどうにかテントを張り終え、中に入れば自分の世界。満足げに就寝。
ベルギー・Gemmenich近郊
(tue) 21 Jul 15:22
丘が幾重にも。
Renersdaal(レメルスダール)オプサンニッシュ通り
(tue) 21
Jul 16:57
鉄道をくぐれば素朴な村が現れた。
自転車人が何人も行き来する。
【65. 7/22(水) Blégny(ブレニュー)手前5kmからEngis(アンジ)まで】
ふかふかの森。新しいテントを畳み森を抜け出す。テン場を計画したポイントを通過したがテントを張れそうになく昨夜の位置が正解であった。延々と丘陵地帯を行くが、プロの自転車レースのような集団が通り過ぎていく。食料はすべてドイツで買ってあるもので凌ぐ。店が一軒もないのである。さすが田園地帯。予想通りの展開である。
こちらではポーランドのSklep(雑貨屋場合には何でも屋)に相当するLottoが村々にある。Tabac-Cigarettesを売る店である。雑誌や新聞など地域の情報源となっている。たまには水やパンなどを売っており必ず寄るようにした。
テント泊が3泊も続くため大きな町で充電を頼まなければならない。
最初の大きな町Liège(リエージュ) に到着した。この町が9月に発覚する2020東京五輪のエンブレムで名を馳せた「リエージュ劇場」の現地であるということはこの時点では知らない。因縁のある町となった。
リエージュの街角で昼食を食べたときである。「Je
voudrais demander le même plat là bas.、(ジュヴドレドゥマンデ、ルメームプラ、ラバ)、Le même plat du côté de la table, s'il vous plaît.
(ルメームプラ、デュコテセットゥターブル、スィルヴプレ) or メームショーズシルブプレ」 などと大きな声で言いながら店内に入っていった。共に「あれと同じものが食べたい」というフランス語である。
ミートボールの巨大なのが美味しそうだったので。しかし、「シー」と言って注意された。これは食べている人には失礼にあたると。もっと小声で言えと。どれを指すのかと小さくジェスチャーで示せと。
このレストランではさんざん文句を言われた。しかしながら充電をしてくれたりと親切ではあったが。このレストランから以降パリまで、Tシャツの上から襟付きのロングシャツを羽織るようにして、礼儀を正すこととなる。
Photo 8:Liège(リエージュ) の河岸
(wed) 22 Jul 12:24
Liège(リエージュ) 眺望
(wed) 22
Jul 13:28
Liège(リエージュ) の町並み
(wed) 22
Jul 14:02
ここからはベルギーの大河Meuse(ムース)の蛇行に沿った旅となる。背後の丘を越えて近道を選ぶか蛇行に沿った遠回りを選ぶか。当方はあくまでも計画した道を進むがそのきつい事。カンカン照りの太陽ではへこたれる。
さて寒村のアンジに入った。広場で漸く数軒の店がopen。イタリア・シチリーからの移民の親子や親戚が経営しているBarであったりサンドイッチの店であったりと。要するに幾つかの店を梯子しながらの食事。ここでもタブレットにチャージを依頼。C型のコンセントを付けただけなので至って簡単。お願いすればどこでもやってくれる。ここから8kmは岩石粉砕やセメント工場が続く。ここで予定した場所よりも近くでテントを張る。川の土手が続き散歩道もあるのでまぁどこでもテントを張れそう。
フェルディナン・ニコレ通り
(wed) 22
Jul 16:43
上を行く鉄道と下の家屋群。
色彩が美しい。
【66. 7/23 Engis(アンジ)からHuy(ユイ)経由Sclaigeaux(スクレノー)まで】
イタリア移民たちが4,5軒の店を運営する。そのEngis(アンジ)中心街からN617街道をLa Meuse(マース川)に沿って西へ。この地域は石灰や鉄鉱石の主要生産地域であるワロン地域に属している。2012年にワロン地域の鉱山が世界遺産に指定された。ここにも3kmくらいの長さでセメント工場が続いている。石灰石の絶壁が続くがそれを原料にでもするのであろうか。巨大な工場が大昔からあったようで、鉱山の掘り跡が続く。
Amay(アメ)の街角
(thu) 23
Jul 8:21
歴史地区で山の上まで教会などがある。
プロの自転車競技者
(thu) 23 Jul 8:56
ムース川は北に向かってオランダを通る。川の左岸(北側)と右岸ではこのあたり発展の様子が違っている。北側は岩石の山が続きそれを原料とする工場群。しかし電車が通っている。河畔は静か。づっと自転車道が続いている。
Huy(ユイ)眺望
(thu) 23 Jul 10:47
鉱山で栄えた町がLa Meuse(マース川)沿いに点在。
水鳥が沢山いる。船着場にスロープがありボートの出し入れを行うのであろうか。水浴びではないが髭でも剃ろうと進み出て転んでしまった。藻に体重が乗った瞬間すってん。なんと注意深く水に入ろうとしているのに立て続けに2回も。何かに捕まらなければとても歩けない。おかけで身体はびしょ濡れに。これも都合がよいかもわからない。水浴びでもと。
川遊び
(thu) 23
Jul 12:41
波止場があったので水と戯れる。ボートを引き上げる坂道がコケや藻でびっしり。
2回も転ぶ。びしょ濡れとなったが、この草むらで寝転がって乾かす。
Huy(ユイ)、Andenne(アンダンヌ)と、町が続く。前者は川の右岸、後者は左岸に開けた町である。レストランや買い物はその特性を知らなければいつまでたっても店一つないということになる。
遠回りでも、一旦は町の中心部へ進むようにしないと長い徒歩では食糧難に陥ってしまう。ただテント場には困らない。川岸に緑地が広がり宅地以外の林などいくらでも見つけることができたからだ。
時間が遅ければ遅いほどテントを張るのに抵抗は無くなる。テントを張れる時間まで歩いてやっと計画ポイントに近づいた。アーヘンを遅く立ったしわ寄せが漸く解消。テントの色は草色。目立たないので助かる。
水鳥の帰宅時間は?
(thu) 23
Jul 19:41
水鳥の帰宅時間は19時。一斉に歩き始めた?
【67. 7/24(金) Sclaigeaux(スクレノー)からNamur(ナミュール)まで】
マース川河畔には岩石を船から降ろす場所がいくつかあった。前日はそのなかのSclaigeaux(スクレノー)という町で設営。そのスクレノーを立ち、川の左岸に道を替えてNamur(ナミュール)を目指す。
Sclaigeaux(スクレノー)の川の朝
(fri) 24
Jul 6:29
Samson(サムソン)
(fri) 24
Jul 7:30
欄干で沢山の生徒が手を振っていた。そのうちにバスがやってきて消えた。
まだ学校が続いていただ。
ここでポーランドはグダンスクから歩いてきた巡礼者と会った。15kmほど行程を共にする。ポーランドに来たら寄ってくれと。サンテャゴまで歩くと言っていた。
ナミュールですべてを解決する必要がある。2日前にベルギー用にとリエージュ手前のキヨスクで買ったsimカードがまたまた使えないのである。ナミュールからの行程をこのマース川沿いとした場合の宿泊ポイント。でなければ内陸を6日行くための大量の食料の買い出し。ユースの予約が取れていないようなので5km南(ムース川を遡上する方向)のホテルへ進むこと。などである。川岸の芝生で休んでいたら同じような格好のバッグパッカーが歩いてきた。ポーランド・グダンスク近くの自宅からサンチャゴまでの予定でテント泊のみですでに1ヶ月歩いているのだという。十分臭っていたが。
驚いたものだ。スマホ一つだけで地図もなにも持たず1日40-50kmを歩き夕闇に紛れてテントを張る若者であった。ナミュールまで一緒に歩く。マース川に沿ってフランス国境に入ってからは計画が無いというので、さらに南下してLe・Puyまで行けとコメントしておいた。ヨーロッパの人はシェンゲン協定が適用されないので何ヶ月でも気ままに旅を続けられる。こちらはタイトなスケジュールであるというのに。この青年小生と別れてから近くのスーパーで大好きなチョコレートペーストの瓶を見つけてきたらしく再び川岸のベンチ(彼は"バンク"と言っており会話で意味が分からなかったものだがこれで解消)で一緒になった。
ポーランド青年愛用のチョコレートジャム
(fri) 24
Jul 11:13
重たい瓶詰・・750gもある。
しかし考えようではパンの食事が美味しくなり、
これを塗って食べれば最高の食環境を構築できる。
となると軽い物である。
小生もピーナツバターの瓶を愛用し出した。
ナミュールの町にもJakobsWegのマークがあった。simカードのBase社の販売店に寄って事情を聞く。ドイツからベルギーに入ってもvodafoneのsimカードのままでインターネットをonにしたままであったため、キヨスクで買ったBase社のsim(15ユーロ)を挿入した途端15ユーロ分が飛んでしまったのではないかとの何やら分からない説明。インターネットを使わないときはモバイルネットワークの「データ通信を有効にする」のチェックは外しておけという。新しいsimを購入して問題解決。i(インフォメーション)に立ち寄り今後のコースを相談。川沿いを行けと。町が沢山あって食料や銀行の心配はないという。今後フランス国境までのコースの変更を検討し始める。こちらの方が道が簡単である分距離は稼げる。しかも巡礼街道(マースの道)に近い。1日40kmでも歩けるため目的のReims(ランス)に到達出来るのではと。列車も利用できる。
Namur(ナミュール)
(fri) 24
Jul 11:30
丘の中腹にお城があった。右の橋の袂にツーリスト・インフォメーションがあり色々情報をget。
ホテルには浴槽があった。ヨーロッパに来て初めてである。今まで全部シャワーであったから。うれしくなって湯船に何回も浸かる。
ナミュールではやっとベルギーsimを購入。これから6日間ほど山を通るため位置確認が絶対必要であるからだ。
フランス国境までのコースは3通りほど。就寝時には川沿いを進み早くフランス国境に行きつく案に切り替わっていたのに、朝方気が変わった。やはり練りに練った当初案で行こうと。その理由は川沿いのコースでもよく見ると蛇行部分は山越えの短絡ルートをGoogle Mapが示してきたからである。山越えは迷子を覚悟しなければならない。だとすれば当初案のほうがある意味調べ尽くしている道なので安心である。もう一つはせっかく買ったsimが1日で使えなくなるのは惜しいのではないかという経済的理由。
Hampton's Hotel Namurの自転車競技サポート車
(fri) 24
Jul 16:01
Namur(ナミュール)からReims(ランス)までのmap
187kmを5泊6日で。5泊はテント泊。
Namur(ベルギー・ナミュール)からReims(フランス・ランス)の国境越え
距離にして180km。これを5泊6日で越える。テント泊のみで食料6日分を背負ってと。
今回の長丁場の歩行で最大の難関コースとなっている。実はこの区間があるために「キャスター付きの荷車を曳く」、「ソーラーパネルで太陽発電を行う」という条件を付加していたのだ。村々を縫っていくために地図を見ながらの歩行となる。タブレットの電池が持たない。路頭に迷って国境の壮大な森に消えるのかと。最初の案では全て「村」を通るものであったが余りにもリスクが高い。
2案として多少遠回りになるがやや大きな町を経由する案を急遽挿入しその第2案で行こうと思っていたのだ。ここに来てポーランド巡礼青年の「ムース川南下」というよりより安全な第3案が俄かに浮上した。この案では1日でフランス(静岡市の市の境が南アルプスの間ノ岳(3189mまで北に張り出しているようにフランス領域が深くベルギーに入り込んだ形)に入り中核都市Charlevilla Mezieresに至る。そこからは電車なりでReims(ランス)に行き着くことができる。最も安全なコースでinformationの女性も推奨してくれている。以外7/25の日記に続く。
ベルギー・フランス徒然
フランス語・・ドイツからベルギーへ国境を1m越えただけなのに突然フランス語になった。標識や商品にはベルギー語が併記されるが話す言葉はフランス語である。ベルギーから以西少し知ってるフランス語が喋れて嬉しい。
リュックとテント・・今回期せずしてドイツ製のリュックとテントを担ぐことになったが性能が凄い。共にアーヘンのスポーツショップSporthaus Drucksで買ったMcKINLEY(マッキンレー)のブランド。リュックの商品名はYukonで60+10Lの容積ながら何も背負っていないと感じるほど軽い。雨用のカバーが底に付けてありワンタッチで開く。テントの方はL220xW80xH85の変形四角錐。重さは1.3kg。Mont-Bellの世界最軽量シェルター(700g)と比べるとこちらは重いが本格テントの完全防水型、アルミニウムの梁(骨格)が一本。外人用に背丈が長い点が良い。荷物の出し入れは横幅180cmが使えものすごく楽である。難点は操作に時間が掛かる点。M-Bは10分、こちらは20分とまだ不慣れなせいで時間がかかっているが。芝生などの上で張るのを前提にしており紐で引っ張るタイプ。
【68. 7/25(土) Namur(ナミュール)からFravion(フラヴィオン)まで】
ナミュール中心から5km南のホテルHampton'sではプロの自転車競技のチームが2チーム。大変な賑わいである。朝食も予約席となっていた。外は大雨。大変な1 日になりそうである。朝からコース取りの思案。 9分9輪第3案(上記 )の積もりで朝を迎えていた。
しかしケチな性分。せっかく買ったベルギーnetが使えるsimカード(15ユーロ)が1日で使えなくなるのは余りにも惜しい。電車利用となると歩行行為が途切れてしまう。Google
Mapで見ると Charlevilla Mezieresへでも最短ルートは森を通りムース川沿いにはなっていない。フランス側の森も何10kmと抜けなければならない・・と言ったように自己都合のいちゃもんを付け結局当初案通り第2案で行くことにしてホテルを飛び出した。丘陵をジグザグ。きつい登り下りの難関コースであるがGoogle Mapで現在位置を確認できるので安心。これはベルギー国内だけ。あとはキャッシュされた概略地図でおぼろげな位置確認ができて有用。
ナミュールからフランス国境Couvin(クーヴァン)までの田舎道を行く。ムース川沿いから(標高 83m)丘を上がっていく。道はいきなり「行き止まり」の標識に一瞬ドキッとするが構わず上っていくとやはり車止めが。峠の通りのような開けた空間(151m)があった。道はさらに上り詰める。雨が降り続いている。
今度は物凄い暴風雨となってきた。ヤッケの上にポンチョを着てもフードが吹き飛ばされて無防備となる。
身体の前の小さなザックのカバーが防水効果が疑わしくボトボトに濡れてきた。アーヘンで買った防水スプレーをガソリンスタンドの洗車場のスペースを借りて吹き付ける。見ると人気のパン屋(Boulangeria dos Prazeres(ドスブラゼレス ベーカリー))があった。豪雨にもかからわず次から次へと車が止まる。
951号の街道を Lesve(レヴ 260m) Saint-Gérard(サン= ジェラール 215m) Ermeton-sur-Biert(エルムトン= シュル= ビエール 210m)などの村々を抜けていく。決まってスーパーなどがなく閑散としているのには落胆である。
近郊の風景
(sat) 25
Jul 15:13
のどかな田園地帯。ベルギーらしい風景である。
午後は雨に加え突風が吹き荒れた。民家の大きな庭に逃げ込み1時間以上木の下で退避。テント場所としても最適なので交渉を試みるも呼び鈴には反応せず。
Fravion(フラヴィオン)の嵐 雨宿り
(sat) 25
Jul 15:53
L951が庭先から見えているように少し奥まった場所で嵐を避ける。
やむなく予定のフラヴィオンの村に進路を取る。余程の強風であったのだろう。風に煽られた車がこっちに向かって突進してきた。危ない所で運転手が車を立て直した。S字を描きながら去っていった。壮大な畑の一角を占領するように森が横たわっていた。今日はこの森でテントを張ろう。20:00頃就寝。
麦畑を吹き渡る風は少し弱くなっていた。束の間の薙ぎであろうか。この機会に速歩でをテントを張る場所を確保したい。
Fravion(フラヴィオン)の嵐 麦畑
(sat) 25 Jul 15:54
風の音がすごい。車はS字を描きながらこちらに突進してきた。
Fravion(フラヴィオン)へ
(sat) 25
Jul 17:26
田舎道を歩く。ドイツと違い安全な道である。
村に入っていって目出つ姿を晒すのは憚られる。ここは高台から村を見下ろす場所である。1km四方の麦畑の辺縁に林がある。狙い目である。
出来る限り平坦地を探したい。狙ったところはほとんだが傾斜地。森の中で漸く平坦地を探したがテントを引っ張るための紐の位置に刺のある植物が密集。
これを掃っては掃い、スペースを確保。もう鬼のような形相である。
Fravion(フラヴィオン)のテント
(sat) 25
Jul 19:16
変形6角形、遠目には四角錐。金属製梁は台形の形をした一本と、末端部に開口部確保のための30cm一本。紐は合計5本で上下で引っ張る。なんとも複雑。折畳む方法はまだマスターしていない。Mont-Bellのウルトラライト・ドームシェルターであれば教師の資格を取ってもよいぐらい熟練していたのに今は無い。
【69. 7/26(日) Fravion(フラヴィオン)からCouvin(クーヴァン)まで】
Fravion(フラヴィオン)の朝
(sun) 26
Jul 6:37
奥には牛が草をはむ。
かれらは1日中外で暮らすのであろうか。
日曜日の村は静まりかえっている。今日も超難関コース。
Fravion(フラヴィオン)の朝
(sun) 26
Jul 6:37
朝日が差してきた。
水溜まりが続く農道を延々10kmも。ハンブルグで買った磁石は回転ばかりして使い物にならない。あげくの果て南北が逆になってしまった。こんな安物の磁石を売らないでほしい。もう太陽とタブレットの磁石ソフトだけに頼ろう。これもキャリブレーションが完了しいないのかどうも方角が怪しい。しかも電池が無くなれば終わりである。ピザ屋が屋台を出していたので閉店の15:00まで粘る。タブレット充電の為である。今後もこのような長居が必要になってくる。コーラやビールのお代わりで時間を持たせる。
Couvin(クーヴァン)への道
(sun) 26
Jul 9:02 なかなかのトレッキングコースとなった。
丘陵地帯を行く。農道はでこぼこ。水たまりが続きかなりの悪路。延々農場をすすみ、難解な場所に差し掛かった。送電線が目安であったが、歩く道でなかった。牧場の中を横切るような道はとても行けない。牛たちが居るためである。大きく迂回しながら細心の注意を払い現在地確認をしながら村々を抜けていく。
Couvin(クーヴァン)への道・・牛
(sun) 26
Jul 10:55
Rosée(ロゼ)、Franchimont(フランシモン)、Merlemont(メルルモン)、Villers-en-Fagne(ヴィレ=アン= ファーニュ)、Fagnolle(ファニョル)と幾多の村々を越えてついにMariembourg(マリオン ブール) に入った。
真っ四角の道が相似形をなして2重に中心部をぐるりと取り囲んでいる。雨が強くなってきた。ハンバーグ屋(Robert / Hugues)で雨宿り。「機関銃」というハンバーグを注文。まさに巨大なハンバーグが出てきた。
さてクーヴァンに近づいた。幹線道路のN5が唸りをあげている。恐ろしくて近づけない。生活道路を迂回しながら町に近寄る。高速道路工事現場が見えた。隣は牧場である。テントの一端が牧場に掛かるので挨拶に行ったが仕事場だけの建て屋。日曜日のためであろうか工事現場は静まりかえっている。そのまま設営。