ヨーロッパ横断紀行
ランナーの巡礼歩き〜クラクフからジブラルタルまで6700km〜 太田 宏
18・・その2−スペイン4(モンテレイナからセビージャ、カディス経由ラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオン/ジブラルタルまで。さらにセビージャまで) 10/23−11/6)
【66.10/23(日)Monterreina(モンテレイナ)からHuelva(ウエルバ)まで】
【67.10/24(月)Huelva(ウエルバ)からSevilla(セビージャ)まで−10/26(水)】
【68.10/27(木)Sevilla(セビージャ)からUtrena(ウトレナ)まで】
【69.10/28(金)Utrera(ウトレラ)からLas Cabezas de San Jean(ラス・カベサス・デ・サン・ファン)まで】
【70.10/29(土)Las Cabezas de San Jean(ラス・カベサス・デ・サン・ファン)からEl Cuervo(エル・クエルボ)まで】
【71.10/30(日) El Cuervo(エル・クエルボ)からJerez de la Frontera(ヘレス・デ・ラ・フロンテラ)まで】
【72.10/31(月) Jerez de la Frontera(ヘレス・デ・ラ・フロンテラ)からCádiz(カディス)まで−11/1(火)】
【73.11/2(水) Cádiz(カディス)からConil de la Frontera (コニール・デ・ラ・フロンティア)まで】
【74.11/3(木) Conil de la Frontera (コニール・デ・ラ・フロンティア)からEl Cañal(エル・カニャル)まで】
【75.11/4(金) El Cañal(エル・カニャル)からTarofa(タリファ)まで】
【76.11/5(土) Tarofa(タリファ)からLa Lí nea de la Concepción)(ラ・リネア・デ・ラ・コンセプション)、 Gibraltar(ジブラルタル)まで】
【77.11/6(日) La Lí nea de la Concepción)(ラ・リネア)からSevilla(セビージャ)まで】
現地報告+回想録【Memoir】合体版
【66.10/23(日)Monterreina(モンテレイナ)からHuelva(ウエルバ)まで】
10/23(日)現地報告+回想録【Memoir74】
今日のコースはMonterreina(モンテレイナ)(テント)からLepe(レペ)→Cartaya(カルタヤ)→Bellavista→Urb.Patria→Carralesを経由してHuelva(ウエルバ)までの徒歩24km、車14km。
2:12 雨粒で目が覚める。換気のためベンチレータを効かせていたのだ。テントの入り口を編み目のみにしている。天気のいい日はそこから満天の星空を楽しむことができる。
3:30 星空を確認。今日は晴れ渡る日なのか? さに有らず、また降ってきた。
4:40 雨の中を起床。中はあまり浸潤していない。結露もなく快適。ぐずぐずの食事、喉を通らないのだ。鰯の缶詰、ドレッシングの入っていないサラダ、赤ピーマン、バナナ、すぐぺちゃんこになってしまう味気のないパンを口にふくんでいく。ペットボトルの水で流し込む。白ブドウの水分と甘味は随分助かる。〆はアップルパイ風菓子など。車が近づく度にヘッドランプを塞いだり消したりと。6:40 真っ暗な中を出発。ヘッドランプをつけて進行。
7:53 テント場所から5760mでLepeの町。
大きく迂回している国道を避けて町を目指す。 この町驚いたことに建物が建っているほんのそばまで泥んこの土道。1.4kmもの悪路をどうして舗装しないのか不思議。農業一本の町なのか健康増進のためジョギングコースとしてCamino 道のような土道を敢えて残したのか聞いてみたいところだ。
8:25 まだ暗い。
Lepe(レペ)(8:39)
9:00 町を抜け出すのにひと苦労。 延々北に進路をとる。フェンスの中にも北に進む土道。これが途切れない限り100m横を行く国道には戻れない。Poligono Industrial Cortés Dazaという工業団地が始まる所でやっと抜け出し国道へ。縁石がありマットを敷いて横になる。やっと日の出のようであるが曇っていて寒い。雨具に身を包む。日曜とて全体に閑散とした風景。
国道N431を歩いているとガードレールの下からにょっきと人の腕。Bellota(ベヨタ:ドングリ)を拾っているのだった。ドングリは細長く太い。国道沿いにはこの木が一杯植わっている、その一つをバケツに収穫しているのであった。
11:10 Cartaya(カルタヤ)の町に入る。
Bar-Riá Pitáでcafe+菓子休憩。充電。表に7つテーブルを縦列に並べている。外に5人、中には15人ほど。賑やかだ。アンダルシアの陽気さである。また雨が降りだした。11:33まで粘ったものの今日は長丁場である、先を急ぐ。
Cartaya(カルタヤ)(11:39)
このCartaya(カルタヤ)の市内から出る場所でまた道に迷ってしまった。
ここからが森なのにぐずぐずしていられない。行っては戻りとどうも自動車道路のランドアバウトがどこも一緒のように見えてしまう町である。不思議な町であった。もう走りたくなった心境。
朝からスマホの調子がおかしい。画面が切り替わらない、切り替わろうと努力はしてくれているようだが1ページ目に戻ってしまう。My Mapを入れている「アルバム」が暴走、Maps.Meも立ち上がらない、等々。なんと完全にOutである。時間のロスもいいところ。電源を切っては入れるのだがそれでも言うことをきいてくれない、万事窮す。
何回かやっているとたまに動く事があるのでそれを期待して東方向に進む。
ただ森を通るコースは危険が多い。さりとて国道はとんでもない方角に行っている。ここに来て磁石が地図の方角を示さなくなった。磁気偏差は30度以上もある(この地域の偏差は-1.45度であったがなぜか小生のは大きい)。磁石が東をさし、道も東に向かっているのに地図では南東に向った道となっている。
太陽は以前は東に90度に上がっていたのに、ここでは120度を指す。
13:02 1.5kmに橋。漸くランドマークであった小川の橋(25_06_004_c)に来て同定できたくらいだ。
左腰が擦れて耐えきれなく痛い。リュックの心棒が折れたため全体が下に沈み込み腰の部分に当たるためである。休息、処置を考えよう。ナノタオルという大きな布を擦れる場所にあてがう。これが結構調子がよい。靴は穴が開いている。穴の開いた靴をカバーするように右足は爪先から着地。runningが一番今の状態には適している。
Google Map
OpenStreetMap
b地点で車と出会う。
このままでは遭難するのではないかと不安になってきた。しかも雨が降ったり止んだりと目まぐるしい。たまたま立ち上がったMaps.Meを見ると森のなかの編み目のような道は正しく選ばれている。ここでMy Mapさえ上手く動作してくれれば10kmに及ぶ森を抜け出せる筈。東に進みさえすれば生還できるのだ。どうもスマホが濡れていて暴走するようだ。雨の進軍は複雑な道は無理であろう。23kmの地点。
森のなか。あと13kmなんとか頑張ればHuelvaウエルヴァに着く。時間は14:30。
もしにっちもさっちも行かなくなったら同じ道を戻って先ほどあった煙が出ていた人家に駆け込みタクシーを呼んでもらおう!
25_06_005_cの地点。(森の中の道でも、GoogleMapでは車道のように2重線であるが、OpenStreetMapでは点線表示されるため分かりやすかったのかもしれない。今回の反省点の一つ。)
人生、最大の危機。今回の旅ではダメになったタブレットに代わり、どれだけスマホに助けられたか。そのスマホが暴走するとは。あとは"研ぎ澄まされた"(?)五感に頼るだけだ。暫く時間が経過。
Huelva(ウエルバ近郊)(sketched at 16:13 in angle of 34°)
森のなか・・透けているため閉塞感はない。
なんとこの森に一台の車が犬を従走させて近づいてきた。話しかけてきた。「何か困って居ないのか?」と聞いてきた。コースは間違っていないのだが、なにせスマホが動かないと窮状を訴えた。ならば助けてあげようと、なんと神様のような方。Antonio さんであった。止めどもなく涙が溢れる。面目ない。
ところがこの車、市内で迷いに迷って漸くアルベルゲに到着。あぁ地図がちゃんと起動出来ていれば指図出来たのにと。ホステルは一室を独り占め。宿泊者の中で歩いている人はいないのだと。
部屋でスマホが乾いてきたのかサクサク動く。悔しいではないか。空気中の湿度に左右されるのであろうか。今後はハンカチで防衛しよう。昨夜来のテントと寝袋を部屋で乾かす。
というわけで本日は残り13kmをスルー。このアルベルゲ、キッチンはない。立派な作りの4階建ての四角いビル。中庭や回廊があり雨を防いでくれている。
傷心の私、近所の郷土料理店 La Pintaでバイキング風のアラカルト魚、肉、野菜という風に指差しで選んでいく。pescaitos fritos(ペスカイトス フリトス:小う魚のフライ)にセルベッサ。
勘定を頼んだらたったの3.6ユーロ。テーブルに現在出ている食器をカウントしただけなのだ。正直に申告して10ユーロほど払ってきたがこの店今までどれ程損をしてきたのだろうかと心配になった。
Map:Between Monterreina and Hueiva
(モンテレイナからウエルバまでの地図)
B-C間が車での移動
【67.10/24(月)Huelva(ウエルバ)からSevilla(セビージャ)まで−10/26(水)】
10/24(月)現地報告+回想録【Memoir75】
今日のコースはHuelva(ウエルバ)からSulxentral Eléctrica--San Juan del Puerto(サン・ファン・デル・プエルト)経由で、Sevilla(セビージャ)までの徒歩12km、電車81km。
今日は待望の月曜日。店も全部開いていて活気が取り戻せているであろうか。友の忠告では雨の日スマホは止めろと。雨で表面電流の微弱な電流変化を感知出来なくなっているようだ。防水のスタッフバッグに仕舞い見るときはBarなど室内に限ろう。昨日あれだけぼやいてしまったスマホに謝る。町を抜け出すまでの7kmは紙に書き写していこう。朝食を7:30にお願いしているのでそれまでに作業を終えなければならない。
Huelva(ウエルバ)のアルベルゲはAlbergue
Inturjoven Huelvaといい、ユースホステルのようなビルであった。大勢の若者が宿泊していたようで朝の食堂が賑わっていた。7:30-8:00に朝食を取る。バイキング方式で、何を食べても自由というのがよかった。おやつ用にパンを焼いたり、ジャムを塗ったりと万端の準備。雨模様の天気で路面は濡れている。大通りに出ると学校があり多数の生徒がビルに吸い込まれていく。8:30が始業時間のようである。
10:30--11:05 3.7kmのカウントのうち1519で工業団地のBarに到着。
この日記ではあまり景色のことを書いていない。少し説明しよう。昨日分まではそれこそ果樹園かオリーブ畑の連続。国道はユーカリ林か松の列植林。果樹園などはずっと有刺鉄線が張られた景観。日本のように車を止めてゆっくり拝観という景色ではない。それがなん十キロも続く。森は松に似た樹木が植えられ大変透けた空間を作り起伏はあるものの遥か先まで見通せて明るい。こんな場所をrunningできたらどれ程楽しいか。
(A-5000沿道の花)(9:04)
大通りのAv.de las Fuerzas Armadas(フェルサス・アマダス通り)は幹線A-5000で、12km先のSan Juan del Puerto(サン・ファン・デル・プエルト)でA-472となりA-8076、A49のように幹線の名前を変え乍らSevilla(セビージャ)に入っていく。トラックなどが多い産業道路である。
90kmを3日で踏破することを計画した朝の行動開始であったが、途中で気がかわった。このあたりがシリアスではないという証拠である。計画したコースはまさにこの自動車道路そのもので歩道部分は白線の内側だけで1mの幅もない恐ろしき道路。車専用道のような感じ。
歩く人は誰もいないのである。工場地帯では緩衝地帯にもう一本道があり平行に進んでいる。この道に退避できたのは幸いである。そこにBarがあり工場の人達や運転手たちが多数出入りしていた。
Barで今後の身の振り方につき1人作戦会議を開いた。このままA5000を行き続け今日の32kmがすべてこれであるとしたら大いに問題であるのではと考え出した。セビージャまであと79km。VillarasaとCastilleja
del Campoと2日連続のテント泊。穴の開いた靴、靴の新調を考えた場合、早めにセビージャに到着すべきではないかと。caminoのように土道があればよいのだが大都市近郊の直線的な交通網だけで期待ができない。ここは電車で移動して時間が空いた分、Sevilla(セビージャ)の観光と、靴などの新調に時間を割いた方がよかろうと。
あいにくHuelva(ウエルバ)が日曜日だったので靴がgetできていないのだ。
本日の徒歩コースで、鉄道の駅に最も近いのはSan Juan del Puerto(サン・ファン・デル・プエルト)である。まずそこに行って様子を見てみようということになった。
11:38 SanJuan del Puerto の町境に着いた。110m先にlocal線のバス停がある。時刻表を見みよう、この近くには鉄道駅もある。しかし驚いたことにバス停や駅にも時刻表というものがない。駅前のBarに聞いても1日3本ぐらいだがはっきりしたことが分からないと手を広げる。
駅の小さなホームで思案にくれていたら先ほどのBarの男性がスマホをかざしながら飛んできた。ネットで時刻表を調べたようだ。次発は15:12という。(最近は、親切を受けると涙がすぐ流れてくる。昨日も森の中で泣いてしまった。)では待たしていただこうと。
San Juan del Puerto(サン・ファン・デル・プエルト)
(sketched at 14:10 in angle of
0°)
1日3便しかない電車を待っている。駅前の景色
そのBar「El Tangai」でRevueltos「Rustico(Chorizo,Morcilla,Huevo y
Patata)」とCañaで時間を潰す。何時間待ってもセビージャに直行すべきと。セビージャで3日過ごした後、いよいよcamino de Cádizに向う。新しい靴で! Decathlon(sports shop :デカトロン)へ買いに行こう。
USBソケット付きの電源プラグも昨日から無い。テント場か途中のリュック操作で無くしたらしい。杖はもうとっくにゴムが摩耗しコツコツとうるさい音。ツーリズモでも十分な情報をgetしたい。ジブラルタルまでの合計350kmで有終の美を飾ろう。
15:12 Sevilla 行きの列車に乗り込む。4輌編成。定刻通り出発。15km先のPuerta del Bueyに停まった。車窓にはオリーブ畑の連なり。耕作が終わって耕した土だけの畑。15:28 車掌が来きた。Sevilla まで11.1ユーロ。15:33 次の駅
Pama del Condan。15:45 Escacena del Campo 、15:50 Carrión de los Céspedes まぁよく止まる列車だ。
ポルトガルの南部からアンダルシアにかけての家々が白いのは石造りの表面に白い漆喰を施してあるからだ。アクセントを付けるため窓枠にオレンジなどの色を塗っている。
16:04 Benacazón 。電車は北上しSevilla
の町を 半径5kmの円弧を描くように時計回りにして終着駅に近づいている。景色はオリーブ畑の連なりと土むくれ。農道は土道。気持ちよさそう。最寄りの駅を全部すっ飛ばしていく。町並みが見えてきた。割りと平坦。運河は濁っている。この分だと直前まで畑。陸橋など建造物には必ず太い丸文字。ニンジン畑に変わった。
市民の菜園も見える。日本と同じだ。多摩川の不法菜園ではあるまい。マルセイユと違って終着駅に近づくに従い太文字は無くなっていく。
16:32 セビージャ到着。晴れている。
Sevilla Sta. Justa(16:31)
ここから旧市街のど真ん中にあるホステルまでの道は途中から迷路中の迷路。約1.7km。道幅は1.5m、駅から、連泊のグランド ラックス ホステル(Grand Luxe
Hostel;Don Remondo, 7)までの最短ルートをMaps.Meで求めると約2km。曲がり角は100個くらいと。なんとごちゃごちゃした迷宮路であろうか。旧市街真っ只中のホテルへはそれこそ5m単位に道が変わるというすさまじいばかり。
まあそこは楽しんでいこう。途中にスーパーがあったが2度と戻れないだろう。道幅は2mほどか。車の幅+左右で30cmというありまさま。要するに15cmしか逃げ場がない。車が来たら各戸の玄関部分に身を寄せ、通過したら次の玄関に走るという形で前進していく。無事17:05 到着。
narrow street(狭い道路)(16:54)
18:00 ホステルの屋上で寛ぐ。ポーランド女性が作った夕食の残りとHuelva のアルベルゲから持ってきたパンで夕食。周囲の景観を気にしながら洗濯物を干す。スケッチなどしながら食事。とても忙しい。19:45目の前にカテドラルがライトアップ。絶好のポジションで一泊16ユーロ。
ホステルには驚いたことに屋上テラスがありビールを飲んだりしながら数人が寛いでいた。受付でビールを売っていたので2缶を買いスケッチ。
sketch and Catedral de
Sevilla(19:20)
Catedral de Sevilla(セビージャ大聖堂)
(sketched at 18:05 in angle of 220°)
左下は下界の通路。”狭い!"
20:30から大聖堂近くのタブラオでフラメンコ鑑賞。男2女2(男性の歌い手カンタオール(cantaor)が踊り手バイラオール(bailaor)を兼ねる、女性の歌い手カンタオーラ(cantaora)も踊り手バイラオーラ(bailaora)を兼ねる、踊り専門のバイラオーラとギタリスト・トケ(Toque)の4人が)のステージ。激しいリズムが巡礼を忘れさせてくれた。
Flamenco(20:42)
21:45就寝。
Map:Between Hueiva and Sevilla
(ウエルバからセビージャまでの地図)
今日のコースはSevilla(セビージャ)市内。郊外のDecathlon(デカトロン)に靴を買いに行く。投宿しているグランド・ラックス・ホステル(Grand Luxe Hostel)から100mも歩けば大聖堂である。
7:30起床、8:00 3rd floor で朝食。
9:30 大聖堂東側のツーリズモでCamino de Cádiz(カディスの道)の情報を聞く。
アンサーは大変つれないものであった。
公的なものでないので一切のマークはないと。挙げ句の果てに国道を指差しこの道がよかろうと。camino道なら調べはついている。もう結構。しかしスタンプはgetできた。Cádizまで5-6個のスタンプを貰うスペースはクレデンシャルに空けてある。最後にParisのノートルダムでスタンプを貰えれば裏表は埋ることになる。大聖堂の拝観はミサの後だと。
9:40-10:20 ミサに参列したいと言ったら祭壇に入れてくれた。
パイプオルガンの縦長の風景にも遠近法では天井の遥か上部に消失点があるのだなぁと説教も上の空で感心。そこをスケッチ。ミサのあとゆっくりしていたら追い出された。一般公開の11:00が近づく
外ではネットで予約した人達(日本人のツアー客はなど)とそうではない人達の2つの長蛇の列。こちらはその前にちゃっかりと見学できたわけだ。
Pipeorgan in Catedral de
Sevilla(セビージャ大聖堂内部のパイプオルガン)
(sketched at 10:00 in angle of 340°)
11:00から始まる無料のガイドツアーに参加。3班にわかれるほどの盛況ぶり。一つはスペイン語。他の2つは英語という。
tram in front of Cathedral
(10:39)
路面電車が大聖堂の前を行き交う
guide tour(11:06)
無料のガイドツアーが始まる
マリナとマリアンテの2人が英語のガイド、25分のガイドと思いきや昼食を挟んで3時間ほど、これには裏があった、レストランに寄って昼食、ナイトツアーや明日からのツアーの宣伝に余念がない。
モスリムとカソリックの融合した大聖堂。鐘塔は下部が石造り、上部がレンガ造りなどと詳細なガイドが続く。Torre del Oro(gold tower )なども見学。
guide tour(11:34)
Sevilla(11:56)
こちらは午後靴を買うという用事があるのだ、レストランに入った時点でさようなら。
Calle poeta muños san románにある郊外型大型スポーツ店「Decathlon
:デカトロン」 まで3.5kmの道を歩いて買い物に。穴の開いた靴も今日までだ。
昨年と歩いた距離は2500kmと変わらないのに、早くも穴が開いた。あと500kmも歩かなければならないのだ。いかに今回が過酷な道であったか。巨大なshopもトレッキングシューズ売り場には限定されたメーカーのものだけ。サイズを合わせ歩いてみたりと、とっかえひっかえ品物を試す。なにせ何かを買わないことにはこの店を後にできないのだ。店員がいない分、自由に試着でき助かる。新しい靴を買い古いのは捨てて来た。捨てるに際し記念撮影。
shoes(16:33)
靴は狙っていたAsoro(アゾーロー)は置いていず皆安い。TACNICA-vibram 。サイズEUR42(27cmレベル)99.99ユーロをget。靴底に「vibram」というブランド名が付いていた。今まで履いていAsoloの靴と同じで指先が太目、この方が豆が出来にくい。
市内へ戻るときArmasのバスターミナル(Estación
de Autobuses Plaza de Armas)に寄ってみた。さすがに大きな町である。南部へ行くための長距離バスはSan Sebastian の方だと。明日寄って見よう。ジブラルタルから戻って来るときに使うターミナルである。やはり11/6に利用する場合も、旧市街中心部にあるこのGrand Luxe Hostelがよかろう。
ArmasのターミナルからCanaljas通り、San
Eloy 通り、Sierpes通りを使って旧市街に戻る。この通りブティックが立ち並ぶ一大ショッピングストリート。驚くべくことに世界のブランドが全て揃っている。小雨降る大通りのあちこちから煙が棚引く。ターナーの風景画。煙りの脇では10cm位の木片を4片束ねて売っていた。「Palulú」と言う、camino仲間が教えてくれた。奥歯で噛んでチュウチュウするようだ。乾いたパイナップルの様な味がするようだ。アラブ系の人も多く行き交うために売られている。面白いのは栗の煙が目印となっている点だ。ずっと地味ではある。
(焼き栗)(18:24)
19:30 カテドラル東側をスケッチ。
Catedral de Sevilla from Plaza Virgen de los Reyes
(セビージャ大聖堂前の広場より )(sketched at 18:59 in angle of 220°)
右は、ヒラルダの鐘楼。大聖堂まえの広場でスケッチをしていたらシャモニーから来たというご婦人が話しかけてきた。絵を描くご婦人でそのごfacebookで交信するようになった。
雨が止んだ瞬間に。いつまた降りだすかドキドキ。シャモニーに住むというフランス人旅行者が声を掛けて来た。不思議な事を言う。1日4枚?を描きながらそれをインターネットに公開している人達が世界中にいる。貴方はその一人かと。シルビエスクさんである。彼女も絵を趣味で描くという。
さて部屋に帰って驚いた。昨日夜中の2時にシャワーを浴びてうるさかった男性であるが何とスペインでシェフをしており今回休みを取って国内を1ケ月歩いていると言う、同じように靴を履きつぶしていた。今日新しいのを近所で買ったという。
夕食はスパゲッティー。今回のように長期(3日も)滞在していると普段は買えない食材が買える。スパゲッティは400gや500gと、カルボナーラなどは一缶を買える。2、3回分の分量である。
次に驚くべきことが。部屋に戻ると日本人が荷ほどきをしていた。久しぶりの日本語で話が弾む。Hostelに荷物を置いたままモロッコに行ってきたという横浜出身の青年。カナダで育ったといいモロッコで級友と6、7年り再会できたと。なんという偶然だろうか。
26th(Wed) Oct.Sevilla+【Memoir77】(現地報告+回想録)
今日のコースはSevilla(セビージャ)市内。
窓の扉を少し開ければ晴れ渡った空が眺められた。7:30起床も部屋には深夜に増えたらしい4人を入れて6人はまだ寝ている。ヘッドランプを付けながらの操作、シャワーを"静かに"浴び、フロントへ。
6th Nov.もこのHostelを予約したい。7日朝一番飛行機(Sevilla→Paris)へはここからタクシーで向かう形とした。そのまま食堂へ。朝の食事と日記の記入など。同室の渡邉君が上がってきた。色々情報交換。夕刻グラナダに向かうと言う。航空券は予めプリントアウトしておかなければならないと、バーコードが付いたシートが重要なのだと。1月に予約をしてあるが返信メールには予約番号がメールで来ていた。これをプリントアウトする必要がある。ホテルに後で頼んでみよう。
San Sebastian のバスターミナルに行って最終目的地のジブラルタルからSevillaまで戻ってくるバスがあるかどうかを確認。最寄りのLa Luneaからアルヘシラス、タリファ経由でセビージャまでのバスは1日4便。マラガ経由が欲しいのだがなさそう。
Plaza Españaへ向かう。このセルビーリャ 「大きな公園に囲まれた町」、公園の中に町があるように樹木や広場だらけである、パカパカと小気味良く馬車の沓音。
La Plaza de España (スペイン広場
)(12:20)
La Plaza de España (スペイン広場
)(12:20)
Plaza de España(スペイン広場)の隣にはParque de María Luisa(マリア・ルイサ公園)があり、土道が張り巡らされており緑陰の散策は最高であろう。大聖堂の南に位置するアルカサル(Real Alcázar de Sevilla スペイン王室の宮殿)には世界中の植物が植わっており鑑賞できる。とにかくここセビージャは緑が多い。
Parque de María Luisa(マリア・ルイサ公園)(12:31)
Puente de los Remedios(レメディオス橋)へ進む。Alfonso運河は川のように広く青い。Puente Teimoまでは行かずAv.de Rima通りを北東に。大聖堂のGiralda Bell Towe(ヒラルダの鐘塔)に登ってみよう。Barでパン休憩。
13:00-13:30 大聖堂見学の列に並ぶ。9ユーロ。説明では世界最大のゴシック建築。鐘楼は96m、聖堂中央交差部分の高さ37m、建物全体の面積23,500平米。十字の部分---126m x 83m。
13:55 鐘塔頂上。西側から時計回りに3枚づつ写真。14:00に耳元で鐘、合計25個の鐘全部が同時に撞かれるようだ。帰りのスロープをカウント、全部で41辺。4x10+1 中心部を10回周回した勘定。途中で休まなければ目を回してしまう。スケッチのとき窓の位置が左右で違っていたのはこのスロープのせいであったのだ。
La Giralda(13:49)
ヒラルダの塔の展望台から。左上から時計回りの北→東→南→西
上の写真の突起は、川向うにあるTorre Sevillaのビル。超高層。
ホテルに帰って本日分のチェックイン。実は最初の計画では本日の午後遅くSevilla に到着の予定であった次第だ。新しい靴で歩き回った結果として靴擦れもなく快適。
ネッスルのカップラーメンを啜る。Yatekomaよりも味は落ちる。さて我が1つ星Hostelのloofテラスからは近くの4つ星ホテルLos Seisesの屋上プールがよく見える。28℃の気温にたまらず泳いだりベンチに腰かけたりと。こちらは熱いラーメンを食べながら日除けもなくじりじりと焦げ付いている。ゆっくりしているともう17:00、最後の市内観光に出掛けよう。こんどは地図に頼らず大いに迷ってみよう。カテドラルから東に伸びる道M.Gagoを通ってIglesia Santa Cruzへ。Fabiola、La Blanca,Pelayo、La Flda,Luis Montotoを通って「Ruinas Acueducto遺跡」へ。
Luis Montotoを西北に戻り「San Esteban」へ。Casa
de Pilatos(カサ・デ・ピラトス)やConvento
San Leandro(サン・レアンドロ修道院)と。Aguilas通りを西に取れば幅広い1.5mの超ナローストリート。車が来れば縁石30cmの上で息を止めて通過を待ち、次の車までの間に少しでも前進。Lindo、CondoIbarra、Lirio通りと紆余曲折を進む。完全に迷子状態。Maps.Meも反応しない幅50cmくらいのAire。ぐるぐる回るうちに出発地点に。
これは面白い。鬼ごっこでもすれば絶対に見つからない露地が何千本。満腹だったお腹も空いてきた。もっと迷ってみよう。
凡その方向を北にPuente y Pellon通りを取っているうちに恐竜の骨組みのような奇妙な建造物にぶち当たった。La Plaza de Encarnación(権化の広場)にあるキノコ(ラス・セタス)である。世界最大の木造建築? いや改築されて現在は鋼板で出来ている。ドイツ人設計の建造物。この建物はCalle Imagen(イマヘン通り)を空中で跨いでいる。もっと驚いたのはその前に立つ2本の大木。木の茂みは直径50mも有ろうかと思うほどの広がり。それを上手く覆うようにその建造物が建設されている。新しすぎて地図にも出ていない。場所は市庁舎(Ayntamiento)の裏側。
大聖堂から北に延びる細い道Calle Lineros(リネロス通り)をどこまでも行くと忽然と現れる。
(18:44)
セビーリャ大学に近く、学生のデモ部隊が。教育改革に憤慨してこのキノコを前に集結していたのだ。
学生達がシュピレヒコール。その狂声がここからでも聞こえる。エントランスは地下にあって3ユーロ。ワインなどのドリンクのサービスが付く。カテドラルも眺望できる。日没は19:29。この恐竜の背骨からは明日から進む南東の方角に山があるか観察してみた。何もなく真っ平な道と理解してよいのだろうか。
ビルが6階建てくらいに制限されているようで都心がごちゃごちゃするなかでも均整が取れている。
スーパーに立ち寄り明日用の行動食をgetしつつArgo
de Molina、Abadessegovia、Don
Demonde各通りをすり抜けHostel に戻る。
Map:Sevilla
セビージャ市内の散策経路。3日分。
地図の大聖堂と川の間にある「Plaza de
toros de la Real Maestranza」が闘牛場
Night scenery of Cathedral(sketched at 21:42 in angle of 220°)
ライトアップは19:45から。
【68.10/27(木)Sevilla(セビージャ)からUtrena(ウトレナ)まで】
+」【Memoir76 1st day of
Camino de Cádiz 】(現地報告+回想録)
今日からCamino de Cádiz 173km(Cádiz –Sevilla カディスの道)。今日のコースはSevilla(セビージャ)からBellavista(ベジャビスタ)→Dos
Hermanas(ドス・エルマーナス)を経由してUtrera(ウトレラ)までの33km。
セビージャ 26℃。今日から歩き再開。深夜から身体が痒い。薬屋で買った「After」用の付け薬が当たったとしか思えないほど全身に痒みが。よく言う「身体に合わない場合はすぐお止め下さい」というやつではなかろうか。シャワーで熱消毒してみよう。101号は個室ではないが6人部屋に2人しか泊まっていない。急に空き始めたホステル。
昨夜フロントで貰ってきたタオルケットは助かる。これを被ってスマホを打っているのであるが目の前を蚊が飛んだ。痒かったのは蚊の仕業だったのだろうか、ならば「Before」を買わねばならない。大きくて重いので避けてきたが。
シャワー室で身体を見てみた。さほどダメージはない。妄想で痒くなる「旅疲れ全身痒み走ります症候群」(自称)ではないだろか。不思議なこともあるものだ。
3泊もしたSevilla(セビージャ)を後にするが11日目にもう一度戻ってくるのでこの町に4泊もすることになる。将来スペインに住むとしたら、もうここしかない。人々はアンダルシア特有の明るさがある。公園多し、坂道なし、迷路なるも、おもちゃ箱をひっくり返したような面白さがある。
気温21℃。8:23 出発。まずTorre del Oro(金の塔)に向かう。ここから大通りを南東方向に歩む。歩道がどこまで続くか見ものである。8:40
8:55 1058歩。もう300歩くらい土道が続いている。女性とすれ違った。真っ赤な口紅。上は白、スカートは真っ赤という国旗のような女性。ポーランドファンなのであろう。
9:00 1438歩。土道が途切れる。広大な公園の脇であったわけだ。早朝runには最適。
9:32 3526 歩道途切れる。白線の引かれた道。
9:35 3713 歩道現れる。
9:37 3820 歩道途切れる。もう記録を止めよう。約4kmほど歩道があったわけだ。東西南北とこれだけ歩道があれば十分であろう。だってここまで歩く人はいない。これから先はバスを利用する筈である。
Bellavista(ベジャビスタ)から幹線を反れ一般の道に入ってさらに南下。アフリカ系の人が住む町なのか雰囲気が変わってくる。鉄道をくぐり、空き地に入ると貧民窟? さびれた町角。ごみの山やぬかるみを通り抜けると農地。今回の旅で初めてのフェンス越え。高さ1.7mを越える。理由は右側がレジデンスの排他的領域、左が耕作地。両方に始めから道があったのであるが右を選んだためにL字のところでその先に行けなくなってしまったのだ。戻ってもよかったのであるがまぁここは突破しよう。ついでに軽食休憩。茹で玉子やグレープフルーツなど荷を減らさなければならない。
10:40 My Map26_01_003 aから1.2km。この先にGran Hipódromo de Andalucía(アンダルシア大競馬場)があり広々とした丘。厩舎などの施設が連なる場所を通るようにMy Mapが作られてしまっている。フェンスで行き止まりとなっている箇所ばかりで閉口する。犬が吠えるし、馬が怪訝な顔をするし、住民も飛び出してきておかしな顔をするし・・。
もうこのまま進むのは止めよう。多少遠回りでも車道を歩く。歩道部分の余地はゼロ。車は少なかったが恐ろしい。空き地で休憩。鉄道を跨ぐ道路を見上げるとcaminoらしい人がSevilla(セビージャ)を目指している。どうも別の道があったようである。
11:46 食事休憩。 My Map26_01_004 a から離れたコース--途中 第二、第三のフェンスに阻まれコース変更。歩道はもとより白線の左側0cm。白線上を歩く。 --12:45
My Map 26_01_004 bから459歩数Dos Holmanの町
Dos Hermanas(ドス・エルマーナス)の町は大きかった。背の高いビルは一つもなく扁平。ものすごい強風にBarのテーブーブルに置いた帽子が飛んだ。Bar Sierra Norteで水補給。ポテトのマリネをオーダー 3.8ユーロ。--13:25
パタータのマリネ(13:33)
14:13 1310歩で貧民洞 最果てに到着 ここから原野 My Map 24_01_004 f
町はずれに到着。 ここから広大な農地が15kmも続いた。
outskirts of Dos Hermanas(町のはずれ)(14:10)
荒野である。どうも住民たちがじろじろ見るのがわかった。あまり人が通らないcamino道だったのだろう。そのうちオートバイや自転車の人たちが1,2回 小生を見物に荒野の一本道を追いかけてきては話しかける。また戻っていった。
14:25 811 暑い 35℃位の暑さ。汗が滴り落ちる。
14:36 1554 で木陰あり。昼寝休憩。--15:12
15:55 26_01_005 b から1.3km point 松の見事な樹形と街道 交響詩レスピーギの「ローマの松」だ。
ここでは送電線が唯一のランドマークとなっている。
Utrera (ウトレラ近郊 )(sketched at 15:33 in angle of 180°)
松の見事な樹形と街道
しかしそれもUtrera(ウトレラ)直前の10kmで途絶えた。完全に道路が無くなったからである。灌木を潜っていくと深い溝があり、どんなバギーカーでも渡れない場所があった。そこからは完全に単独行。
16:06 8kmの土道始まる。26_01_006_a
point
これがcamino?(16:09)
車はもはや通れない。足跡もすくない。不安な気持ち。
mud way of camino(16:14)
farm road(16:24)
16:28 1659食事休憩。17:05 がガビチョウ(画眉鳥)よりも小さく綺麗な鳴き声の鳥 頭上で鳴き続ける「早く起きて歩き出さないと日がくれますヨ」と。
17:10出発。この土道、両側を松や灌木で縁取りされた幅2-3mの道であるが直線ではない。うねうねと続き先が見通せなく実に不安。オリーブ畑や刈り取りの終わった畑など、わりと手が入った畑が続く。自転車や耕運機の轍の跡。水溜まりも多くすべって転ばないようにストック操作。新しい靴がどんどん汚れていく。
17:52 6.1km point ,道路をくぐるトンネルの部分で初めて黄色いマークを発見。やはりこの道がcamino道であったのだと認識。今はデータが削除されているが以前は全camino がkmlファイルとして公開されていた時代があった。そのデータは誰かが実際を歩きガーミンなどのツールを使ってトレースしたものであった。教会に寄っていたり軌跡が面白い。Googleのポリシーでは道路情報には賞味期限が付くものでkmlファイルが付いたサイト全てに削除の依頼をしたようである。今は"modern route"という英国のサイトにひっそりと残っている程度だ。ただ1日分の行程ごとに名前が付いたファイルになっているため全体を繋げるには相当の努力が必要。MyMapはそういうサイトからkmlファイルを入手して作ったものである。さて夕闇迫る。やっとUtrena(ウトレナ)の町。道路が四方八方から集まった交通の要所である。鉄道駅もある。
18:30 ペンションPensión Hidalgoに到着。「Pencion
Hidalgo 2」であるがベルを鳴らしてもメモ書きした所に電話をしても応答まし。下にあるBarでカーニャ2杯をあおる。長距離を飛ばしてきたのでその旨いことといったらない。
ここでは皆がcachimba(カチンバ:水ギセル)を吸っている。不思議な光景。ここはアラブか?と、
煙を店員も吸っている。50cmほどのガラスの塔。プクプクと泡立つ。
hookah(水ギセル)(19:12)
客もバーテンダーも吸っていた。5本くらい容器からノズルが出ている。
店の男性の電話にはやっと応答があったようだ。20分待てと。ホテルの男性、Barのカウンターに現れる。ビールなどは只にすると。時間が遅くなってきたのでゆっくりシャワーをあびる。スーパーLidlでの明日の朝食と行動食の買い出し、Barでの外食。9ユーロ。--21:20
Map and Elevation Profile :Between Sevilla and Utrera.
(セビージャからウトレラまでの地図と標高プロフィール)
この区の最高標高は56m・・ほぼ平坦。
Camino徒然
■柘榴の食べ方
ポルトガルで多かった柘榴。木に実っている場合は割れれば食べ頃。果物屋で売っているのが実が大きくがっしりとしていて割れていない柘榴。「この割れていない柘榴の食べ方をネットで調べてから食べる。」と書いたままにしてあったら読者から質問があった。「その後どうなりました?」
インターネットで調べると驚いたことに女性の"妊活"の味方でもあり健康食品だと。実の中の種を食べるべしと。男女で差のある食べ方になる果物であろうか。
1.実の上部を切り落とす。
2.四等分し食べやすくしてそのままかじる。
3.種も食べる。
小生の開発した手法。
1.真っ二つに割る、
2.中の粒々は鞘に納まっているので丁寧にスプーンなどで掻き出す。
3.それを一気に口に含み食べ、種を外に飛ばす。女性の場合はそれも食べるか飲み下す。
■バッテリーとの戦い
タブレットがまだ活躍していたときから、現在の"予備"のスマホまで毎日が電池残量との戦いである。
50%を切ってくると何かそわそわするのだ。休憩時間内に予備のバッテリーから給電して80%にはしたい。充電効率をよくするために、電源をオフにしているがいつか「再起動」状態のほうが効率がよいと聞いたことがある。プログラムを立ち上げたままでの充電は当方のAndroid の古い機種では少なくとも歓迎されない。
さて、多数のアプリを起動したままにしておくと消費電力は大きくすぐ40%を切ってしまう。アプリにもよるが立ち上げたプログラムを終わらせる方法がある。
Maps.MeなどのオフラインMapは特に消費電力を食うようである。今までは起動した後、電源を切ってプログラムを完全に終了させていた。これでは能率が悪い。Androidの場合は中央のメニューボタンを長押しすれば起動したアプリの一覧が表示される。
1.全部終了させる場合---三にxのマークの付いたアイコンが右下に表示されるのでタップ。
2.一部のアプリのみ終了させる場合---該当するアプリを左右の欄外にドラッグ。
3.インターネットのブラウザ画面の場合は+10などの表示が上部にあるのでタップして表示させ「-」アイコンをタップして不要な画面を消していく。
【69.10/28(金)Utrera(ウトレラ)からLas Cabezas de San
Jean(ラス・カベサス・デ・サン・ファン)まで】+【Memoir79 2nd day of Camino de Cádiz 】
今日のコースはUtrera(ウトレラ)から Torbiscal(エル・トルビスカル)→Sacramento(サクラメント)を経てLas Cabezas de San Jean(ラス・カベサス・デ・サン・ファン)までの36km。
ホテルPensión Hidalgo 2は、泊り客1人。
7:20 出発。ホテル前の広い道路は高速仕様の広い道路A-376が市の北部で2つに分岐した一方で町を北西方向から南東方向に貫通しているが直線ではない。そのねじれている部分で、道を南方向に取り旧市街地に分け入る。舗装面にカラフルな石を埋め込む工事中でフェンスが張られている。建物とフェンスの隙間を行く。9時過ぎの日の出に対して現在時刻は7:20.車のライトがまぶしく感じられたほど辺りは暗い。Parroquia de Santa María de la Mesa(サンタ・マリア小教区教会)がある迷路に入っていくと、もう車のライトはなく真っ暗である。なかなかスリルがある。教会を回り込む道など暗すぎて本当によいのであろうかと。石畳の細い道をどこまでも南下。policeの車がやって来るが道を聞こうにもすぐ角を曲がって行ってしまった。深海魚のように。すーと。広い道路の向こうは更に暗い。荒涼とする原野が待ち構えている。
怖くなりあとで合流する車道A-8030 を8kmばかり進むことにした
。その4455歩目である。
8:35 Policeの車が静しずと接近してきた。「X」のジェスチャーをして止まった。
こんな夜道を歩いてはだめだと。日の出を待てと。さらに、反射板付き蛍光色の衣服を着よと。工事の人や現在警察が身に着けているような服を着なけばこういう道を歩いてはいけないという。後ろのトランクを開け蛍光色の服を見せてくれる。なぜ僕のことが分かったのかと聞くと危険な歩行者が居ると警察に連絡が入ったのだという。ヘッドライトでは小さすぎて認識が困難であると。次の町で買うことを約束して警察と分かれた。しばらくして日の出を迎えた。
今の今までさんざん危険な目には会ってきたが警察から注意を受けたのは初めてである。いやもっと前に注意を受けておくべきであった。地元の人でも自転車に乗って県道を走る時は蛍光色の上着を羽織っているようである。
sunrise(9:00)
cotton(綿)(9:35)
摘み残った綿。
さてA-8080の道、綿畑の道。取り入れが終わっていない綿畑があった。背は50cmほどと低い。綿の果実が弾け綿が見えている。触ってみると座布団の綿そのものである。優しい白色。道端にも雑草としての綿が低い姿勢ながら散見される。最初はゴミかと思ったが綿が飛んできて雑草に絡んでいるのと生え残った草が種をつけ綿を弾かせているものなど。辺り一面綿だらけである。
9:55 3256歩。 Canal del
Bajo Guadalquivirを渡る。
景色は基本的に変わらない。幾つかの畑に別れているが地平線360度まで見通せる。
10:13 4746歩。 運河あり。その横で軽食休憩。26_02_003 aから1kmのポイント。男性2人が畑を見回っている。土くれだけを見て分かるのであろうか。来年の収穫など。
old bridge and ruined castle
along A-8080
(sketched at 11:32 in angle of 184°)
A-8080は線路に近づき、高速仕様の道路CA-31に吸い込まれていくようにジャンクションで消滅した。代わりに小さな道となって高速をくぐっていく。しかし線路沿いの道もやがては線路からどんどん離れていく。予想した踏切はなかった。Cádiz(カディス)へ向かう線路は厳重なフェンスで隔離されている。道路とは完全立体。この線路を渡る方法はたったの一つ。数キロに一か所しかない跨線橋。かなり遠ざかってしまった地点から行きたい方向への最短ルートをMaps.Meで探す。
さっきのジャンクションに戻りCA-31の道に上がって線路を越えろと教えてくれる。「Auto-xx」という名のつく高速道路以外は、歩けると見ているのである。こんな危険な指示がよくできるものである。
万事窮す!目指す町は遠い丘の上。あと15kmもあるし行きつ戻りつしている間に13時になってきている。カンカン照り。焦るではないか。
ふと見ると運河の側道に羊が飼われている。線路はその運河を跨いでいる。その運河を利用すれば反対側に抜けられるようである。泥濘の道。羊が群れている間をおっかなびっくりで歩きだした。なんとその向こうに黒い犬がこっちを見ている。「一体何者か?」と。
この犬を突破する勇気はない。引き上げることにした。もう少しで成功したのにと残念である。しかし待てよ。運河の対岸にも工事用の道路が通っているではないか。その道を利用すれば線路の向こう側に抜けられる。
My Mapをよく読めば、最初から”実線”で示されていたのだ。当方は”実線”から「踏切」と早合点をし地上ばかりを探していたため、このトンネルまでは目がいかなかった。しかも工事用の車道であったため一般道とは隔てられていた。
ガードレールを跨いで、その工事用の道路のノリ面に踏み出して下に降りるだけでよかったのだ。
しかしcaminoらしからぬ道である。Las Cabezas
de San Jean(ラス・カベサス・デ・サン・ファン)へ真っすぐ向かうA-471もまた、歩道幅が狭い道である。
13:07 1.418 A471から別れてcamino 道を進むことにする。運河沿いの遠回りの道となる。
14:36 工事現場から2.2km 15:26 出発。15:55
あまりの暑さでダウン。
cotton field(15:24)
cotton harvesting track(15:58)
何キロかに一か所あるポンプ小屋に日陰があったので、太陽に焼かれないようにマットを敷き休む。もう息ができない。
死の淵をさまよう。ふらふらと歩きだした。しかしここで神が現れた。側道に水道管を通す工事の車であろうか。行き過ぎた車が戻ってきて止まった。冷やしたバナナと柿の差し入れである。むさぼるようにして食べ生還。
だが再びマット休憩。1.5kmしか持たない!貴重な日影を身体が求めているようである。小さな黒い石が敷き詰めてある。これを利用しない手はない。一眠りしたようだ。
16:40。どこまでも、続く堀。ちょろちょろと水が溜まっているに過ぎない。あと2.5kmでA471と交差する。camino 道は国道と交差しこそすれ絶対に国道を歩かないように出来ている。町LasCabezas de San Juan は丘をなす町。教会がtopにそそりたって目の前に展開し始めた。今日スケッチの時間がなければ明日は遅いスタートにしてスケッチをしよう。
16:55 日照は寝ている間に柔らかくなってきたようだ。
17:08 1.2km 綿畑の刈り取り現場に遭遇。
17:18 1.9km 228度の方向に道が伸びる。まさにその方向に仰角30度で太陽の最後の輝き。
2336歩でA417に合流。camino道でもロータリーまで200m国道を進めとの指示。
しかしもう限界だ。A471をそのまま町に3km進む。角の「Alojamiento Temporal Las Cabezas」の筈であるが名前が違っている。「Hostal Las Cabezas」という間口1mのホステル。えーいままよと飛び込んだら「Hiroshi!」と言って男性が飛んできた。ホステルの主であった。18:10着。
部屋に入って驚いた。キチン、洗濯機、ベッドルーム2つ、ダイニンにリビング。長期滞在型のコンドミアム。住居のような内装、部屋は町の中央広場の正面に向いているため人の様子が一目でわかる、
ホステルを飛び出して100mでATM、戻って道を右に10mで中国人が経営する「何でも屋」でGilet de Haute Visibilité
EN-340/03 EN-471/03 (反射板付きの蛍光色)の上っ張りをget。
なんという厳しい1日であったか。
下図は本日の目的地近くで写真を撮らせてもらった時の写真。
fluorescent colored jacket with
reflector(17:41)
このおじさんにはお礼を言わねばならない。
policeから買えと言われた服を着ているのにたまたま出会った。
そのときスマホの電源を切っていたので電源をオンする間、強制的に待ってもらっていたのだ。
雑貨店ではこの写真を見せてこんなのが欲しいと言ったらすぐ通じて買うことができた。
2.5€でget。
19:46
ホステル前の広場にあった天蓋、カラフルであった。
【70.10/29(土)Las Cabezas de San Jean(ラス・カベサス・デ・サン・ファン)からEl
Cuervo(エル・クエルボ)まで】+【Memoir80 3rd day of Camino de Cádiz 】
今日のコースはをLas Cabezas de San Jean(ラス・カベサス・デ・サン・ファン)からLebrija(レブリハ)を経てEl Cuervo(エル・クエルボ)までの28km。
豪華なペンション風のホステルHostal Las Cabezas。6:00起床で朝食の準備。豆の煮炊き、茹で玉子とスクランブルエッグ、Yatekomoのラーメンスープとパン、バナナ、白葡萄。超満腹。
8:30 出発 砂漠でも頑張れるという十分な食料と水をザックに積んでいる。まずは丘を上がっていき教会を見上げる。
Parroquia de San Juan Bautista・・Las Cabezas de San Jean
(サンフアン・バウティスタ教会:ラス・カベサス・デ・サン・ファン)
Las Cabezas de San Jean(ラス・カベサス・デ・サン・ファン)(9:03)
90mの丘の上に教会が建っていた。町はその教会を中心に発展し裾野までびっしり家がたつ。
丘から降りていく町に朝日が当たっていた。
9:46 ロータリーから730歩でガードレールを跨ぎ国道へ。なんと昨日からのA-471だぁ! 心してかからねば。
10:17 3139歩に橋。My Map 上3.3km のpointにあたる 。3139は65歩毎に100mとカウントしているので実際の歩数=31x65+39=2054歩で、3.3kmを2054で割ると3km/2054=1.6m これが一歩(両足)の距離。よって100mを1.6mで割ると62.5。今は65歩が100mではなく、63歩が100mとなっている。
恐らく靴を新調したことによる歩数の違いと杖を勢いよく突くことによる歩幅の延伸が影響している。すこし考慮せねばならない。さて10:26。
このまま国道A-471を歩くとしたら例の蛍光色の上っ張りを羽織ってみよう。昼間の蛍光色。どれほどの効果があるだろう。二つのパターンで違いがあることが分かった。
1.蛍光色を着ているので道路工事関係者に違いない。--あまり避けずに車線を保って通り過ぎでしまおう。(この場合は、昼間だと逆効果である。)、蛍光色に気が付いて普通の歩行者同様少し車輪を右側に。ただ極端に右寄りする車がなくなった。
2.蛍光色を着なかった場合は、「人が歩いている、一般人だ、これは大いに避けて通らなくては、」と大きく避けてくれるのではないかと。昼間は蛍光色を着る必要はないみたいだが。
A-471こそcamino 道をつぶして敷設したのに違いない。少しこの景観を説明しよう。原野という表現は正しくない。全てが人の手が入った耕作地。この時期刈り入れが終わっているので耕作の土くれや畝が延びる畑。見渡す限り何もない。広大な大地の起伏のみ。そこを自動車道が町と町を結ぶ。 Las Cabezas de San Juan (カベサス)やこれから向かうLebrija(レブリハ)のように丘をなす町ならば起伏の襞から町が見え隠れしながら次第に近づいてくる。自動車道の断面は台形。上端部分に両側が白線。ストック一本分くらいの幅が我が道に許されているスペース。「auto--」という名前の高速道路以外は人は歩いても許される。問題は台形の傾斜の部分。30cmに満たないものから3m-5mに及ぶものまで様々。橋や沼や牧草地やロータリーなど環境に応じてガードレールが設けられる。その開始と終了が面白い。地面に突き刺さるようにしてゼロベースからスロープを成す。日本のようにパルス状に立ち上がりはしない。ガードレールの外に出るときはそのスロープを利用する。簡単に跨げるからだ。自転車caminoもよくそうやっていた。さて想像して欲しい。遮るものの何もない風景を。太陽がじりじりと照りつける地獄を。夏場だったら40度を超え車道にかげろうが昇るさまを。或は地面が水をうったようになるのを。帽子の衿を折ると視界が狭くなり足元しか見えなくなる危険性を。
もうよい。休憩としよう。畦道に入っていくようなときその入り口部分に僅かなスペースが見出だされるのだ。
オレンジを切り分けようとした時だ。フランスから無くさずに常に携帯していた黒いセラミックのナイフが"
無いふ "。水分補給用に楽しみにしていた白葡萄もない。 Las Cabezas de San Juanのホステルの台所で最後の最後に使ったものだ。どうも最終チェックにもれたようだ。
しばらく進んでいると電話が鳴った。そのホステルからである。忘れ物があるが届けたい。今日どこに泊るのだと。「El Cuervo(エル・クエルボ)です。」と応えたのがまずかった。
そこへまっしぐらに車を飛ばしたようである。1時間ほどして見つけられなかったと電話があった。あちゃ。camino道は真南に行く国道N-4ではなく、Lebrija(レブリハ)の方向へ大きく遠回りしており、A-471をとる必要があったのだ。「Lebrija(レブリハ)経由、El Cuervo(エル・クエルボ)」と応えるべきであった。
また電話があった。「届けなくてもよいのか?」と。「ナイフや葡萄なので代替え手段はありますので気になさらず。どうもありがとうございました。」と回答。なんと親切なオーナーだったのだろう。
*********
■ナイフ
実は最終的にはSevillaからParisへの飛行機では荷物全部を機内持ち込みをする予定であったためもともとナイフは捨てる運命になっていたものである。それが10日ほど早まっただけである。
しかしこの白いナイフは沢山の「物語」を持っていた。まず8/23 Nallies(仏・ナリエ)の手前で、日本から持ってきた折り畳み式のナイフを忘れ、8/24 Marans(マラン)近くのスーパーで買い求めたものである。この時パッキングされていたナイフを取り出せず、レジの女性に助けを求めた。
女性はプラスチックケースにハサミを入れ、なかのナイフを取り出そうとした。このときナイフの切っ先が指に触れてしまい出血。気丈な女性は「問題ない。」と言いながら指を口にくわえて止血していた。こちらは申し訳ない気持ちでその店を後にした。
このナイフ、何回も忘れそうになっている。その度に、小生を呼ぶのだ。Biarritz(ビアリッツ)のホステルを出たときが面白かった。500mくらい行ったところで呼ぶので、再度ホステルに戻っていった。鍵はまだフロントに置きっぱなしになっていたのでそれを使い元の部屋へ。なんと、ナイフではく、ベッドの下の黒い床に町歩き用の黒いインナーパンツ(ファイントラック社の速乾性フラッドラッシュ パワーメッシュ)が忘れてあった。ナイフが替わって叫んでいたのだ。
Irún(イルン)手前のSaint-Jean-de-Luz(サン=ジャン=ド=リュズ)の山の中では、100mも行ったところで小生を呼ぶので戻ったのだ。そうしたら休憩していた草むらにそのナイフが転がっていた。続いてはIrún(イルン)のアルベルゲの玄関先。朝食を取ったあと、歩道に置き忘れた。山道を間違い、戻っていたときにそのナイフを持ってきてくれた女性とぱったりと出会ってナイフが戻った。このような不思議なナイフであったのだ。
************
今日は特に畑を走る兎を多く見かける、野っぱらで狩りをしているので逃げてきたのかも知れない。乾いた銃声、6人が隊列を組んで丘を歩いている。-11:20
12:16 4410
13:30 やっとLebrija(レブリア) の町のBar Casa Archiveroに辿り着く。時々あるのだ。まったくBarやお店のない町が。中心を「く」の字に曲がった街道筋。その丁度曲がった奥に一軒のBar。14.4km point。狭い店内に3,40人の全員が喋っている。そのうるさいことといったら。ビールを飲んだりと。土曜日とて解放感でいっぱいだ。煩いからさらに声高になるようだ。子供が3人。小さいときからこの喧騒だ。Hamburguesa Simple 3ユーロ、玉ねぎとトマトのスライスを一杯挟んでもらう。コーラ2杯、満腹-14:30
14:45 26_03_004 b point。ここからしっかりカウント。最近暑さのせいかカウントが途中でおかしくなる傾向、とにかく影があったら休みたくなりカウントが途切れる。しかし今からは1.3kmの間に450m、740mのベンドポイントあり。脇道に入っていく。
案の定土道が始まった。
15:33 A-471はガードレールの端から道路に入りそのまま横断。少し戻って土道が始まる道を南下。510mで道が左右に別れる。左側を800m進む。農家が点在し犬が吠える。のどかな秋の一日という感じ。
15:47 1.5km 南東126度の方向に高さ300m位の山陵が見えてきた。
さて今日のコース・・Lebrija(レブリハ)からは完全なcamino道。とても気持ちのよいコース。高さ200-300mの山が現れたが登ることはなかった。オリーブ畑の緑陰で寝転ぶ。
15:55 2004歩。喉がからから。暑いが爽やかな風あり。気持ちがよい。オリーブの木陰で昼寝休憩。
16:14 目が覚める。
olive(16:19)
オリーブが随分実っていた。真っ青な空にオリーブの白い葉っぱ。実がなっていないてっぺん部分が裏側を向いていて白く、実をつけてたわんでいる下のほうは表側を向いて緑。これだけオリーブを見てきたのだ。絵にしてあげたいものだ。実をよく見ると緑色に光っている実と光っておらず黄緑色のものとがある。収穫はどんな風にするのだろうか。一つを口に含んでみて飛び上がった。てっきり食べられるのかと思ったがその苦いこと。ピクルスやオリーブオイルによくぞ変身するものだ。驚愕であった。--16:35
nearby El Cuervo(エル・クエルボ)(16:42)
17:02 Y字分岐26_03_005 b point から1532歩
もうすぐ県道A-8152に合流する。
17:07 1752歩でMy Map 上の記載1930mをカウント。
17:26 1340歩で1.4kmをカウント。まぁ当たらずとも遠からず。N-4を横断すれば荒れた土道1.4kmを行きなさいという指示。今日の土道は計5.14km。このあぜ道は歩きずらかった。耕運機が泥濘を進んだそのままの形で、乾燥しているのだ。平坦部分がなく、土くれを踏み、雑草によけたりと、酔いどれが進むように道を進んでいく。丘の上には住居が迫ってくる。町に到着したようだ。あばら小屋を過ぎ、鶏小屋を曲がり、乾いた道を進むと交差点。そこをまた雑草を踏み分けて住宅街の塀や、庭先をすすで行く。運動場があり小さなバスケのコート。幼児が母親と一緒にいたりする。住宅が混んでくる。目抜き通りのような道に出る。県道を渡るとカフェなどが立ち並ぶいつもの街の風景。
Map and Elevation Profile :Between Las Cabezas de San Jean and El Cuervo
(ラス・カベサス・デ・サン・ファンからエル・クエルボまでの地図と標高プロフィール)
この区の最高標高は78m。上記スケッチのpointである。
【71.10/30(日) El Cuervo(エル・クエルボ)からJerez de la
Frontera(ヘレス・デ・ラ・フロンテラ)まで】+【Memoir80 4th day of Camino de Cádiz 】
今日のコースはEl Cuervo(エル・クエルボ)からNueva Jarilla(ヌエバ・ハリージャ)→Guadalcacin(グアダルカシン)を経てJerez de la Frontera(ヘレス・デ・ラ・フロンテラ)までの38km。途中で道が無くなり探し回っている間に6kmくらい余分に歩いている。その合計値。
毎日ホテル住まい。アルベルゲが一つもないためあまりにも高くつくcamino de Cádizであることよ。ホテルでは宿泊客一人という状況が3日も続いた。歴史的建造物や自然的な遺産が少ないためであろう。
昨夜のホテルも素晴らしい浴槽。四角いデザインに統一されている。まわすノブが全て四角。今日の目的地 ヘレスはどうであろうか。入り込んだ道からなにか歴史的建造物が多い都市に映るが。旧市街地に宿を取った。期待しよう。
8:25出発。エル・クエルボの町を抜けていく。
8:44 26_04_001 a point から620歩で土道が始まった。郊外が農地に囲まれている。朝日が上がる方向に大農場が展開されている。有刺鉄線がずっと何キロも。
8:55 1211歩 向かいの傾斜地に朝日が当たり始める。ヘレス空港に降り立つ飛行機が薄い青空に美しい。
日の出 時計は9:03を指すが実際は冬時間の8:03
昨日と1時間違うのは、冬時間が2016.10.30 am3:00に施行されたためである。
1時間時計を戻している。現地便りでは夏時間で書いている。
9:00 2.6kmを歩いたところで行き過ぎに気づく。2.2km point まで戻るもフェンスが張られ大農場の敷地の中の道路が見える。フェンスには潜れるだけの窪みと隙間があるがcamino の靴あとなど元よりなし。途中まで引き返した時点で"Mapa.Meさん"の「(其処)へのルート」という便利な機能に聞いてみよう。そこに示されたのは南東部最初の2.6kmのポイントを右折しろと。そのポイントに再び戻る。ここには立派な門があり開いているがよくみるとその横を土道が一本農場の間を走っている、この道を行ってみよう、9:40start。大耕作地の脇や高速道路の脇の道を通る、長い長い道程。店は一店もない。それこそ40kmなにもない不毛の土地? 綿畑なのであろうか。作物ゼロの耕作地。いやツーリングには面白そうなコースである。
10:15 26_04_002 b point 高速道路のトンネルを潜る。14歩 自転車5人小生と同じ方向に向かう。
10:52 3254 丘の彼方から犬を連れた人達の一群。一列になって近づいてくる。狩りの教室のようである、兎を放ちそれを追いかけるのであろうか。篭を持った人が耕作地の先頭に立つ。
wasteland, cattle
monument(9:20)
丘の上の「点」のように見えるのが牛のモニュメントであった。
Nueva Jarilla(ヌエバ・ハリージャ近郊の丘)
歩く人はおらず、皆バイクの集団が、追い越していくか、向こうからやってくる。日曜日とてレジャーで走り回っているのであろう。up-downのある土道はさぞ面白かろう。
Hunting training(9:50)
Jerez(ヘレス)空港に降り立つ飛行機。左側の丘には大勢の人達が一列になっていた。
犬が獲物を追いかける練習をしていた。
cattle monument(10:13)
アンダルシアって牛の産地だろうか。今後いたるところで見かけた牛のモニュメント
10:59 3700 牛のモニュメント。
11:10 4359 高速のSAのような箇所 だけど外からしかこのSAという別天地をのぞき込むだけ。
26_04_004 a point
11:21 新しいカウント 400 よい日影 最初の休憩。-12:00
12:46 557 向日葵畑
12:59 1623=1.7km 26_04_005 a point
13:17 陸橋の下の日影で休憩。考えてみればここにcaminoマークがあったことから、別の道から曲がって北上することを示していたのだ。My Mapではここから高速道路沿いに26_04_005 c point まで南下すると指示。出発。
しかし3.2kmに達した所で高速を潜るような道はない。
Maps.Meに聞いてみよう。なんと指示された場所(26_04_005_c)は藪の中に土管が2つ。そこを行けという。それは無理でしょう。高速のジャンクションを横切って西に行くcamino
道はなさそうである。どうする!
方法は2つ。JCTを大きく巻いて一旦東方向に道をとり最終的にJerez の町に行く13kmの道、あるいは3.2km戻り高速を跨いで西に向かいそこからJerez の町に向かう14kmの道。後者はひょっとしてcamino 道かも知れないと夕刻迫るなかを決断。この3.2kmの戻りはなんと遠く感ぜられたことだろう。
戻りの道をカウントする気にもならずひたすら歩く、なんと長かったことだろう。新しい道は何キロでも平気なのに同じ道を戻る辛さ!
15:54 同じ場所の近くに戻ってくる。ロスタイム約2時間 8km。ここで再び小休止。
Jerez 空港から小型飛行機が5分置きに飛び立つ。
17:10 当初計画した地点に到達。2.5kmの鋪道をJerez
中央に向かって進む。もう意識朦朧だ。
18:05 あと800m、もう目一杯だ。ホステルに到着。
20:07 買い物ついでに冷えた缶ビールをあおる。100円shopのような中国人経営の店が3つも。その一つでナイフをやっと手に入れる。所謂「何でも屋」で食材からオモチャまで種々雑多なものが置いてある。パン、缶詰、ピーマン、トマトなどをget、日曜なのに店を開けておいてくれるのは有り難い。部屋に帰ってシャワーに洗濯、タオルでプレスして干す。この一連の所作が完了したのは20:08。今からが自由時間。ここでやっとベッドに横たわれる!寝入ってしまわないうちに、通りの角にあったBarにパエリアでも食べに行こう。大変な一日の締め括りに。チキンパエリア。久々の温かい料理に舌鼓。
本日の土道---17.2+5.2=22.4km
よくもこれだけ土道を残したものだ。乗馬、バイク、ランニングなど多目的に使える。今日の全コースはJerez
の町に入るまで店など何もないそれこそ砂漠である。ハイキングの場合は十分な水と食料が必要になる。歩いている人は皆無。
Jerez(18:13)
Jerez(町のたたずまい)(20:02)
1人でも注文できたパエリアの帰り。
Map and Elevation Profile :Between El Cuervo and Jerez de la Frontera
(エル・クエルボからヘレス・デ・ラ・フロンテラまでの地図と標高プロフィール)
途中のUターンが8kmのロス部分。
この区の最高標高は78m。
【72.10/31(月) Jerez de la Frontera(ヘレス・デ・ラ・フロンテラ)からCádiz(カディス)まで11.1(火)】+【Memoir82 5th day of Camino de Cádiz 】
今日のコースはJerez de la Frontera(ヘレス・デ・ラ・フロンテラ)からVallealto(バレアルト)→El
Puerto de Sta Marina(エル・プエルト・デ・サンタ・マリア)→Valdelagrana(バルデラグラナ)→Campus de Puert Real(カンプス・デ・プエルト・レアル)→Universidad
de Cádiz(カディス大学)を経由してCádiz(カディス)までの徒歩24km、バス9km。
Jerezの町、camino ルートが町のやや北方向に位置し東西に貫いている。昨日は其を外れホテルがある町中央部に向けて南側から入った。歩道は両サイド15mくらいもあり超近代都市と映った。四辻ごとの大きなロータリーがなかなか悩ましい。真っ直ぐ行きたいのに、半径30mほどの円を大きく半周しなければならない。横断歩道はさらに奥まった安全地帯に設けられることも多くその分歩数カウントを修正をしなければならないのだ。距離方向に依存しないルートはカウントせず斜めは(1.41・・・)となるようにすこし間引きしながら歩数カウントを行う。緩い坂道が続き標高があがっていく。こんな調子だ。16い、17い、18い、19---。この「い」は半歩分を調整しカウントの遅延をさせているのである。
どんな町でもこの方法で到達、あるいは脱出を行っている。
だが今日のJerez はとてもややこしい。950mを北に取ってcamino 道に合流する長いルートを選ぶか、ホテルから西向きにジグザグに進み最短コースで町外れにあるcaminoコースに合流するかの選択。昨日から絵を一枚も描いていないのでその要素も加味しコース取りを行わなくてはならない。
(街路樹)(7:43)
Jerez(ヘレス)(7:47)
宿(Hotel Joma)出発時には、Campus
de Puert Real(カンプス・デ・プエルト・レアル)で野営し、翌日11/1に湾を一周(29km)してからCádiz(カディス)に入る予定であったのだ。
Jerez de la Frontera(ヘレス・デ・ラ・フロンテラ)
(sketched at 9:13 in angle of 90°)
「あまりストイックになりなさんな。」というクラスメイトの言葉が耳に響く。
この解釈はいろいろ出来る。禁欲的になりなさんなーーたまにはタクシーなぞ呼んで楽をすれば。電車やバスを使ってあまり自分を痛めつけないで。もう歩くのをよして帰ってくれば。とか勝手な当方の願望が全部でてしまった。または「そう厳格になりなさんな」
歩数カウントが「1」のオーダーまで厳格にするのはやめにしてもっとアバウトにすれば!
たまには寝坊するなどして普通の人に戻ってくださいな。
あぁ、もともと全コース4200kmの今回の旅を実行しようと考えた段階から「ストイック」なしでは実現不可能であったわけである。もう少し続けさせて欲しいというのが小生の思いである。
激励は歓迎。今日はテント。これから合計4回のテント泊が待ち構えている。そろそろ限界が近い。
「あぁ、ストイックでない生活に戻りたい。」あと6日の歩行。頑張れturbo717。
10:06 すこしスケッチなどをして時間を潰してしまった。今日も高速にそって道が延びる。26_05_002 b
point から300mで土道始まる。
10:40 100 26_05_003 b point から1.2kmでコンクリの道に変化。
10:47 1424 牛のモニュメントまた現れる。
10:54 1952 歩。で高速に渡す橋が見える。昨日はこれが無かったために3.3kmも戻るはめに。ついでに救急車まで通りかかる。「そこどけ」と。
11:01 2.3km point 。26_05_003 c
point 。800m(d point )で確かな道がなくなる。c point の曲がり角には黄色い矢印。まずはok。この先800mを注目しよう。
11:09 252歩で土道に突然切り替わる。11:18
d point 到着、土管のコンクリ部分に進行方向を示す黄色の矢印。しかしこれでは逆向きの人には分からない。T字路だからだ。
そのまま矢真っ直ぐ、つまり印とは逆の方にすすむ。
ところが、Vallealto(バレアルト)の手前の丘の上から、遥か先にCádiz(カディス)の町並みが見え大きな橋の向こうに展開されている絶景を見てから気が変わった。
Vallealto(バレアルト)の手前の丘の上から(10:39)
11:40 丘の上。なんとCádizの町や湾を渡す大橋が眺望される。なんともう少しでカディスなのかと。まずは何処かで昼食を。12:32 出発。
13:32 El Puerto de Marinaの町でコーラを飲む。リュックを担いだままでは最後が苦しい。26_05_005 b 240m
次のc point 南国のような雰囲気の公園と道路の交差。緑が濃い!
14:08 Macあり。ネットを繋ぎつつ作戦会議。--15:40
明日はCamino友達の知人がCádiz(カディス)に住むというので19:00にアポを取っている。2,3日前から到着時間などを盛んにメールしていたわけであるが、当日の歩行距離が29kmの状態で人に会うというのは無謀かもしれないという考えが頭をもたげた。シャワーを浴びても日中の強行軍のせいで顔がほてっている可能性がある。今日は一気にCádiz(カディス)まで飛ばし、一泊余計に宿泊したのちその方々と会ったほうがよいのではないかと。市内の観光もできるし。ランチョンマットに高速沿道にあった牛の看板と同じ絵があり「この牛肉を100%使っています。」と。さてはあの看板は牛肉の生産地を宣伝するものであったのでは。その後、重大事態発生。El Puerto de Sta María(エル・プエルト・デ・サンタ・マリア)のマックで、Cádiz(カディス)までの最短コースを計算するとやけに時間がかかっている。こういう時はなにか経路をさがすのにもたついている証拠である。その解は?なんと37kmと。
湾を最初の計画のように一周しなさいと。これは後でわかったことであるが、湾を一周する以外にCádizの町に徒歩で入る方法はなかったのである。Cádizまで直線17km。今なら行ける距離である。明日利用するホステルを検索。3ユーロ安く13ユーロで泊まれることが分かった。即予約。
まあその橋の袂まで進んでみようと進軍を再開した。橋を幾つか渡っているうちに、高速道路仕様になっていく。これは不味い展開である。蛍光色を着てみたがどうも様子がおかしい。歩いては行けない道のよう。このまま進んでも二度と下界に戻れないのではと。バッテリーが少くなってきている。広大な潟の広がりの中に歩くべき土道が見える。そこなのだ。私が歩きたい道は。ただし道の西側。今いる場所は東側で雑草と鉄路。どうする?
正確な現在位置をMaps.Me で確認。車がいない瞬間に下り方向と上り方向の2つの別々のレーンを横断し広大な潟に近づく。ここで驚きの展開、黄色の矢印を発見。橋の渡り方が間違っていた。ここは右側、つまりcamino側(CádizからSevilla)では正しく左側通行になる場所に専用の橋が設けられていたのだ。小生はわざわざ左側(Sevilla向きでは、右側)を"取った"ために専用道路を横断する羽目に。
さて広大な潟を渡る心細いほどの狭い道。手すりなど何もない海の中の一本道。強風が吹いてどちらかに倒そうとする。右に傾いても左に傾いても海に転落。これが延々何キロも続く。
湿地帯を行く。約5kmもこんな海の中の道。強風で飛ばされそう。
Parque
Natural de La Algaida-Los Toruños(15:12)
16:36 26_05_008 aから670m point 。潟を右手、高速を左手にみて南下。
最後がUniversidad de Cádiz(カディス大学)。ここに東屋とベンチが。水飲み場で大変な情報が。この先の大橋2つは歩行禁止だという。周りの人から「バス利用」を勧められた。ここで初めてMaps.Me が正しかったことに気づく。自動車専用の橋でも日本なら2段にしたり歩道をつけたり人の利便性を考慮する筈であるが。
カディスまで9kmというところの地点である。バス停はすぐ近くにありすぐやってくるという。渡りに船である。ここはおとなしくバスを利用しよう。時計は17:15。時刻表をみると16:13、17:13、18:33と。17:13のバスは行ったばかり。あと1時間も待たねばならぬ。
ゆったり寛いでいたらいきなりバスがやってきた。乗るそぶりも見せなかったので通り過ぎようとした。Cádiz(カディス)行きと表札が横にも書いてある。とっさに杖を振って止まるように追いかける。2連の長大なバスであったため、バス停の前後でゆるゆると進んでいたのであろう。止まってくれた。スマホの時刻は冬時間に切り替わっていたが、腕時計のほうは修正を忘れていた。時計は17:15で、これを16:15に戻すと、ほぼジャストにバスが来たことになる。命拾いした。
らくちんをして、カディスの町に着いた。18:00にはホテル(De Cadiz Cadi Hostel)に投宿。ハローウインで市場(Mercado
Central de Abastos:セントラル・デ・アバスト)が賑わっているとの情報を得て、魚市場に急行。
(ハローウイン)(19:54)
ハロウィンで盛り上がっている市場を見物。町中の子供たちが集まっている。仮装して親に手を引かれている。魚屋のブースでは魚の切り身や頭で劇場を模した箱庭。これを見たいがためにぎっしり行列。右往左往の大混乱。
Display by fisher man(ハローウイン)(20:02)
Outside flower shop(ハローウイン)(20:02)
Cádizの街並みはSevillaのそれとは対照的。碁盤の目である。セビージャの迷路を上下左右に引き伸ばして碁盤を作った感じで迷路は残る。真っ直ぐな道はパリ、ボルドー以来だ。狭いので長く感じる。ミニショップが点在するため買い物が楽しい。どの店で買ったかの再現は難しい。
今日の土道11.7km。素晴らしい土道に感動。
Map and Elevation Profile :Between Jerez de la Frontera and Cádiz
(ヘレス・デ・ラ・フロンテラからカディスまでの地図と標高プロフィール)
この区の最高標高は78m。
1st(Tue) Nov.Cádiz+【Memoir82】
さてCádizの一日が始まる。今日のコースはCádiz(カディス)の町歩き。凡そ徒歩7km。
一泊13€という破格のホステルDe Cadiz
Cadi Hostelではアラブ系の男性2人が同室。8人部屋に4台のベッド。皆下の段を占有している。シャワーとトイレの部屋は隣でかなり広い。
洗濯物は、リネン室のようなスペースが奥にあり空を仰げる。縦にビルが出来ているためこんな芸当ができるのであろう。グランドフロア以外は玄関からすぐ階上にいく階段があり一般住宅となっているようである。
7:00だと言うのにまだ寝静まっている。スーパーマリオ教授の影響を受けた朝シャワーをしたいが騒音を発する。もう少し待とう。台所があり料理が出来る什器が全て整っている。旧市街のど真ん中。これが13ユーロとは安すぎる。Sevillaと違い、ここは整然とした区画の中にびっしりと家屋が連なり3-4階建てと決められた町造りとなっているようである。狭い通りを挟んで向かいの家が迫る。外目からはホステルであることが分からない。
小売店舗はこういう住宅のグランドフロア部分をぶち抜いて面積を広げたものや、もともとの一軒家の部分で店を経営している。間口が狭い店では、商品名を言って取ってもらう形式。
卵だの、缶詰など、すべて口で言わなければならない。たまたま店の壁にあるものは手で指して取ってもらう。
まずは、Plaza Frgelaに出てFalloシアターの広場を確認。本日19:00にここで現地在住の人に会うのだ。San Rafael 通りを南下。朝の早い時間は建物の影に町中が覆われている感じで東に伸びる道路に出るか、海岸線を歩かない限り暗い。通りを曲がり、日の指す方向へ。しばらくすると海岸に出た。
カディス大学(Universidad de Cádiz)のFacultad de Ciencias Económicas y Empresariales(経済・ビジネス・教員過程)の建物があり、その校門前にFicus(フィクス)という名の大木が植わっていた。根がものすごい。樹齢数百年の大木が一角を埋めている。
Cádisの先端半島の北西。Playa de la Calete(カレテビーチ)にでてCastilli de Santa Catalina(サンタ カタリナ城)へ。
Ficus(フィクスという名の大木)(8:39)
Castillo de Santa Catalina(サンタ・カタリナ城)
(sketched at 9:01 in angle of 240°)
茶色の部分が引き潮で海底が露出している。左奥がサン・セバスティアン城
城をスケッチ。早朝ランニングする人達や、干潟で何かを漁る人や、船の手入れなどとよくある”ビーチ沿いの風景”が展開されている。
北側にCastillo de Santa Catalinaが、南側にCastillo de San Sebastiánがある。後者は約1kmほども突き出た突堤の先にある。La Careta湾に面するビーチLa Playa de la Caleta(プラジャ・デ・ラ・カレータ)は信じられないほど美しい。Casitillo San Sebastiánへの通路が町から突出する形で西側に750m延びている
(海岸線)(9:35)
10:00 海岸べりの広場 Puerta de la Caletaで寛いでいると、サンタマリアを唱えながらしめやかな隊列。凡そ100人ほど。司祭が一人。大きなローソクを持つ人2人。海に張り出すテラスを周回してい11/1、2は町中が休みでお祭りという。その一環であろう。
そこを出て、出島のような部分の南側はAv.Campo del Sur(カンポ・デル・スール通り)で、大聖堂(Catedral de Cádiz)が聳える。その横にある古い建物がTeatro Romano (30 a.C.)で、大聖堂の元の形であるという。Plaza
de Catedralで一服し聖堂をスケッチ。Barの桟敷を使わせてもらう。まだ開店前でオーダーは受け付けていない時間帯。
(Catedral de Cádiz from Plaza
de Catedral
(広場からカディス大聖堂)(sketched at 10:54 in angle of 240°)
Santa Maria地区、Cabrera Nevares、Rosario、José del Toro、Benjumeda通りなど観光・商業地区を散策。スケッチなどしながら寛ぐ。小さな店に入ってはパンや果物を仕入れたりと。
大通りに進み出て東側の旧市街を散策。Palacio de Congresos de Cádiz、Iglesia Conventual de Santo Domingo、Parroquia
de la Mercedなどの建物群を縫うように展開される極細の路地群。なかなかスリルがある散策である。町角に行列のできるパン屋があったので並んでみる。菓子パンなども多く、バケット一本などを所望。午後は部屋でゆっくりする。
(Catedral de Cádiz from Plaza
de Catedral
Calle Benjumeda(ベンフメダ通りの町の風景)(sketched
at 12:33 in angle of 300°)
よく似た通りは5万通り。すべてT字路のような景観。
道が微妙に曲がっているからだ。
16:40-17:30 Taviraの塔へ。町で一番高いという。てっぺんにつきだした更に高い場所にあるカメラから360度の映像が館内で楽しめるという。こちらは上映時間が決まっている。その時刻17:10。しかしパスしてホステルに戻る。10人部屋(ベッド5x2段)に一人しかいないようだ。19:00に人と会う約束。
カディスの町並み−北側(16:48)
カディスの町並み−南側(16:49)
大聖堂の奥が3kmのビーチ)
19:00 ホステルから100歩の場所にあるFalla
Theatre の正面でMaria Rosaさんとその主人ホセさんと会う。Gran Teatro Fallaはオペラなどを上映する劇場である。camino仲間が紹介してくれた貴重なカディス住人である。日没はもう過ぎたのかも分からないが西向きに開けたCaletaビーチからの景色は格別であると言って走る。ご主人も走る。当方は朝見た場所である。場所は頭に。夜の光景はまた格別。樹齢何年になるのであろうか。Ficusフィクスの巨大な木がライトアップされている。前が大学であるという。もう一カップルを加えて5人で喧騒の町へ。お祭りをやっているのだ。マリア像を担ぎだした行列が歩き、楽団が続き、人々がそれを見守る。ものすごい人込みである。
Maria Rosaのご主人ホセは髭もじゃの大男。彼がその列を掻き分けて先頭に出ていく。小生もそれを追いかける。先頭から写真を撮ったほうがよいであろうとのこと。Videoでも小生を撮影してくれる。なかなかのおもてなしであった。
(行列)(19:15)
アメリカ伝来のハローウインとの関係もこの町ならではという貿易の歴史があるという。セビージャとカディスの町は複雑さは似ていてもこちらは碁盤状、あちらは納豆の糸。どうしてだろうと聞いてみた。あっちはイタリア、こっちはアラブ+ナポレオンという。碁盤の目の方が風の通りがよく涼しく感じられる。なお最初はもっと小さく貿易で発展するに従い埋め立てて旧市街地が出来上がったのだと。詳しい説明が続く。カテドラル近辺の魚のフライ専門の店で談笑は続く。採れたての魚介類を天ぷらにする店が大繁盛。昔よく見たたこ焼きを包んでいた半紙ほどの大きさの紙を漏斗状に作ってその中に天ぷらを入れていく。オーダーした種類別に包装されるのだ。
4,5個の紙包みを持ってテーブルに着く。5人分のジョッキが運ばれ乾杯。
談笑につぐ談笑。スケッチブックはCamino del Norte のMaariz (マーリッツ)から描きとめた2冊目であるがそれを一枚一枚見ていく。その一枚一枚を写真に撮り始めたからたまらない。
手を振りかざした瞬間に、その手がジョッキに触れた。大きな音を出して床で割れた。隣の女性の背中までもビールの液体が飛んでいる。しかし「いいですよ、いいですよ。」とにこやか。その音も問題にならないくらいに店は活気に満ちあふれ、声が行き交っていたのだ。ほんの小さな出来事で何もなかったように時が過ぎる。店員が飛んできて掃除を始めた。我々はお代わりを注文したり、天ぷらを平らげるまでその店で粘ったものだ。あとは市内を歴史散歩。
馬車が狭い道を行き交うため通りの角々には衝突防止の杭や、鉄板で出来た黒いガードがあるのを教えてくれる。階上から投げ落とされた排泄物を流す溝だった部分がへこんでいる。家々の壁は地上から高さ50cmくらいに色を塗り分けられている点、ペスト蔓延で石の凸凹に菌が付かないように白い漆喰で建物を覆いつくした事、等々詳細な説明が次から次に語られる。
4人とも、造形の専門家である。微に入り細に入り町の説明は続く。・・
Map : Cádiz
(カディスの地図)
明日からの行動ではConil de la Frontera (コニールデラフロンティア)へ行くべしと。白い建物の重なりが楽しめるという。
徒然の記
■カディス・・孤島だった島が、南からの砂丘の延伸で陸地と繋がった。中心部では埋め立ても行われて現在のカディスという都市が造成された。鶏の形と似た形状で、ネックの部分が砂丘である。頭の部分が長崎の出島といった感じである。川をさかのぼったところにあるSevillaをしのいで一大貿易港となったカディスは、アメリカとの貿易でスペイン国内の3/4を賄った。。アメリカ文化の象徴であるハローウィンが盛大に行われる背景ともなっている。大富豪が活躍した18世紀の建造物が多くを占める。コロンブの4回の出帆のうち2回がこのカディスである。
通りが碁盤の目であるのは計画的に町が拡張されていったためのようである。Sevillaと大きく違うところであろう。島だった時代の最上部にTorre Tavira(トレー・タビラ タビラの塔)が建っており町全体が眺望できる。
【73.11/2(水) Cádiz(カディス)からConil de la
Frontera (コニール・デ・ラ・フロンティア)まで】+【Memoir84】
今日のコースはMaria Rosaお薦めのコース。Cádiz(カディス)からSan Fernand(サン・フェルナンド)--Chiclana de la Frotera(チクラナ・デ・ラ・フロンテラ)を経てConil de la Frontera(コニル・デ・ラ・フロンテラ)(テント)まで徒歩20km、バス30km。
8時出発を目指し5:00起床。
6:00 朝食の準備 Yatekomoの焼きそば(ポルトガルと違いスペインではどんな小さな店にも「ヤテコモ」有りますか?で通じ棚から出してくれる。大したものだ。カレー味のカップラーメンが一番旨い。目玉焼き(昨日はオリーブオイルを懇願したらカップに半分もの大量のオイルをくれた。これでフライパンは焦げ付かない!)、パン、サラミ、バナナ、白蒲萄、クッキーなどを食する。
旧市街の真っただ中にあるホステル(De Cadiz Cadi Hostel)では昨日は8人部屋に一人という淋しさ。これだけ空いた部屋は珍しい。そこを早朝に出ていこうとすると鍵が閉まっている。フロントに無造作に置いてあった鍵がそれであったが、宿屋の主は待てと制止する。あまり早く起こされたものだから不機嫌である。
グランドフロアのドアは2重構造になっていて、階上の住人用に最初のドア、2番目がホステルのドアという風になっている。この2つを通らないと表に出られないのだ。
Chiclana de la Frotera(チクラナ・デ・ラ・フロンティア)までは電車がなさそう。またカディスからバスだと肝心のcamino 道を歩かないことになる、少なくともSan Fernand までは歩いてその先は人に聞いてみよう。My Map27_01_008 a point (26km)に兎に角、合流することを目指しMaps.Meで最短ルートを検索しScreen Copy10枚を取っておく。7:55出発、8:11 1056歩で海岸べりに出る。
真っ暗な街路を進んでいく。碁盤の目のような通りでも大抵は曲がっているのでいつもT字路のように先が見通せない。とにかく真っすぐ南に進み、大聖堂へ。ここからSevilla をめざす「Camino de Cádiz」が始まる。湾を一周する道である。所々に矢印と貝殻マークのモホンが立っている、途中まではこれに沿って歩く。こちらは途中から南に折れればよい。
8:32 新しいカウント1726で建物の上から日の出。
10:57 土道4.7kmでcamino 道から外れる。Sevilla へ行く道は湾の内側。我が方はこれからMaps.Meの 27_01_008 a point (26km)へ向けて東に舵を切る。ここでよい草地があったので土道を少し降りマットを敷く。--11:30
San Fernandの鉄道駅がすぐそこ。駅員に聞いてみた。Maps .Me 上にあったこの先の3つの駅は現在無いのだと。直前の分岐は廃線になっていたし、map上も線が途中で無くなっていたので「やはり」という感じ。 Chiclana de
la Frotera(チクラナ・デ・ラ・フロンティア)までの7.5kmを歩けば2時間。バスがあるので利用したらとバス停(Bahía de Cádiz)を身振りで教えてくれる。まぁ特に乗る必要も無いのだがバスの終点で Conil de la Frontera (コニール・デ・ラ・フロンティア)への情報がget出来るかもしれない。面白い婆さんが話し掛けてきた。どこまで行くのだというので、Gibraltar
だと言ったら、顔をしかめ猿しかいないのだと。 Conil de la Frontera (コニール・デ・ラ・フロンティア)や、 Vejer de la Frontera(ベヘール・デ・ラ・フロンテラ)はとても良いところだと。M1という市内バスに乗りながら大声で Chiclana de la Frotera(チクラナ・デ・ラ・フロンティア)行きは次のバスだと運転手から聞いた情報を伝えてくれる。 Chiclana de la Froteraまでは1.6ユーロ。さて終点でバスの運転手に聞いてみた。Chiclana de la FroteraからConil de la
Frontera(コニル・デ・ラ・フロンテラ)までは少し遠いのでカディスから出ている郊外型のバスを市内で捕まえる。郊外型バス専用のバス停がなく市内バス用のバス停を使うため、並んでいる人に聞かなければならない。バスの時刻表すら分からない。コニル方面に行く青年が教えてくれた。13:30に来ると。このバスがVejer de la Frontera(ベヘール・デ・ラ・フロンテラ)行きのバスで、途中コニルを経由する。
バスが13:35にやって来た Conil
→Vejer (コニール、ベヘール)行きのbusに乗る。同じく1.6ユーロ。このようにローカルバスを乗り継いでいったほうが格段に安い。「白い町」が楽しみだ、バスはN-340を南下。
14:20 Conil に着いたらしいが乗り過ごした。終点はここでは無く次のVejer(ベヘール)であったからだ。急いでMaps .Me を立ち上げるも既に遅し。どんどん離れていく。運転手に状況を述べて途中の原野で降ろしてもらう。これが幸いした、絶景が現れたことと、町の全景がつかめたことだ。
丘を登り反対側の海の見える景色までバス道を歩く。この時の絶景がこのスケッチ。
Conil de la Frontera(コニル・デ・ラ・フロンテラ)
(sketched at 14:44 in angle of 274°)
白い壁も日陰の部分は青く感じる。窓は一様に群青色。海を反映しているのだろうか。
”白壁の村”としての体裁はおそらく丘状になった地形に住宅が折り重なるようにして層をなして眺められる場合である。しかも海岸からそれを仰げられれば素晴らしいい光景になるはずである。
それがコニルであった。今日はたっぷり時間がある。閉まっている店も多いが18時になれば開くという。海岸に出てみると大きなレストランが開店中。WiFi も使えるという。
スケッチポイントがなかなか見つからない。ゆっくり探索しよう。先ほどの絶景はスケッチ済みであるが。また塔が出現した。今度のはLa Torre de Guzmán と言う。これに登れば下部から町を仰ぎ見ることが出来ようが閉まっている。
15:55 軽食休憩。食料はこれで全部無くなる予定だ。3時間前の食事では缶詰のタブが外れてしまい大損。
18:00-19:30 浜辺にマットを敷き夕陽を拝む。
18:22 薄紫色のベールが水平線に掛かっている。茜色もあるがやはり完全な水平線上の日没は望めない。天空は青空なのに。
Conil de la Frontera from the
beach
(コニル・デ・ラ・フロンテラ 海浜からの眺望)
(sketched at 17:21 in angle of
12°)
本日は野営地でのテントなので、遅くまで市内に留まることができる。十分な食料と水はもう確保している。あとは夕食とバッテリチャージが同時にできる店を探すことだ。夕陽を浜辺で迎えた。
(18:09)
sunset view from beach of Conil
(18:15)
(18:51)
月齢1日目のような細い細い月がでている。沈んだばかりの太陽から光を受け光っている。一番星も輝きだした。町の方を振り向くとオレンジ色の街灯とライトアップされた家屋が浮かび上がる。
日没後市中に繰り出した。浜辺にあるレストランに腰を掛けたがなかなかウエイターが来ない。どうもお呼びではなかったらしい超高級レストラン。足元を見られたようである。あらかじめリュックは外に置いたのであるが。代わりに夕食に選んだ店はPizza house 、Andalciaの7ユーロは薄い焼き方でパリッとしていてとても美味しい。 あまりにも美味しかったのでMargarita1/4を追加。
バッテリチャージなどを快く受け付けてくれた。ほっぺたが落ちるほどおいしかったピザ。未だに味が蘇る。狙いを付けておいたビバーク場所に戻り設営。21:30就寝。
Map : Cádiz and Conil de la Frontera
(カディスからコニル・デ・ラ・フロンテラまでの地図)
【74.11/3(木) Conil de la Frontera (コニール・デ・ラ・フロンティア)からEl
Cañal(エル・カニャル)まで】+【Memoir85】
今日のコースはConil de la Frontera(コニル・デ・ラ・フロンテラ)の野営地からPatria(パトリア)、Vejer de la Frontera(ベヘール・デ・ラ・フロンテラ)を経てEl Cañal(エル・カニャル)野営地まで33km。
Conil de la Fronteraの丘の上、灌木の間でビバークしたのはよかった。海が一望でき、これから向かうVejer(べへール:標高190m)の町の光が山の上にみえ、星が近い。5:30起床。7:30出発。
明るくなり出してからのほうが今日の新規開拓の道には都合がよい、今日もMaps.MeでVejer の町直前のpoint まで最短歩行ルートを検索しScreen Copyを14枚撮っている。これをもとに歩行を行う。My Mapの原案ではN-340を行くようになっているが余りに恐ろしい。
7:55 土道が始まる。そこに「Sancha Pérez Bodega Almazara Ecológico」と書いた看板あり。
8:08 道は107度の方向に進み、日昇も同じ角度。曇っているがすでに日の出であろう。
8:20 1406歩 116度の角度の雲の間から強い日差し。
Conil(8:20)
農道を行くためスリル満点の行程である。トラクターしか通れないような荒地に付けられた道がちゃんと地図に示されている。そこを慎重に進む。指の幅が約700mと踏んで地図を計測。その分を歩測しながら前に進む。分岐がなかなか難しいがそこは景色と相談の上で決定する。
大型のトラクター2台がやってきたので道を譲る。高速道路A-48とN-340がかなりの間並行して走る区間。地平線まで続く農地と幹線道路という土地利用の典型がここにあった。迂回道路はその農地の部分であぜ道にあたる場所を歩いて行く。
9:09 農道が高速2本(E-5、A-48)、国道N-340の3本を渡る橋に到達。これまでのルートは合っている。このpointでも最初の計画通り国道を行ってもよいのであるが車道が3本では煩すぎる。距離は変わらないようなのでこのまま農道を行く。
9:38 橋から1661。農道も草道となりなにか怪しげ。ただ国道が高速を跨ぐか潜る場所に、元からある山がそうさせているのであろ。
(かなり怪しくなってきた農道)(9:37)
9:50 怪しすぎる。不安になり地図で確認するが合っている。2261 ok。290mで左折。ここで2つのミス。犬が盛んに吠える方向へ右折。元に戻り今度は舗装道路を思い込みで行って行き止まり。
country scenery of
Patria(10:19)
10:26 丘の上に上がりきる。Patria(パトリア)の村落で、舗装道路があったので進んでいくと行き止まり。何のことは無い。生活道路として各戸の玄関まで延びているだけの道で、あくまで土道を行かねばならなかったのだ。これも500m戻り"正しい"農道をいく、
太い赤は当初の計画、Maps.Meで最短コースを求めたのが青線、ほとんど農道である。
11:50-11:40 五差路のような場所。最初の食事休憩。 27_02_005 b point の合流まであと3km。
農道ときどき道路という面白いコース。バイクもその一部分で遭遇するが殆どが一人旅。山道を含めなかなかやるじゃないかMaps .Me ! と言いたい。これがなければ今回は国道ばかりであったろう。バス停の椅子に座って軽食を摂っているがあれだけ悩まし続けた蝿や蚊が一匹もいない。バス停内のガラス空間が厭なのであろうか。
11:49 729 目の前にVejer の町。確かに山のてっぺんにある。教会の尖塔が天を突き刺す。
ベヘールは 海から立ち上がった標高200mの断崖絶壁の上に出来た白壁の町である。
landscape of Vejer(11:47)
丘の上にベヘールの町があった。教会の鐘楼が天を突く。斜めの線を登っていった。
12:07 2154。
12:31 合流地点から824。1.4kmの坂の途中休憩。疲れたぁ。周囲の素晴らしい景観を撮影。
なんとユニークな町であろうか。南の方に向けて160mくらいの台地が続くのに、皆この一角に固まってしまっている。不思議な町である。北向きの要塞からスタートした町なのであろう。
もともとMy Mapにはベヘールの丘を登っていく山道が書いてあったのにそれを見逃した。うねうねと車道を登っていく。崖っぷちには転落防止のブロックが置かれている。10個ごとに、何かマークが付けられているようである。
歩測をしながらこのマークを数えるということをやって見た。23,24,25,26,・・・とカウントしながら、脳細胞の空いた部分でブロックの数を1,2,3,・・と数えていく。これは案外難しい。ゲーム感覚で進んでいく。
眼下の景色はしだいに広がりを見せ、大パノラマとなって地平線まで見渡せるようになった。やっと町の入り口である。camino姿を見た男性が走り寄ってきた。記念撮影をしたいと。この町の入り口からも、まだまだ高度は上がっていく。
胸突き八丁といった感じでで息をぜいぜい言わせながら一歩一歩進んでいくと漸く大通りに出た。絶景スポットをスケッチ。
植栽で気付いたのは刺のある植物が皆無となったことである。雑草に皮膚が触れただけで痛みや、トゲが刺さるということがなくなった。優しい植物達。--12:44 あと少しでVejer ベヘール!
12:56 1750で漸く町の端が見えた。
13:18 topに上がりきったら教会は遥か東。その尖塔を少し入れてスケッチしよう。その間バッテリーから充電。58%-→66%に改善
町は2つの丘を持ち、一つが古城、一つが文京地区。複雑に道がからむ、古城の方の広場にあるBarで大休止。
Vejer de la Frontera(ベヘール・デ・ラ・フロンテラ)
(sketched at 13:39 in angle of 90°)
2つの丘の西側から東を望む
女性の巡査が立ち交通整理を始めた。沢山の人が集まってきた。小学校の下校時間になったようである。14:00時に門が開いた。校庭にどっと親たちが入っていき、我が子を見つけて連れ帰る。急坂を降り乍ら今日一日の出来事を話しているのであろうか。皆楽しそうだ。
school time(14:13)
Castillo de Vejer(ベヘール城)を見学したあとは、東向きのテラスに近いBarで4時間くらい粘る。昼飯と夕飯を取ったあとまだ12kmも歩かねばならないのだ。
Castillo de Vejer(14:12)
14:28--Bar Penequeで寛ぐ。
Barでメニューを貰い検討するも、カウンターにあるアラカルトの方に目が行く。茶色の丸い皿一つにそれらを盛って1.5ユーロの安さだ。肉と玉ねぎを和えたのが格別に美味しい。白いてんこ盛りの料理は ensalada
ruza、それも一皿と。
長居とバッテリーへの充電などで消費を率先しビールなども2杯と。
リュックを置かせてもらい、スマホにもチャージを行っている間にスーパーで買い物を企てる。
Panoramic view from the
terrace(16:56)
シエスタあけの17:00が開店時間。店の前で待つも店主なかなか到着せず。やっと17:18到着。こちとらこれからまだ12kmも歩かなければならない身なのだ。さっさと開店して貰いたいものだ。パン、ハムなどをgetし、先ほどの Barに戻る。続いて夕食を食べるほどの時間の余裕はない。肉料理のみを口に含み急いで出発。
町を抜け出す方法は2つ。車道と急傾斜の歩道。困ったことにMaps.Meの地図情報にこの急傾斜の道が載っていないのだ、緑色の塗りつぶしで"フォレスト"を表しているだけだ。その道を下っていく。橋を渡ればいよいよN-340である。高速との違いは道路に有刺鉄線付きの柵があるかないかである。N-340は柵がない。イコール 人が歩いても良い道路なのである。
だが歩く人はいない。皆、車であるからである。早速反射板付きの蛍光色の上っ張りを着て歩き始めた。日没後はヘッドライトを付けて。
18:00-19:00 この間4kmは何とか見える景観。
19:00-20:30 この間5kmは真っ暗。もう危険!
しかしビバークする場所がなかなか決まらない。暗くなってからテント場所を探すことほど難しいものはない。いままでは昼間に物色をしておいてそこにテントを張るか明るいうちに到着できるかいずれかであったのに。まして国道脇はずっと有刺鉄線の張られた私有地である。12kmの歩行は諦め時間との勝負となった。こうなったら国道脇でもよいので平らな草地さえあれば十分。突然道から1mほど下がった所に優しい草だけの原っぱのような場所が出現した。少し靴でならしビバーク。当然全車両から丸見え。これ以上歩くと車と歩行者双方が危険。そういう意味でのビバークである。正しいのだ。照らさば照らせと。開き直りの境地。イ草を低くしたような密集地帯はそれこそふかふかの床。道路際であるが今夜はここに野営しよう。21:30就寝。これが今回の旅の最後のテント泊となった。テント達 ありがとう。
テントの幕に草地の映像が映され幻想的。それがヘッドライトが走ると映像も反対方向に走る。眩しすぎるにで、ナノタイルで目隠し。耳栓をして寝袋にくるまればもう快適な我が家。お休みなさい。21:30
Map and Elevation Profile : Conil de la Frontera and Vejer de la Frontera、El Cañal
(コニル・デ・ラ・フロンテラからベヘール・デ・ラ・フロンテラ、エル・カニャルまでの地図と標高プロフィール)
【75.11/4(金) El Cañal(エル・カニャル)からTarofa(タリファ)まで】+【Memoir86】
今日のコースはVejer de la Frontera(ベヘール・デ・ラ・フロンテラ)から9kmほどにあるEl Cañal(エル・カニャル)の近郊のテント場所からTahivilla(タイビリャ)→Facinas(ファシナス)→Casa de
Porro→Valdevaqueros(バルバケロス)→La Costaを経てTarifa(タリファ)まで36km。
昨夜のビバーク場所は国道脇の草地であったがよく発見できたものだ。ここ以外には数キロのわたって空き地は無かった。漆黒の中で感を頼りに即決したのがよかった。
今日は全コースが国道である。心しなければならない。ところが夜半から小雨が降り続く。国道の交通量を計って見ると3時台が最も少ない。殆どゼロだ、4時台でぽつぽつ、5時台からカディスやセビージャに向けて北上する車が増え出す。テントの日の朝は早いので、1日の行動距離は相当伸ばせる。まだ夜のしじまが残っている間にテントを畳み出発準備。車のライトを受ける時はテント内が明るくなるのでよいのであるがそれ以外は漆黒。弱めのヘッドライトで作業をする。
4時起床。まずは嵩張っている寝袋を仕舞う。昨日はテントを張るギリギリまで歩いていたので歩行用の行動服を全部着替えてテント内に干してある。テントの梁が内側なので天幕と梁の隙間に衣服の端を挟み干すことができる。高さ90cmと上の方はかなりの余裕。万艦飾とまではいかないが身体の前後に吊るされている。これで車のライトが和らげられぐっすりと寝ることができた。テントの下を長い草たちが何千本も身を屈めてくれているのでフカフカ。最高の床となった。
朝御飯はツナ缶詰(こちらではAtunと「A」を付けなければ通じない。サラミ、トマトの薄切り、白い葡萄、バナナなどを水と共に喉に含んでいく。食事に相当な時間を要するため早めの開始が望ましい。それが済むと戦闘態勢に移行。服を着替えザックに全ての物を詰め込んでいく。
ザックカバーと雨具、反射板付きの蛍光上っ張りというスタイルで出発の準備。
6:01 テント撤収(テントからマットを除き全てのものを外に出す。2本のポールは中央でジョイントされている最新型。入口にあるポール受けからポールを外す。テントはぺしゃんこになっても人間がまだテントの中にいる。ポールを折り畳んでいくのはテントの中でも出来る。サックに仕舞うところまで済んだら次に靴を履く。マットのクッションを利用して膝まずけるので最高。マットを外に出しテントを畳む。ベンチレータ用の支えの部分がテントを巻く時に平行になるように調整し縦方向に4つ折りし巻いていく。この時下地の草や土を巻き込まないようにマットの上で作業を行う。慣れれば10分で終わる。 6:20 出発。今日は元々の長丁場に加え昨日の未達成分3kmを加えて凡そ40km。最後の最後で一番の長距離となった。4.2km(4000カウント)の単位で、長丁場を括っていく。
1. 7:02 count 4000 小雨 国道N-340は120度の方向。山を回り込む最後の北向のカーブ。--7:08
2. 7:54 count 4000 小雨 風力発電基地(ジブラルタル海峡に吹く風を受けているのだという)一列何十台もが何列にも並ぶ。道は120度。--8:06
national highway (国道を歩く)(8:10)
赤点線の部分が安全地帯でここを歩く。
3. 8:50 count 4500 雲 Tahivilla(タイビリャ)の町。教会あり。
町は右側の丘の上に展開、国道筋には気のきいた店は何も無い。赤いものがあるとBarの椅子ではないかと期待が膨らむが裏切られることもしばしば。少々休憩。無風状態であるがゆっくりと風力発電の羽が回る。景色は牧草地。前方左右に低い山々が連なる。154度。Policeの車通過 。--9:00
4. 9:41 count 4000 中規模の山裾半分に白い家屋群。日本によくある石灰が露出した山裾に映った。1ランド5kmとして、8ランドまで。各ラウンドで休憩をはさむことにした。もうがむしゃらに歩くのみ。石灰石が露出したのかと思ったのは、山肌にへばりつく白壁の町Facinas(ファシナス)であった。幻想的な町。暑いので雨具を脱ぐ。食事休憩。太陽128度。道123度。この国道脇の溝。食べこぼしたパン屑を蟻達がせっせと運んでいる情景に気が付いた。蟻の気持ちになって見てみよう。「わぁ。パンが一杯落ちている。一つ戴いていくとするか。大きい奴がいいなぁ。石ころだらけで歩きにくいが頑張ろう。深い穴に一本棒が横たわっている。落とさないように慎重に。先まで行ったが断崖絶壁。天井にどうしたらとどくだろう。後ろ足4本をぐるぐる回転させてみよう。もうアクロバットだ。だめだ。持ち方を変えてみよう。やや端が天井にひかかった。パンを利用して180度、回転の大業だ。よいしょ、やっと難所を切り抜けた。やや。漁夫の利を狙ったずるい蟻。引っ張りっこだ。協力してくれないのか。こっちも負けずに戦わないと!」
そんな蟻達が口々にパンや菓子屑を大事そうにせっせと運ぶ。面白い光景だ。--10:47
grazing cows are running(牛も走る)(9:37)
白い町がFacinas(ファシナス)
この辺りからMy Mapにも手書きしておいたのは無数の風力発電のタービン基地。その数百と。巨大プロペラ群が地平線まで続いている。ところがその一基一基が巨大すぎて、近づいていくが向こうが逃げていく。遠望した風力発電になかなか到達できないのだ。それほど大きい風車。侮るなかれ。超巨大風車。
wind-power station(10:10)
更に歩いていると海の向こうに青い山脈が続く。もうアフリカ大陸が見え出したのだ。11:17
ついにモロッコである。ジブラルタル海峡を吹く風を捉えるために巨大風車が置かれ、一分の隙間もなく風を電力に変えようとしている。
再生エネルギーgetの猛烈な意欲が感ぜられる。抜け落ちた原子炉の核燃料の塊(デブリ)除去に何年かかるか分からない暗澹たる気持ちの日本を考えれば、風力発電はロマンがあり実に頼もしい。
5. 11:32 count 4500 モロッコの2、300mの高さの山が目の前に。道は200度。太陽は156度。薄曇りながらまた暑くなってきた。今までの登りをこれから一気に解消していく。緩い南東方向への下りカーブ。--11:39
山岳地帯が続く。次第に海のリゾートのような景観に変化し出した。ビーチが続く領域には多数のキャンプ地とホテルなどがヤシを影にして建っている。ウインドサーフィンやカイトサーフィンのメッカである。
6. 12:20 count 4000。道は190度。太陽190度。南の方向は確かにアフリカ。12:23
7. 12:30 25kmにして初めてBar
-Restaurante "Rioja"あり。
512歩で中断し反対車線のBarへ。ここで今日はじめて顔を洗う。髭ずらが気になるが大量の水での洗顔は贅沢にすら感じる。水の補給とバッテリーへのチャージ。
カウンターのガラスケースにあったアラカルトを注文。
1.ensalada ruza 、2.pipiranade
langostinos 3.ensalada de melva de tarifa con
pimientos asadosi
の3皿とペプシx2 もう立派な昼食だ。パンはカステラ風のカットで、茶色。この辺りのBarでは乾パンのような小さな個片が10個ほど付く。9ユーロ。
Tarifa まで直線11km。頑張れそうだ。4kmカウントをあと3回すれば到達できる。--14:07
14:37 count 4000 道129度。太陽 207度。
8.15:20 count 4000。道114度。太陽 218度。緩い右カーブでTarifa の町に入っていく。右手に海やキャンプ場、左は牧草地と風力発電。--15:26
9. 16:11 4000 。2km手前から既にTarifa。国道を横断する観光客が増えだした。手に手にサーフボードを抱えている。国道はタリファの中心街へは行かず迂回する。ここから市内に入る道を2kmほど進むと城門が見えてきてT字路となる。地図と首っ引きのバッグパッカーをしり目に、駆け込むようにしてホステルHospedaje Villanueva(ホスティング ビジャヌエバ) の玄関前16:30到着。なんとピタリとHotelに到着。count4000は最近では4.2km相当。かなり早く飛ばしたことになる。
Hotelで寝袋とテントに風を通すべく広げておく。3日ぶりの洗濯。大スーパー「Sol」で果物、パン、缶詰などを購入。ここでザクロをまた買った。
兎に角今身体はビールと何か腹ごなしを求めている。Hotelに隣接するBar El Torreónで一息つく。店の外にも天蓋をかけた小屋がありここで軽食を取る。
この後は港を見学し、旧市街の郷土料理店 Morillaへ繰り出そう。
スケッチは今日は夜の景色。パエーリア(Arroz con vardura 2人からが基本であるが野菜パエリアは一人から準備出来るという。)、ビール(Tanque Cervesa)、ジュースなど。18ユーロ。
Hospedaje Villanueva
Iglesia de San Mateo Tarifa(タリファの聖マテオ教会 )
(sketched at 20:21 in angle of 46°)
到着が遅かったので夜のスケッチとなってしまった
スケッチしたIglesia de San Mateoの前には、宿屋お薦めのレストランがあり賑わっていた。目抜き通りに面し桟敷にも人が溢れていた。金曜日の夜とて家族連れで繰り出すのだ。当方は一人なので座っていたテーブルからも椅子が一つ、二つともぎ取られていく。
Map : Vejer de la Frontera、El
Cañal and Tarifa
(ベヘール・デ・ラ・フロンテラ、エル・カニャルからタリファまでの地図)
徒然の記
■イベリア半島最南端の町タリファ。アンダルシア州カディス県の都市。途中経由したFacinas(ファシナス)の町もタリファの自治体に含まれる。町の南西にIsla de las Palomas(鳩の島)があり陸と繋がっている。この先端がPunta de Tarifa O
marroqui(プンタ・デ・タリファ o モロッコ :タリファ岬)であり、ヨーロッパ大陸最南端。
ジブラルタル海峡の幅は14kmでモロッコと対峙する。海峡観光としてホエールウォッチングやモロッコ日帰りツアーがある。モロッコへの1日観光が40ユーロ。アフリカ、或いは海峡を渡る風を利用した何千もの風力発電は一見の価値。旧市街は城壁に囲まれ入場はトンネルのような場所でアーチをくぐる。
Whale Watchingの基地として、サーファーの基地として、色んなレジャーが展開される町である、宿のご主人、可愛い女の4人姉妹(11,10,5,3歳)と美しい奥さんがいた。
この町に15時間くらいしかしかも、夕刻から早朝しか居なかったのは惜しい。観光に1,2日かけるべきであった。
関税-tariffが、町の名前tariffaから来ているという説がある。商船がドッグに入るたびに課金した
最初の都市である。アラビア語で「通知する」が語源とする説もある。
【76.11/5(土) Tarofa(タリファ)まらLa Lí nea de la
Concepción)(ラ・リネア・デ・ラ・コンセプション)、
Gibraltar(ジブラルタル)まで】+【Memoir87】
今日のコースはTarifa(タリファ)からEl Bujeo(エル・ブヘオ)→Pelayo(ペラヨ)→Algeciras(アルヘシラス)を経て La Línea de la Concepción(ラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオン 以後ラ・リネアと省略)→Gibraltar(ジブラルタル)まで30km+バス20km。
5:00前に起床。テントと寝袋を仕舞う。食事は"ザクロ"。ひとつ分を食す、種を出す。と書いたが熟したものは種もそのまま食べる。スプーンと言ったが手で房を裏返すようにして粒を出していくと良さそうだ。ハムは買ったときは厚みがあると思ったが騙された。一枚一枚が恐ろしく薄い。
上手に1枚を剥がしてパンに挟む。ジュースはマルチジュースの1L。オレンジ100%のは2-3ユーロもするが非常に美味しい。マルチは安い分水代わりといった感じであまり美味しくない。
今日も国道を行くので昨日同様4000カウントを一括りにして歩行。7:08出発。今日の最高地点は331m。それでも山の中腹。タリファからアルヘシラスまでは300-500mの断崖がが続く山岳地帯であった。タリファが海浜であったため心地よい海岸通りを行くものと思ったのは当方の勘違い。
1. 7:44 2500 雨具とヘッドライトを外す。道 46度。右カーブに差し掛かる。振り向くと222度の方向にアフリカの最西端北が眺望できる、Tarifa から南21kmしか離れていない。
(風力発電)(7:36)
筒状の塔ではなく櫓(やぐら)式の少し古いタイプ。
1. 8:01 日の出 3062
(風力発電)(7:36)
筒状の塔ではなく櫓(やぐら)式の少し古いタイプ。
登っても登っても終わりなき戦い。ジブラルタル海峡から見れば、フィヨルドのあの断崖を思えばよい。それが延々20kmも続く様は壮観であろう。国道はそんな景色の間をあるときは山側へ、或る時は海側へとかじを切りながら蛇行していく。アフリカ大陸が良く見える。
Africa Continent(7:41)
朝日が昇ってきた。絶景である。この道をどこまでも登る。
the scenery seems to burn in
the morning glow(7:58)
8:12 count 4000 道 38度。--8:13
2. 8:59 count 4000 道 107度、太陽 129度。完全な山岳コース。道は登り続けている。小休憩。----9:08
上り道はカーブとなっておりその先は青い空である。そこまで行けば下り坂に違いないと思う。
No-no。カーブしながらまだ登っていくのだ。裏切られること数10回。最後の最後で下り坂に転じた時はどれほど歓喜したか。登りの場合は2車線になり、登り車線が追加される。下り坂はその逆で、反対車線が2車線になる。この車線数が変わるところが一番危ない。歩道が瞬間的に無くなるのだ。変異点では十分な車の幅を確保するため歩道部分すなわち白線とガードレールの間のスペースが犠牲となる。
登りに転じる場合、スピードをあげふかす車が多くしかもガードレールすれすれで迫ってくる。こちらは除けようが無い。しこうしてお陀仏?
3. 9:46 3532 72度の方向にGibraltar
の岩山(ザ・ロック)を眺望。苦節3ケ月。ついにジブラルタル!
9:53 count 4000 。道 53度、太陽 143度。あぁ、旅の最後の最後でこんな目にあうとは。ほうほうの体でPelayo(ペラヨ)に到着。まだ海抜220mもある断崖であるが、熱海のような景色。伊東から熱海に走ったときもこんな景色であった。
Algeciras nまで8km。町が見えはじめている。湾の向こうにジブラルタルの山々とつきだした岬が眺望される。下り坂に掛かっている。もう上りはないであろう。---10:01
4. 247 10:07 食事休憩。
8km先が町だとするとリュックの食料もゼロベースにしてもよいかも知れない。ハムや夏ミカンなどは食べつくそう。ミカン畑に点在する別荘。そこをスケッチ。--11:23
Pelayo(ペラヨ)(sketched at 10:59 in angle of 10°)
道路面の標高220m、山は560m。
ペラヨの町から海岸に降りて行く道を見つけた。細い道が海岸伝いにTarifa(タリファ)からも続いている。次回があるとすれば海岸コースも制覇したいものだ。
12:01 count 4000 。道74度、太陽 167度、いまだ坂の途中。周囲はユーカリの植列で見通しが利かない。--12:08
5.ロータリ手前からAlgeciras(アルヘシラス)の市内に入るため細心の注意。
12:42 count 2000で丁度28_01_007 b
point のpoint 。
ここで国道から外れて、市内に入る。蛍光色の上っ張りを脱ぐ。Bar-Restaurante Los
Pastoresでコーラ休憩+充電+水補給。Algeciras(アルヘシラス)の入り口にあるBarで長時間の休養。なにせ地図を見すぎてバッテリーが消費してしまっているのだ。チャージを行うための時間稼ぎとして今後の方針を"協議”。小生に指示を飛ばす第2のTurbo717が居るのだ。My Map君である。強力なライバルかつ味方である。
この方はAlgeciras(アルヘシラス)で一泊し、翌日Gibraltar観光をしてそのあとにここまで戻って、セビージャまでのバス便を主張している。だが国境の町La Línea (ラ・リネア)まで行けば、始発のバスがアルヘシラスを経由してセビージャに向かうと聞いていた。
ここから4.3kmでMy Map は終わっている。Algecirasを最終ゴールと決めてあったためだ。ところがスペインにはもっとジブラルタル寄りに国境の町 La Línea de la Concepción(ラ・リネア・デ・ラ・コンセプション)が有ることを知ったのはセビージャのバスターミナルである。セビージャまでのバスは La Líneaが始発になっていたからだ。ジブラルタルに行くためには La Líneaから徒歩で向かう。
Barの位置からLa Línea de la Concepciónまで行く方法を模索。10km以内であれば歩く。よって次なる手は、このLa Línea (ラ・リネア)の町にはどう行けばよいかというのが協議の対照だ。第3の協議者、Maps.Meさんのお出ましだ。Algeciras(アルヘシラス)から
La Línea(ラ・リネア)までの最短歩行ルートを計算させた。
しかしMaps .Me による検索は恐ろしく時間が掛かっている。長大なルートを計算しているのであろう。
道を見つけるのにコンピュータが苦戦しているのだ。こんな時は徒歩をやめたほうがよい。案の上35kmの大迂回路を提案してきた。よくもまぁぬけぬけとこんな計算をするものだ。14時の時点では不可能である。
ここは諦めBarの人に La Línea de
la Concepciónまでいくバスに乗るには?(Dónde puedo coger el autobus
a la Línea de la Concepción? )と聞いてみた。ワーと喋り始めた。紙に書いてもらう。かろうじてその走り書きから次の単語が読み取れた。「Hotel Mir Octavio」「Estación Bus」。Google Mapで「 Octavio」を引くと駅前であることがわかった。ここに郊外へ行くバスターミナルがありそこから La Línea(ラ・リネア)行きが出ていると。Barの男性に再確認するとokだという。続いてホテルの探索でHotel Miramarを見つけ予約を入れる。それこそ最短コースを検索すると途中までMy
Mapの設定コースのままである。
アルヘシラス市(14:14)
町の郊外は起伏が続く。遠くに町の中心部に至るedgeが見える
Barを出て、生活道路や、傾いた住宅街の裏通りを進む。なかなかのスリル。途中行き止まり。2cmが200mという1万分の1の地図ではまだ不足。ごちゃごちゃした街路は5000分の1ぐらいにしないと分からない。通りを歩く人はこういう異邦人を警戒する。いったい何者がこんな住宅街に入りこんできたかと。だって、Google Mapが最短コースでこの道を選んだからです! と心で叫ぶもこちらも焦っているのだ。
2箇所、分からない場所があった。迷った場所は悔しいので大体覚えている。Google Earthで再確認しているのであるがそこでは道があるように白線が書かれている。実際の現地では道が無かったというケースがしばしば。
これは白線が人の手で引かれるためではないか考える。”実際”(real)と乖離することが多い。
壁や、柵、フェンス、川やドブ、土管・・。通りたくても通れない”道”に加えて、雑草の生い茂る荒地など。
車の通る大通りに出さえすれば命拾い。目指すOctavioホテルに着いた。この裏庭がバスターミナルになっているのだ。バスの出入りする道から進入したがホテルの中から裏に抜けるのが正解。そこには電光掲示板があった。
バスは15:20出発しLa Línea (ラ・リネア)へ向かう。当初はMyMap通りの行程で北側に進路を取り市内中心街を通り抜けていく。Maragaに行く方向。16:00着。到着したバスターミナルでGibraltar(ジブラルタル)までのバスの切符を買おうとしたが笑われる。すぐそこなので歩いていけと。なんと直線で200m、歩いて500mでGibraltar(ジブラルタル)であった。
イギリス領なので税関がある。パスポート審査があり16:16 Gibraltar 入国!
ここから英語に切り替わる。長さ2.5kmの滑走路の幅の分およそ200mだけ徒歩で横断する。当初は地下通路かと思ったがこにも信号があり、飛行機の離着以外は、滑走路がopenになる。車は長蛇の列。人はスイスイと。
tour bus course(16:17)
ここは猿が目玉だ。
町は長さ6km、幅1kmから500mの台形で、そのど真ん中にお猿さんが棲む岩山(ザ・ロック:標高426m)が聳える。16:30発のCity
Center行きのバスに乗る。ともかく中央部へ。4分で北駅。10分で中央駅。
ここでの名物料理はなんだろう。広場で流行っている店というより、バッテリチャージができる店を探して入る。ところが英国式プラグ(BFタイプ)のためC型(EU諸国)は使えず、手持ちバッテリーからのスマホ充電でしのぐ。
La Lí nea de la Concepciónへ戻る。ホテルの予約を昨日している。 C型コンセントが使えない国のため戻ったほうが正解であった。
(お土産屋)(16:45)
さてホテルには到着が遅れた。20時を過ぎようとしているのに見つからない。Google Mapに記載されているホテル(Hotel Miramar)の位置が間違っていた(現在でも間違ったままだ)。通り一本違ったのだ。地元の人でも知らないという。真裏にあるBarが開店し始めたのでウエイトレスに聞くも知らないというが、写真を見せた時に大きく頷き、反対側だと教えてくれる。
土砂降りの雨となってきた。桟敷に貼り出された天幕の下でビールを煽る。傘を指しながらホテルに向かう。こういう時はMont Bellの軽い傘が大いに役立っている。
Map: Between Tarifa and Gibraltar
(タリファからジブラルタルまでの地図)
Elevation Profile :Between Tarifa and Algeciras
(タリファからアルヘシラスまでの標高プロフィール)
この区間の最高標高は331m
【77.11/6(日) La Lí nea de la Concepción)(ラ・リネア)からSevilla(セビージャ)まで】+【Memoir88】
歩きの旅を終了し帰還準備。今日のコースは La Línea de la Concepción(ラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオン 以後ラ・リネアと省略)からSevilla(セビージャ)までバス258km。
5:00起床。日記を読み返す。メモ帳に毎日書いた記述。思い出して書き加えた部分もあるが大半はreal
timeで1秒先が闇という状況下の日記である。読み返して見るとまぁ実に細々と書いたものだと本人も呆れている。
バスは15時発と遅い便を予約した。
Sevilla(セビージャ)到着は19時。それまでたっぷりと時間がある。La Línea(ラ・リネア)の町を歩き、Gibraltar(ジブラルタル)の岩山をずっと眺めていたかった。陽光は眩しい。南国の香りするこの季節にしては珍しい花々が咲いていた。
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■シャワー
La Línea de la Concepción)(ラ・リネア)のHotel Miramar(ホテル・ミラマール)のシャワー、最初の4分が水だ。あまりの遅さに時間を計ってみた。これでは熱湯の配水管が100mくらい先ではないかと思うほどである。
「歩き」の場合は最初の水の部分が重要で所謂「icing アイシング」に使えるのだ。どこでもそうであるがシャワーのノズルを足元から膝の部分を冷やす。徐々に温度が上がっていくので身体の上部に当てていく。心臓は最後である。22度以上であれば心臓も大丈夫であるが最初から全身に水を浴びる勇気はない。日本のように浴槽にお湯を張ってから入るのとは大きな違いがある。シャワー10分で浴槽のお湯の量に匹敵するという。なんという無駄であろうか。シャワーは効率が悪いのである。このホテル、暖まるまでに浴槽分の水を消費したことになる。5分間もアイシングしていると身体が冷えきってしまうのだ。目一杯赤いマークに合わせているのだが時々あるように逆の場合かなぁと青いマークに合わせたりするものだからますます水が暖まってこない。ぜひ改善してもらいたいものだ。
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今日は半日このホテルで寛ごう。"歩き"用途に使った「戦闘服」はもう着ることはない。昨日最後の洗濯をしタオルでプレスしてあるのでほどなく乾くであろう。
La Línea
de la Concepción(9:24)
flower(10:13)
青空の下、ビーチを散策。日曜日であるからだろうか。閑散としている。砂浜でジブラルタルの岩山とアフリカ大陸の山々をスケッチ。色んなアスレチックの道具が並んでいた、マラソンついでに腹筋を鍛える男性、カップルで体操をしながらヨガのような逆立ちの姿勢、スケートボード用フィールドで競う男達、ここはジブラルタルを望む楽天エリア。秋寒むの晴れた一日を皆が外に出て楽しんでいる。スペインでは兎に角"外"が重要。自分を晒し、議論をふっ掛け、自己主張し、フェンスkに囲まれた安全地帯とその外の往き来こそが人生。
よそ者をとことん観察する姿勢は見事である。よって怯んではいけない、笑顔で挨拶すれば同調間違いなし。スペインとはそいうお国柄である。スペイン語はマスターしたい。
燃え尽き症候群にならないように次の目標を立てろと息子からメール。Maraga、Granadaなど今回パスした多くの町々をペラペラのスペイン語で闊歩したいものだ。
Gibraltar from La Línea de la
Concepción
(ラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオンからジブラルタル)
(sketched at 10:05 in angle of 153°)
Playa de Poniente(ポニエント・ビーチ)からジブラルタルのザ・ロック426mを望む。
yacht harbor La Línea de la
Concepción
(ラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオンのヨットハーバー)
(sketched at 10:05 in angle of 153°)
fishes swim in circle at yacht
harbor La Línea de la Concepción
(ラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオンのヨットハーバー)(10:46)
スケッチしたりゆっくりしている間にまた小腹が空いてきた。パキスタン人が店を構えるケバブの店。チキンカレーがあったのでオーダー。ふと時計を見ると13:00に近い。ホテルのチェックアウトの時間を1時間もオーバーしている。荷物など広げたままだ。走りに走りホテルに謝りながら自室へ。杖はクロスしてリュックに仕舞えている。戦闘服などをてきぱきと取り入れスタッフザックに入れていく。部屋を3回転し"ワン"と。忘れ物が無いことを最終チェック。13:05ホテルを飛び出しそのままケバブの店に。熱々のカレー。辛さを抑えて貰ったので舌への影響を最小限に出来た。Sevilla 行きのバスは15:00。まだ1時間ほど余裕。スケッチ2枚。彫刻家が声を掛けてきた。有名な方らしい。多くの友人から日本に行けと言われていると。典型的スペイン手法との融合を期待されているのかも知れない。
The rock from Plaza de la
Constitución
(sketched at 14:03 in angle of 168°)
Plaza de la Constitución(憲法広場)からジブラルタルの岩山
Sevilla 行きのバスは定刻の15:00出発。バスが立ち寄った箇所は、次の通り。
Algeciras(アルヘシラス)→Tarifa(タリファ)→ La Barca de Vejer(ラ・バルカ デ・ベヘル;Vejer de la
Frontera(ベヘール・デ・ラ・フロンテラ)の崖の下にある町)→Conil de la Frontera(コニル・デ・ラ・フロンテラ入り口)→Chiclana
de la Frotera(チクラナ・デ・ラ・フロンティア)→ Puert Real(プエルト・レアル)→Sevilla
Puert Real(プエルト・レアル)を除いて小生の歩いた町々をバスが辿っていく。遠くの町々や牛の看板も記憶に新しい。途中立ち寄った街道沿いのBarなど折り畳んだ記憶を紐解くように。
以外と乗客が少ない。La Línea からは2人、Algeciras から10人。モロッコから到着したばかりの人のようだ、アフリカの香りと肌色。スカーフが似合う。
Algeciras 15:37 出発。
15:41 昨日利用したBar を通過。Tarifa へ小生が歩いた道を辿っていく、覚えている景色を逆走。今日は激しく風力発電の羽が回っている。バスからはもっとはっきりアフリカが見渡される。
南側の風車は鉄塔に羽が付いている。古いタイプであろうか。北側のは電柱タイプで新しい。牛が喰む牧草地は鞣し革のような色と質感。
inside of bus(14:59)
16:00 Tarifa 到着。5人が乗り込む、苦労して歩いた距離はバスだと19分! 16:02出発。
16:39 Vejer の町の崖下の町-La
Bahara de Vejer のバス停10人、トイレ休憩。バスの外に出て新鮮な空気を吸う。
17:03 Conil (コニール)4人、17:05 出発。
17:26 Chiclana de la Frotera(チクラナ・デ・ラ・フロンティア) 3人
カディスをパスするだけで殆んど小生のコースである!違う道は無いのかと言いたい。
17:43 Puerto Real (11/2に通る予定であった都市。カディスまでバスで湾を渡り短絡したものだから通っていないのだ。) 1人、降りる。
この後は高速を飛ばしてSevilla へ。18:36
Sevilla まで26km。
高速の所だけ思いきり木を植えた感じ。中央分離帯も10mの巾で木が植わっている。要するに下界からは無粋な建造物である高速が見えないようなシステム。音はすれど姿見えず
これがスペインの施策でこれ見よがしの日本の高速との違いであろう。
バスで4時間の距離を10日かけて歩いたことになる。贅沢に時間を使わせて貰ったものだ。camino 道を"世界で一番贅沢な散歩道"と呼んだ人がいた。まさにその通りだろう。足の持つ限り歩きたいものだ。
19:05 SevillaのSan Sebastian(サン・セバスティアン)バスターミナルに到着。ここからは徒歩で大聖堂に向かう。ホステルは11日前に3泊もしている勝手知ったるGrand Luxe Hostel(グランド ラックス
ホステル)。
19:23 Hostel Grand Luxe Hostel へは18分。102号室も同じ。6Bedsに2人。豪勢だ、シャワーを浴びるも今日は洗濯無し。フロントにはすでにメールしている明日の航空券のpdfファイルをプリントアウトしてもらう。こういうサービスは有料であるので気兼ねなくオーダーできるのだ。先日はいきなりメールアドレスを聴いたら怪訝な顔をされた。有料サービスの範疇での利用であることを伝えると快く教えてくれた。
こういうところは実に現金である。身構えた態度が一瞬のうちに氷解した。さらに早朝のタクシー便を予約しておいてもらう。値段のreduction交渉をお願いしたがこれは断られる。空港まで幾らぐらいかかるかという事務処理的な質問はしてくれそうだ。20kmはあるので歩いて行くことも考えたが深夜1時にスタートしないと6:30の便には間に合わない致し方なし。屋上に上がり大聖堂の夜景を観賞。これほど凄い夜景はない。見事な景観である。鐘塔のライトアップは力強い。教会の十字の建物は僅かにくすんでいる。それでも丸い塔が美しくハイライトで輝く。回廊の上に設けられたライトは白く真珠のように煌めく。こんな夜景をホステルの屋上から独り占め。この光景は手前にある古い建物が黒くシルエットを作り夜の黒とはまた別の黒がお互いに共鳴し大聖堂をもり立てている。
ピコスという乾パンを肴に1ユーロのビールを飲んで更に観賞。この時間はスマホの充電を行うのに使っている。外でビールをがぶ飲みする分を一杯余分に飲んでおく。さて最後のセビージャの夜である。
フラメンコミュージアムでフラメンコを鑑賞しようとしたがどの時間帯も予約で満席。
bullfighting(toros:闘牛の看板)(20:09)
ここは大人しくCalle Argote de Molina(アルゴテ・デ・モリーナ通り)へ繰り出そう。スケッチしたかった近くの通りを歩く。La Subasta、Robles、Antiguedades Barなど幾多のBarやレストランが天幕を広げ道路沿いに桟敷を展開している。ゴッホ気取りで描いた絵が下図。
レストランLa Subastaがある通りは店がカーブをなして連なり独特の雰囲気。
ゴッホの「夜のカフェテラス」のように寂しくはない。天幕に取り付けられた電熱器の赤い灯りを受け客達の顔が映えて色ずく。通りをそぞろ歩きをする多くの人をスケッチに入れて此方は賑やかに。
Calle Argote de Molina(アルゴテ・デ・モリーナ通り)
(sketched at 21:32 in angle of
252°)
描き始めと、終了時の2回 ご婦人が見せてくれといってテーブルから進み出た。色付けする前と後の2回である。今回の旅では時間の関係で夜景を描くことも多く新しい出合いがある。
そのレストランでアンダルシア名物のPaellaを戴く。ビールのお代わりはなしで安くついた。作戦は成功。さて日本では老人達は冬の寒い風呂場でよく亡くなる。タイルの冷たさと風呂のお湯との温度差が原因。このレストランの天幕に取り付けられた電熱器(ブランドは"Heliosa")のようなものがあれば暖かくて良いのではなかろうか。我が家でも欲しいくらいだ。蛍光灯のような形をしており反射板がついているので暖かい。
乾パンがここでも出てきたので名前を聞いてみた。Picos(Horno camperos)というのだと。
Map: Between Gibraltar and Sevilla
(ジブラルタルからセビージャまでのバス路線)
徒然の記
■野外ヒーター
Sevillaのレストランの野外天幕に付いていたヒーター(スケッチの店にあったもののブランド名は"Heliosa"であった。)の日本版がないかと探すと、赤外線ランプヒーターや、天井照明とハロゲンランプが合体したもの(ex.ポカピカ)や、衣類乾燥も行えるグラファイトヒーター式 あるいはカーボンランプ式浴室換気乾燥暖房機など値が張るものまで各種。
外国では、冬でも外で食べたいという客にのためにガスを焚いたり、ビニールシートで覆いをしたりと、いろんな工夫をするものである。よって需要が供給を産みいろいろな暖房機が使用されるのだろう。
開放感こそ信条なのだろうか。または店が狭いためテーブルを道に並べるのであろうか。