ヨーロッパ横断紀行
ランナーの巡礼歩き〜クラクフからジブラルタルまで6700km〜 太田 宏
19・・その2−フランス5(Sevilla(セビージャ)からParis(パリ)、成田まで11/7−11/9)
【78.11/7(月) Sevilla(セビージャ)からAuffargis(オーファルジ)まで】
【79.11/8(火) Auffargis(オーファルジ)からNarita(成田)11/9(水)まで】
【78.11/7(月) Sevilla(セビージャ)からAuffargis(オーファルジ)】
+【Memoirs89】
Sevilla(セビージャ)−-Paris−Auffargis(オーファルジ)
歩きの旅を終了し帰還準備。今日のコースは Sevilla(セビージャ)からパリ近郊のAuffargis(オウファルジ)まで空路1450km、車48km。
3:30 起床。Hostel(Grand Lux Hostel)の102号室。"町スタイルの服装"は全てシャワー室の前に吊るしてある。同室の人が起きないように別室で装着。靴を履いたり忘れ物チェックにはヘッドランプで確認。3:45フロントへ。3:50 呼んでくれていたTaxiが到着。18kmの距離があるたやむなくTaxiを利用したのだが高くついた。29.8ユーロ。空港に4:05到着。4:30に空港がopenする。
VuelingのLCCであるが3社のシェア便となっている。手荷物は1個までというのを持ち込み1個と勘違い。リュックを預けるべきであった。リュックが大きいので手荷物チェック機械の穴にすんなり通らず反対方向から引きじり出さなければならなかった。しかも中には太陽パネルが入っていたため別室で開けてチェックをさせられた。誰が言ったのだろう。"機内持ち込みしなければ追加料金を取られる"と。誰も一銭も払っていない。到着後荷物クレームを通らずすぐ外に出れるというメリットがあるが。手ぶらで搭乗ゲートに進めるというメリットは大きい。
リュックが座席の上のボックスに入るのか心配であったがこれはok。
7:05 マドリッド上空を通過。黒の生地にオレンジの数珠で刺繍したように美しい町並み。所々にある黒い部分は森か公園。桜模様の縁取りは高速道路。マドリード郊外の町は雪の結晶のような形で薄いオレンジ色で漆黒の中に点在する。朝焼けの茜色が差してきた。それからSan Sebastián(サン・セバスティアン)、Bordeaux(ボルドー) 上空へ。なんと今回の旅のspot を辿る道のりである。
キャサリーヌが今度はRambouillet (ランブイエ)でなくパリで待っていてくれている。初っぱな失敗したノートルダムのスタンプを貰うためにリュックを自家用車に納めてくれることになっている。巡礼のスタート地点はノートルダムに近いサンジャック塔。そこで会おうということになっているのだ。
7:32 下界は雲ってきたが日の出が近い。真っ赤な幾つもの線が雲の上端に現れてきた。その中央が膨れ出した。閃光が出始めたが飛行機は動く。雲の輪郭を追うように太い赤が移動していく。
太陽の上昇は速い。ついに真っ赤な太陽がばぁーと顔を出した。時刻は7:36。
sunrise(7:34)
8:55 パリ・CDG空港に到着 、9:26 RERでパリ市内に。
さてParisは小雨。気温5度、南国から真冬の国へ!
RERは、Parisへの直行便で10ユーロ。Gare du Nord 、Châtelet-Les
Halles、aint-Michel-Notre-Dame、---。等に止まる。
St Jacques towerで待ち合わせなので試しに Saint-Michel-Notre-Dameで降りてみた。5番出口がNotre Dame に近いという。地上に出てみるとセーヌ川の南側。Dameとtowerの2つが実に近く迫ってくる。空港よりも寒く気温は3℃ほど、みぞれ混じりの重い雨が降っている。パリはすっかり晩秋の雰囲気。雨の空と紅葉と街並みがしっくりと融け合っている。スケッチしてみたくてうずうずする。ここでは全てが絵になるのだ。
10:25 フロックコートや厚手のオーバーを着た人々が足早に通り過ぎる。セーヌを渡り
St Jacques towerの方向に進む。
Paris(10:10)
Pont au Change and Pont Neuf
from Pont Notre-Dame
(ノートル・ダム橋よりセーヌ川下流方向 シャンジュ橋、ポン・ヌフ橋)
(sketched at 9:57 in angle of 30°)
Pont d'Arcole from Pont
Notre-Dame
(ノートル・ダム橋よりセーヌ川上流方向 アルコル橋)
(sketched at 10:00 in angle of 100°)
パリに帰ってくると景色はすっかり晩秋になっていた。
南西角にあるBar 「Café In」で暖を取る。朝食はSevilla でも食したが、ここでもプティ・デジョネ・クラシックを注文。出てきたパンはこの世のものと思えないほどの美味しさ。すぐボロボロになってしまった
かの国のパンと全く違う。
10:55 もうそろそろかなと電話するとキャサリーヌも近くのBar(CafeLivre)に居ることがわかった。外に出てみると手を振っている。という訳で3ケ月振りの再会。彼女はこの間北の道(Camino del Norte )を完歩している。
前回会ったのは8月11日16:00にRamboullet(ランブイエ)で。12日にRamboullet郊外のD150で別れたのだ。8:00頃だったろうか。感涙にむせぶ。同世代を讃えあう。(同年代だとばかり思っていたが1954年生まれというので小生よりも10歳も若かった。2年後の2018年に四国巡礼を完遂している。)
地下駐車場に止めた車にリュックを収納し、身軽くなっていざCathédrale Notre-Dame
de Parisへ。月曜日は休みの筈であるが開いていた。閉まっていても事務所に行けばいいので別に気にはしていなかった。もらったスタンプは下図のようなもの。左上がノートルダム大聖堂の印。パリに最初に到着した日付8/10を書き入れてくれる。
credential(12:00)
0起点(12:11)
日本橋の0基点と似ている
孫たちへの土産物は郊外型の大型Shopがパリ市内よりも安かろうと。
途中にBoulogne(ブーローニュー)の森の中にあるFondation Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン財団館)で開催中の「Icônes de L'art Modern (近代美術へのアイコン))、"La collection Chtchoukine(シチューキン・コレクション)"に立ち寄る。Chtchoukine はロシアの富豪であるがパリでまだ其ほど名前が売れて居なかった時代のピカソの絵など多数を購入しロシアに持ち帰ったのであるが、死後全コレクションが国に移管されモスクワやペテルスブルグの美術館に分散されている、その絵画群が一気公開だという。2年前に完成した超モダンな財団館で展示が始まったのだと。雨で寒いので余り並ばなくても良いのではないだろうかということで足を運ん次第。Netで時間を予約した人の列とそうではない人の2列。50分待ちというが30分ほどで入れた。地下を含めて5層の建物にゴーギャン、ピカソなど多数の作品が展示されていた。美術全集でも見たことがない作品群に驚愕。
Icônes de l'art Moderne(13:15)
La collection Chtchoukine(シチューキン・コレクション)
昨年はゴッホの墓へ、今年は展覧会へと、似たような展開である。
Auffargis(オーファルジ)へ。シャンパンで乾杯。ディナーの接待に感涙。
Map: Between Gibraltar and Sevilla
(セビージャからパリまでの空路)
SevillaからParisはほぼ直線1450km。
徒然の記
■シチューキン・コレクション
パリで2016.10.22〜2017.2.20まで開催。
cônes de l'art Moderne La collection
Chtchoukine(近代美術のアイコン シチューキン・コレクション)ものすごい展示会であった。何百という名画が一堂に。
繊維王として名をあげたロシアの実業家シチューキンが画家たちの無名時代からの作品を買い集めた。1898年から1914年までのわずか16年間で。その数数百点。
それがロシアから里帰りしてパリのルイビトン財団の美術館で展示された。ロシアでもサンクト・ペテルブルグ、モスクワなど各地に散在する名画である。
一例を挙げると、
Paul Gauguin(ゴーギャン)--Self Potrait.Tahitians in a Room.Aha o
é feii(What .ar you jealous?),Sunflowers,Man picked fruit from
tree,Ruperupe(Tahiti is a wonderful land),Landscape,Women on the seashore,Scene
from Tahitian life,Vairaumati,The ford--など多数。以下同じ。
Paul Cézanne(セザンヌ)--Self Portrait
James Paterson(パターソン)--The Enchanted Castle
Sir Frank William Brangwyn—Market
Camille Pissarro(ピサロ)--Place du Theatre-Français.Spring
Claude Monet(モネ)--Seagulis,River Thames in London,Steep Cliffs
near Dieppe,Cliffs at Etrwtat,Vetheuil,Meadows at Giverny,Lilac in the
Sun,Luncheon on the Grass
Alfred Sisley--Village on the
Seine
Henri Matisse(マティス)--Luxembourg Gardens,Bois de Bouloge
Henri Rousseau(ルソー)--In a Trpica Frest.
Paul Cézannr(セザンヌ) --Mont Sainte-Victoire seen from Les
Lauves,The Aqueduct
Auguste Renoir(ルノワール)--Woman in Black
Picasso(ピカソ)
【79.11/8(火) Auffargis(オーファルジ)からNarita(成田)11/9(水)まで】+
【Memoir90】
Auffargis(オーファルジ)−Saint-Rémy Iès−Chevreuse−
Paris・CDG(Aeroflot Rusian Airlines 11:50)−Narita(成田)11.09(水)
ついにフランスを出発する日となった。
4:30起床。衣服は全て洗濯し乾燥は完了している。パッキングしたり装着したりと。杖は縮めてたすき掛けとしリュックに納めた。マットは何時もと違って側面に固く結わえつけてある。土産類は食料のように上に積みAll in oneとした。ショルダーバッグのみの軽装で機内に入る予定である。
昨日は2つのBig-Shopを訪れている。孫たちの土産を物色するためだ。面白いのは女の子のコーナ。まぁ驚くなかれ。人形だらけ。風景が一転する華やかさである。キッチン道具のコーナーや食器類のコーナーもあり"フランス人の女の子"になるための要素が全部詰まっていた。まぁ日本と似ている一面も。木のおもちゃはスウェーデン製とか。車が外に付くようなF1車はひとつもない。高学年用の"おもちゃ"はもう領域を外れるのかも知れない。物色もなかなか面白い。
camino 仲間からfacebook で忠告があった。最後まで気を付けてと。忘れ物、盗難、怪我、---。弛緩はゆるされないのだ。心して掛からねば。
Auffargis(オウファルジ)の知人の家は20km四方の広大な森の中。なにせParc naturel régional de la
Haute Vallée de Chevreuse(オート・ヴァレ・ド・シェヴルーズ自然公園)とForêt Domaniale de Rambouillet(ランブイエの森)という2つの森が隣接する中の静かな町であった。
6:30 出発、RERの駅Saint-Rémy-lès-Chevreuseまで16kmを車で飛ばしてくれる。7:15くらいの通勤電車に乗ればCDG空港まで乗り換え無しだという。すごく便利な鉄道路線が東にあった。
11:50発のAerofrot便。軽い昼食を取って機内へ。12:20離陸。ところが離陸してすぐ昼食サービス。13:30 。モスクワへはフライトで4時間弱。時差+2として18:00着。成田行きまで1時間半の余裕。この間にロシア料理を数点戴く。餃子風のスープなどなにか中華レストランのようなメニューであった。
■巡礼徒然の記
町の道路によく見られた膨らみは、仏語では「casse-vitesse」(速度抑止ブロック)という、スペインでは3M製のゴムのブロックを幾つか並べたものが多かった。何回その上を歩いたことだろう。
■ファーブの香りがする草花
Fenouil(フヌイ)--丈は1m--2m。先に黄色い小さな花をつける。camino 道や車道に沿って沢山見掛けた。塵が散らばった汚い道でもこの雑草は育つ。芳香に幾度
救われたことだろう。
■痛い草
イッチと悲鳴をあげるのがこの草。Ortiga(オルティガ)という。可愛い白い花を房状につける。葉にはギザギザがあり、茎の部分に小さなトゲがある。背丈は30-40cm。皮膚に直接触れると飛び上がるほど痛い。細かなトゲが突き刺さるからだ。目にはみえない。スペイン中北部のあらゆる所に生えるため草地に入る場合は注意が必要。ただこの草。料理に使ったり肥料になったりと優良植物ということである。
■オリーブの実
黒く熟したオリーブの実、ピクルスやオリーブオイルのもとにになるこの実。かじってみた。飛び上がるほどの不味さ、辛さ、酸っぱさ、あらゆるマイナスの要素があった。これがあのピクルスになるのかと。実にびっくり。
出会った人達への感謝・・name:meet-spot ,(nationality)
Annemarie(Shikoku-Junrei at end of March 2017):Vilalba(Sw),
Annick,Martin:Portugalete(F),
Annika Pfeiffer,Robert Sturgess:Santa Eulálla de Mós(D),
Antonio Leon( helpfully in forest ):Huelva(Sp),
Arnau
Bardí Milà(アルナウ): Ribadeo(S;カタルーニャ)
Bénesse:Capbreton(F),Cal:Fátima(F),
Catherine:Auffargis,Rambouillet,Pais(F),
Christine Winter,Eleonal,Joan:Güemes(F,D),
Dariusz(8000km walker from Porland ):Luarca(Pr),
François and Blanche:Arsac-Bordeaux(F),
Fred Gaudet,Oliver:Santiago de Compostela(USA),
Giacomo(ジャコモ;speedy walker),Javier,Anna,Golico:Llanes(I,S,D,D),
Golling Sedges,Poco Ruana:Pontedeame(F),
Guillemind,Tato,Fabian:San Sebastian (Ar),
Igor
Alberto Gomes:Rebadesella(Br),
Jacque:Villaviciosa(F),
Juan
,Pepin,Jose:Gijon(I),Georg:Aviles(Pa),
K.Watanabe
:Sevilla (J),
Karmen(カルメン;artist )
:Maariz(Sp),
M.Ozaki:São
João Madeira(J),
Marc(マーク;speed
walker):Zumaia--La Isla (F),
Maria
Rosa,Jose and their friends (artist ):Cádiz(Sp),
Mario
Pozzati(Egyptlogy visiting Professer ),Tipolo,Fernand,Lola.Emilio,Eidi,Simina
Toni,Arriva:Betanzos(I),
Mark,Roland:Elexalde-Arratzu(Hr),
Michel & Françoise :St.Briuex,Pouezec
or Plouha(F),
Ogawa,Gloria:Ribadeo(J,Sp),
Oscar
Rivera:O Pino(Co),
And all Hospitalero.
All stuf of Hotel,Hostel,Hostal,Arbergur,super-mercado's staff,polices,Bar's
counter,
And all Japanese friends.
Thanks lots for my encouragement ,you will be my forever friends.
成田着は翌日の日本時間11:30。出発時同様camino仲間多数が出迎えてくれた。
しかもわざわざ成田まで!!
今回は前回に5kg痩せたことと比較すると逆に1kg太った感じだ。食事がおいしかったこととテント泊が少なくあまり無理して歩かなかったせいかもしれない。
*******************完*********************
後日談・・
2016.11.19に九段教会であった日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の集い・講演会で
「Turbo717 Long Camino Journey 2015-2016 Onsite
Report」と題する一冊の本を受け取った。
厚い本を開くと・・現地便りにfacebookの投稿写真などを加え美しく編集されていた。
脱帽!
「その1」+「その2」の現地便りを300ページに及ぶ本にまとめてくださったNさんありがとうごじました。
この冊子「ランナーの巡礼歩き〜クラクフからジブラルタルまで6700km〜」はonsite reportと帰国後の回想録を日付毎にマージし纏めたものである。完。