サラリーマン文化芸術振興会

会員のページ・・どじょっこ雑記 2/3 中村 英生

2009.9
どじょっこ雑記(11)          中村英生

「駒形どぜう」には家訓を破って出来た渋谷店があります。30数年前に新規開店し、土地の再開発などの影響で2度の引越しをして、3軒目の店が昨年1月に渋谷道玄坂の或るビルの4階に新装開店しました。ちょっと目立ちにくいですが、渋谷駅から近くなりました。引越し少し前の旧店へ行った時、男性店員さんに、「特に玉子焼きがおいしい」とすすめられました。思わず「お願いします!」と言ってしまった私です。「品書き」をよく見ると、四つのこだわりが書いてあります。米は「宮城のひとめぼれ」、玉子は「千年の卵」、味噌は「本田味噌とちくま味噌の合わせ味噌」、酒は「振袖」とあります。「千年の卵とは、古くから在る、薬草を餌として与えている鶏の卵のこと」だと説明してくれました。「ひとめぼれ」「合わせ(逢瀬)」「振袖」「千年」などと、なにかほんのりと粋な恋色慕情・・・です。
浅草には、他にも名代のどじょう料理屋があります。“国際通り”から“かっぱ橋道具街”へ抜ける道の側にある「どぜう 飯田屋」です。明治36年創業で、永く続いた暖簾「飯田」は、昭和40年に現在の暖簾に変えたといいます。十数年前に改装した店内は明るく、床は
もちろん藤敷きです。お姐さん方はご年配の方々で、ネギがなくなるとサッと持ってきてくれるなどの面倒みの良さを感じさせて、知人・友人などと気楽に来られる雰囲気があります。鰌は、北海道や青森等から仕入れているそうです。そういえば、北海道では、土用丑日に鰌が食べられると聞いたことがありました。以前、仕事で知り合った人が、北海道出身というので、聞いてみたら、「そうです」と・・・。5月のある日、魚介類が新鮮で安くて、人気の大衆酒場Uへ立ち寄りました。私の隣の丸椅子に座った人が、北海道帯広の出身というので、鰌の話を思い出して聞いてみました。お言葉は「だいたいウナギなんていねぇ〜」と。なるほど!明快でした。土用丑の日に何を食べるかは、由来やその土地の慣習等によってもいろいろのようです。

2009.10
どじょっこ雑記(12)           中村英生

台東区浅草側から浅草通り吾妻橋を渡って清澄通りへ抜ける手前に、「どぜう 平井」があります。ここは墨田区です。4階建ての1階の店に入ると、カウンター越しの調理場から白髪で白髭を蓄えた三代目の店主、平井さんの目にジッと見つめられます。ちょっとひるむ一瞬です。2階から上は住居だそうで、ご家族できりもりしているこじんまりした店ですが、明治36年創業の列記とした老舗のどじょう料理屋です。いつぞや、鰌は千葉や茨城のものと聞きましたが、全国的に品不足もあってか、とくにこだわりはないようで、2ヶ月程前に行ったときは青森県産でした。千葉県市川に住んでいる私としては、千葉の鰌がここで食べられることもあるとは、いいですね。それにしても正岡子規の句「あゆのおらぬ下総の国やどじょう汁」・・・。まあ、鮎がいないことはたしかですけど・・・。
「どぜう 伊せ喜」は、都営大江戸(半蔵門)線の「清澄白河駅」を下車し、隅田川から荒川に抜ける小名木川に架かる“高橋(たかばし)”を渡るとすぐで、現在地での明治20年創業です。現在の建物は、戦後すぐの昭和21年に再建されました。今は長野や島根産の鰌を使っているといいます。一昨年から島根県安来の鰌が使われていて・・・これまた嬉しい話です。メニューには日本酒「純米 どじょう舞」までもあります。島根県安来市では地域興しの一つとし、「安来節・どじょう掬いの町」をアップさせ、街の産業として鰌の養殖生産を本格的に奨励育成し、品質と生産高を上げてきて、東京に出荷するまでになってきました。この付近には、芭蕉の足跡を偲ぶ名所処もあります。隅田川と小名木川の分岐に隣接する、「芭蕉庵史跡展望庭園」では、芭蕉坐像が川の三叉路を見守ります。すぐ近くに、ちっちゃな芭蕉稲荷神社、そして江東区芭蕉記念館、少し離れた仙台堀川に架かる海辺橋南詰に採荼(さいと)庵跡などです。江戸の街なかでの“どじょう汁”などは、現在の牛丼みたいに気軽に食べられていたようで、たまには芭蕉も食べたことでしょう。

 

2009.11

どじょっこ雑記(13)           中村英生

5月の半ば、ある会社が経営するカルチャーセンター2店舗の“合同講師会”が、成田のホテルで開かれ、「どじょうすくい」のデモを依頼されました。そして思わぬ人々との出会いも重なった一日でした。
会場広間の前廊下の隅で衣装替え中、ちょうど掃除仕事をしていた婦人から、「どじょうすくいですか?」と訊
かれました。「そうです。ご存知ですか?」「ええ、安来節唄えますよ」「島根の方ですか?」「いいえ、民謡を教え
ているんです」・・・。いきなり「やすぅぎぃ〜〜 せんげぇ〜〜んン〜〜〜」とその場で、民謡安来節の素唄(スうた)の一節を唄いだしました。初めて出会って、且つこんなところで、いや〜ビックリしました。踊り終えて戻って
きたら、既にその人の姿はなく、会場の誰も知らない瞬く間の偶然のことでした。やがて「会」が終わって、数人と成田駅までの帰路を同行しました。「成田山」へお参りでも・・・と思っていたら、駅まで案内役をしてくれた地元の人、津軽三味線講師のKさんが「私の家が近くなので、案内しましょう」と言うので、話をしながら歩き始めました。途中で、「ウチはこの通り(参道)沿いにあるので、ちょっと一杯やりましょう」と言い残して、小走りで缶ビールを抱えて戻ってきました。既に見透かされて、私の心は即座に「ハイッ」だったのです。私も、少し先の店でツマミの乾き物を買ったのですが、実はその隣の漬物屋さんが、Kさんのお宅でした。空の漬物樽に渡した板に、奥さんが用意してくれた漬物皿を載せ、店先からの長閑な参道の夕暮れ時を、ビール両手に“お参り”を忘れて愉しんでしまいました。実は、数軒先に川魚加工品を扱っている店があって、大きなポリバケツ容器で元気な鰌を売っているはずなのです。私の知人に教えてもらったその店で、鰌の佃煮を買ったことを思い出しました。
そして「合同講師会」の縁で、ついホイホイされて先月、成田で「どじょうすくい」の開講となり、「・・・参道の夕暮れ時を、ビール両手に・・・」が再現できる日も近いかも・・・。

 

2009.12
どじょっこ雑記(14)           中村英生

〜花巻の「どぜう村―八福どぜう庵」に、名刺(加藤雅巳さん作)が額入り〜
岩手県花巻市に、3〜4年程前に南部屋敷農園“どぜう村”として開村した里山一帯があります。東北の岩手・宮城・山形・秋田方面の街道筋に「南部屋敷」という食事処を見かけます。花巻市の奥深いここ、「見えるところ全部」という信じがたいほどの広大な山野を所有し、田んぼ(今は荒地?)、蓮池、野菜畑、養鶏場、椎茸栽培など、そして自慢の広大な百合畑があります。「鞄部屋敷」の社主は、鰌と百合には深い想いをお持ちのようです。その「村」の入り口に食事処「八福どぜう庵」があります。八福とは七福(神)に、“鰌は妙薬だ”と、薬の神「薬師如来」を加えて「八福」としたそうです。そして日本一の「薬師如来像」を建立するという村内での土地が造成半ばです。
“どじょうすくい”の幾つかの“面”が、鴨居の上の横木に飾ってあります。昨年10月の小雨降る中、車で道に迷いながら訪ね、“よく来てくれた”と大歓迎されました。そして帰り際に渡した私の絵入り名刺に“これはすごい”などと言って、「鰌のから揚げ」と「おかめひょっとこ夫婦ぐい飲み」まで頂戴しました。今年の夏、亡き母の新盆の帰郷時に足を延ばして、庵の店長Fさん及び皆さんと再会しました。今では四万株という百合畑とその周辺散策を、1時間近く店長自ら案内していただきました。まだ一部残っていた百合の花は、その豊満な香を漂わせていました。そして、サラ文会員“加藤雅巳さん”作成の私の名刺は、「八福どぜう庵」店内の壁に、額に入り掛けられていました。昨年“額に入れて飾っておきますよ”という話はホントでした。驚きと感激この上なしの思いで、インスタントカメラにパチツ・・・。そして、店に着いて“待ってましたよ”と、サッと出された「金粉が載った冷やし羊羹」と冷茶にも、忘れられない深い心をも受けたのです。
近くには、新渡戸稲造記念館、そして花巻といえば宮澤賢治。JR山田線は、「銀河鉄道の夜」のモデル路線といわれ、「宮古」から「盛岡」へ向かっての夜を駆ける列車には、「銀河鉄道」の乗客のような幻想に浸れます。
「雨ニモマケズ・・・」には、曲もつけられていて、最近、民謡出身の女性4人ユニットがうまく歌っています。

 


2010.2
どじょっこ雑記(15)              中村英生

踊る!・・・97才現役“どじょうすくい”
新しい年が明けて一ヶ月旧正月の月です。私が子供のころの母親の田舎では、旧正月を祝う名残りがあったように記憶しています。ハレの日にはお酒がつきものですが、ご他聞に漏れず、「どじょう」の名を冠したお酒もあります。いずれも島根県安来市近郊の蔵元の銘柄で、その名もずばりの焼酎「どじょうすくい」、日本酒「どじょう舞」があります。“そのうちに・・・”なんて思っているうちに飲み損ねてしまった、日本酒「どじょうのひげ酒」もありました。これはちょっと珍しく、鰌の燻製が付いていて、それを酒に浸してヒレ酒みたいな飲み方をするそうですが、その燻製を作る人が辞めてしまったとかで、残念ながら一昨年に幻の酒となりました。さて、「どじょう舞」のラベル口上を少し紹介します。「水田に大量のドジョウを放流することにより、そのドジョウがプランクトンなどの餌を食べ、さらに肥料も生みだします。ドジョウが棲める自然環境の中で、ドジョウと共に育て上げた無農薬栽培米『どじょう米(五百万石)』を使用し、醸した米の旨みがたっぷり詰まった純米酒です」。
おめでたいといえば、昨年10月に赤坂プリンスホテルで長寿祝賀会がおこなわれました。昨年11月に97歳になった茨城県笠間市にお住まいのOさんが主役です。なにせ、“どじょうすくい”を始めたのが86才頃からというのですから、とても並じゃありません。同居の長男氏が言うには“農業を80歳台でやめてからあれこれ始めた”そうです。ハーモニカも同じ頃始めて、現在もメリハリのある演奏を聴かせます。奥さんは二つ違いで、共に長寿とは、自然の緑豊かな環境の中で、農作業で鍛えられた身体と、新鮮な食物、その他にも生活上の秘訣がありそうですが・・・。とにかく、前向き一直線なのです。ちなみに、お生まれは、大正1年11月11日で、これまた「1」の五並びのめでたさです。なかなか洒落たご両親だったことがうかがえます。

 

2010.3
どじょっこ雑記(16)                  中村英生

〜始まるNHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」は“どじょうすくい”の町出身!
今年、前期のNHKの連続朝ドラ「ゲゲゲの女房」(武良布枝著)原作の放映がまもなく始まります。“水木しげる”は鳥取県の境港市出身、女房殿は島根県安来市、“安来節・どじょうすくい”の町の出身です。私は、“水木しげる”の故郷、妖怪の街・境港まで足を伸ばしたこともありませんが、今回の朝ドラは私にとって楽しみな朝ドラです。そして、映画化も昨秋クランクインし今夏公開される予定で、私の師匠が映画撮影での「どじょうすくい」演技指導もあり楽しみが増します。この機を生かしてさらに全国的に知られることで、安来市行政もその波及効果に期待し、町をあげての観光キャンペーンは一段と熱が入ってきています。安来駅前から足立美術館行きの無料シャトルバスに乗ると、足立美術館、安来節演芸館、健康ランド、食事処、土産店などが在る場所に着きます。足立美術館は、横山大観等の近代巨匠の日本画と美術品の展示、そして米国の日本庭園の専門誌評価で日本一美しいとされている日本庭園が併設さています。近くの安来節演芸館では安来節の各種演技や芝居などが観られます。数年前から、
どじょう料理なども盛んになり、“どじょう弁当”が数量及び販売期間限定で、2年ほど前から安来駅構内の「観光交流プラザ」で売られています。創作した若い料理人は東京の有名な老舗で“どぜう料理”を修行したそうです。彼らがいくつか作って選ばれ店頭に並んだだけに、「安来武士弁当」「どじょっ娘弁当」の2種類の駅弁は、ホント美味しッのです! 蒲焼きや天ムスなどのどじょう料理が詰められていますが、“どじょう”を全く感じさせない駅弁です。「どじょう弁当」は、北陸の金沢駅でも売られていたことがあるようですが、今は全国でも安来駅だけです。また、安来駅改札出口前には「掬う小僧」、鰌の水槽が設けられています。数年前からは、キャラクター「あらエッサ君」も登場して観光に一役担い、駅前ロータリーにはオブジェなども作られ意気盛んです。
安来の町は、「掬う」が「救う」に通じて、昔から事件などは、ほとんどないと言われています。

 


2010.4
どじょっこ雑記(17) 中村英生

“泥鰌の和助”と“鼠小僧次郎吉”
昨年3月に浅草台東区生涯学習センター劇場で、ある津軽三味線・民謡会の発表会に応援出演しました。
その一階に池波正太郎記念文庫があり、初版本や資料等が納められていました。後日、私の地元の図書館でついでにと思って、「鬼平犯科帳」シリーズの文庫本をペラペラ拾い読みして、第26編の「泥鰌の和助始末」が目にとまりました。それが縁で岡本一平著「どじょう地獄」、東海林さだお著「どぜうの丸かじり」などを知ることとなりました。「どぜうの丸かじり」では、ウナギ・アナゴ・ドジョウは3兄弟と云われていることも紹介しています。
「泥鰌の和助始末」。腕のいい大工職人の和助は盗人ですが、その忍び込む技は、実に見事に音ひとつ立てずに蔵を空にします。和助は自分が関わった屋敷や商家の新築や改築の時、来るべきその日のためにスルスルッと潜入しやすい細工をしておくというのです。盗まれても蔵には鍵がかかっているので、家人も安心してなかなか気づかない、どんな狭いとこでも入る細く小さな泥鰌のようだと、その腕を人呼んで「泥鰌の和助」。
今年1月のA新聞の天声人語で合格祈願の話がありました。その中で、「・・・隅田川を渡った回向院には、あの鼠小僧次郎吉の墓がある。どんな屋敷へもするりと入った伝にあやかろうと参拝が絶えない。・・・」は、あらためて“泥鰌の和助”と似ている話だな・・・と。実際、鼠はどこから入ってくるのか見事に進入してしまう困りものです。義賊?として親しまれた鼠小僧次郎吉の墓には、「俗名中村次良吉」とあります。人呼んで「鼠小僧次郎吉」の姓は、「中村」だったんですね。どういうわけかすぐ隣に、「猫の恩返し」由縁の「猫塚」があります。2月のある日に受験生らしき男子3〜4人が、「次良吉」の墓の前にある「お前立ち」と呼ばれる石をガリガリ削って、粉をポリ袋に入れて持ち帰っていましたが、するりと通って(合格して)いればめでたいことですがどうなったのでしょう。

 

2010.5
どじょっこ雑記(18)          中村英生

〜銀座・花椿通りの出雲椿〜
昨年10月、民謡安来節にも唄われる出雲大社へ立ち寄って初めて参詣しました。参道沿いには「ぜんざい」の看板も目立ちます。集まった諸国の神様に供えた「“神在(じんざい)餅”がゼンザイ」となったとの説もあり、出雲そばと共に名物だということも知りました。11月は神様が出身地元へ帰るので、異称で「神帰り月」とも・・・。
ところで、東京・銀座7丁目と8丁目の境に「花椿通り」があり、ここは出雲と縁ある地です。通りの花椿の時季は既に過ぎ、ハナミズキの白い花の見頃ですが、椿屋珈琲店の見開き名刺カードにはミニ説明が記されています。
「“花椿”という名前のルーツは遠く慶長年間に遡ります。この一帯が当時出雲町と呼ばれる出雲藩の受領地であったことで、以前はこの通りを出雲通りと呼んでいました(昭和10年頃)。その頃から街路にツバキが植えられ、これを出雲椿と呼んで親しまれてきましたが、いつの頃からか、この通りは“花椿通り”という愛称で呼ばれるようになり、今ではすっかり定着してきました・・・」。たしかに、街路の花椿にはプレートが付いて、「ヤブツバキ(イズモツバキ)〜このヤブツバキは平成4年6月出雲市より寄贈されたもので『イズモツバキ』と命名され親しまれています(東京銀座ライオンズクラブ」と書かれています。花椿は八本ですが、このプレートが付いているのは六本です。二本は「イズモツバキ ツバキ科」としか書かれていない茶色のプレートです。どうしたことでしょう。
中央区から出雲市へ「銀座の柳」が10本贈られたりして睦まじく、長い歴史の中で交流が現在も続いていますが、
昭和通りに架かるX字形歩道橋「銀座ときめき橋」にも交流を示す碑があります。
また銀座7丁目歩道沿いには花椿通りのシンボルである、椿の花を手にした乙女「はな」(茂木弘行作)の像があります。そして、「銀座の柳四世」(中央区役所)の小さな立札で、それと知られる幼い一本もあります。歌にも歌われる「銀座の柳」ですが、「柳の下のドジョウ」に絡んだ縁話はないのが残念です。

 

2010.6
どじょっこ雑記(19)              中村英生

えッ! 保育園でどじょう掬い?
昨年4月、初めて「“どじょう掬い”を保育園でやってほしい」と頼まれました。思わず「えッ、保育園?!」。ちょっと困ったなと思いましたが、「子育て支援だ!」などと勝手な解釈をして引き受けました。4〜5歳位の子供に分かってもらうには?・・・で考えました。結論のコンセプトは「一緒に遊んじゃおうか」でした。そこで「保育園バージョン」の演出レジュメを作りました、最初は「どんぐりころころ」を、先生指導による園児の合唱で始まりです。この歌詞のなかで「♪ドジョウが出てきてこんにちは・・・♪」があります。先生が言うか、私が言うかはTPOですが、「歌のなかでドジョウが出てきましたね。ドジョウは田んぼや小川にいます。田んぼはお米が採れるところです。今日はドジョウ捕りの上手なオジサンに、捕まえ方を踊りで見せてもらいましょう〜上手に捕まえられるかなぁ」などと・・・。なかには鰌を飼っている子もいて、意外に・・・ほとんどの子供が知っていました。そして、時々しゃべりながら踊ることにしました。例えば「今日はいい天気だな、ドジョウでも捕りに行くか・・・」「おおッ、いたッ!」「しまったッ、逃がしたッ」などと、多少園児に動作の意味が分かるように・・・。顔には口ひげを描いて、ゴム製のドジョウを使ったり、リアル性を加えて・・・。終わって、「ドジョウ見せてぇ〜」と囲まれて、キャアキャアの大騒ぎなりました。やはり踊りはどうでもよかったのですが、子供たちと遊べたことだけで愉しい時間でした。そして、少しは田んぼや小川のことを想ってくれたかな・・・で十分でした。
さて、数年前の失敗談です。普段の踊りの出だしは、ザルを被って中腰でピョコピョコ歩いてステージへ出ていきます。ところが、踊りの途中で被っているはずのザルがない・・・止めるわけのもいかず、「オーイ、ザルを忘れたぞ〜持ってこいよ〜」で、置き忘れた廊下から持ってきてもらったことがありました。持って来てくれた人も
「あいよ〜」となかなかの役者ぶりでした。こんな冷や汗がでる想いもありました。

 

2010.7
どじょっこ雑記(20)  中村英生

「ゲゲゲの女房」「RAILWAYS(レイルウエイズ)」そして「鉄道時計ものがたり」へ
「どじょっこ雑記16」でNHK朝ドラ“ゲゲゲの女房”放映の予告話をしました。物語は順調に進んでいますが、その後民放も含めて特番を組んだりしています。NHKは特別で、「鶴瓶の家族で乾杯!」でも連続して安来の町が紹介され、最近の「クエスタ」番組には“ゲゲゲの女房”本人が出演していました。また雑誌や関連本も出て賑わしく、しばらくはブームが続くことでしょう。安来節の唄の中には、「出雲・・・」の名が、いくつかの歌詞として出てきます。その出雲大社に向かうアクセスの一つとして、JR出雲市駅すぐからの「一畑電車」があります。2両編成のミニ路線で乗客も多いとはいえず、私が乗った電車も閑散としたものでした。
この電車部門も傘下にする一畑電鉄鰍ノ勤めながら安来節を猛勉強して、ついに名人位まで達し見事に二つ目の人生を送っている人もいます。そして、いま公開中の映画「RAILWAYS」は、未来を約束されたサラリーマンが、49歳で転職した物語です。就活で悩む娘、ハーブの店をオープンした妻、会社仕事一筋の夫・・・微妙な家族関係の中での、突然の転職・・・ホントに自分がやりたかったのはなにか?・・・それが子供の頃夢見た「一畑電車の運転手」だったのです。東京の京王電鉄鰍ェ「運転士養成研修」を引き受け、また車両の一部も譲渡されていたことを、この映画で知りました。次回ゆったりと乗ってみたくなりました。劇中、電車を安全に時刻どおりに運行することの大事さも映し出されます。電車が時刻どおりに発着する共通認識を保証する重要な道具の一つが「鉄道時計」です。
近くの本屋で偶然に新刊「鉄道時計ものがたり」を手にしました。かつて、鉄道時計の生産技術の一部にも携わったこともあり、鉄道運行ダイヤグラムが簡略的にマスプロ生産計画進度表に応用されていたことを思い出しました。
巡りきたる縁を想います。

 

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