サラ文・展望台(2005年9月)

“顔つきと打ち水”――これは失われつつある心とことば--?。
あるコラムに最近、日本人の表情やしぐさが下品になってきた、テレビをつけると下劣で野卑な表情やしぐさがまったく多い(飛び込んでくる)と著名人が怒っているという。
明治や昭和の戦前では東京の街は汚いが年寄も子供もみんな楽しそうな顔つきをしていた。老人も他の国の老人に比べて気品があった。太るどころか反対に細くなっていく体。継ぎ当たった破れ着物を身にまとっても品性つつましく姿に風情があった。
これがいつのまにか変わってしまった。でも、同じテレビでも福祉の番組に出てくる長寿者、障害者は一様に楽しそうな顔つき、穏やかな雰囲気をもっている。これは現代の欲望と競争の社会から距離を置いた人たちは、かつての日本人の心で生きているからではないだろうか。試しにこの人たちと顔をみつめあい語りあってみたらどうだろうか?
また子供のころ、夏の暑い日の夕方、バケツに汲んだ水を柄杓で玄関先に打ち水をすると、暑さにダレきった体が息をつき、精気を取り戻す。そしてスイカを頬張って種を思い切り飛ばした。アスファルト舗装の今日ではその放射熱でちょっとやそっとの打ち水では焼け石に水。この“打ち水”はもはや死語か。“立秋”ということばも何か季節感が実感として沸いてこない。今年のヒット語である“クールビズ”も“衣替え”に置き換えられるか。
サラ文の会員は本当にいろいろな趣味を持ち、こだわりを持った人が多い。どんな環境、時代でもイキイキとしているのがサラ文の仲間の特徴ではないだろうか、またそうでありたいと思う。

        サラ文 幹事 市川武弘
         (参考コラム:日経Masters)

ichikawa

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