サラ文・展望台(2011年4月)

 歌手の故藤山一郎は、NHKの年末番組「紅白歌合戦」でエンディングに歌う『蛍の光』の冒頭部分を歌わなかったということをご存知でしょうか。本人は指揮のタクトを振っているのですが途中から歌いだすのです。生放送のエンディングの為時間の都合で、途中で終ったり放映されなかったりで確認するのはなかなか難しく、今となっては過去の話になってしまいました。では何故冒頭の部分を歌わなかったのでしょうか。
私の愚かな知識によると、藤山一郎という人は発音についてもうるさかったようで『青い山脈』を奈良光枝とデュエットでレコーディングはしたものの、奈良光枝の歌詞の発音がはっきりしないのが気に入らずステージで『青い山脈』を歌うときは一緒に出るのを嫌がったそうです。アクセントについても同様で、話し言葉のアクセントと曲の旋律が違っているのは納得いかなかったようです。『蛍の光』はスコットランド民謡に歌詞をつけた為、冒頭部分のホタルのアクセントが話し言葉と違っていたのです。その部分を別の歌詞にして歌いたいと申し出たのですが認められませんでした。それで冒頭部分は口を噤んでいたそうです。
そんな人ですから私の青春時代(1970年頃)に流行った『戦争を知らない子供たち』は論外だったようです。何故ならこの歌の冒頭<戦争が終って僕らは生まれた>のセンソウのアクセントは違うし <センソウ ガオワッテ  ボクラ ハウマレタ>
と歌うので許せなかったようです。私と同世代の当時の若者としては既成の概念に反発して敢えてそういう風にしていたような気もするのですが・・・。

 

という私も結構アクセントは気になるほうで、電車の車内アナウンスで「優先席はお年寄りや体の不自由な人にお譲りください」と 言っている【不自由】のアクセントが気になって仕方がない。そのアナウンスを聴くたびに“それ違う!”と心の中で叫びながらも、 “それっておかしくねエ”と今の若者のアクセント風に、ナニゲに考えている自分がいる・・・。

 
太田アキラ 事 古好亭志んー
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