サラ文・展望台(2008年12月)

 私の住まいの近くに千川上水があり、上流には玉川上水が流れている。その玉川上水辺りを散歩していて不思議に思うことがある。ここで太宰治が入水自殺をしたという。水深はせいぜい膝辺りから腰の辺迄にしか見えない。当時(昭和23年頃)はもっと水量が豊富だったのだろうか。きっとそうに違いない。それでなければ、こんな処に入水しようなどと思いつく訳がない。いや、文豪といえる人は私のような凡人には理解できない発想をしそうなので水の量は関係ないのかもしれない。水がこんなに少なかったら、うつ伏せにならならなければならない。泳げる人だったら思わず泳いでしまうのではないだろうか。太宰治は泳げなかったのだろうか。一緒に死んだ山崎富栄は??…… こんなことを考えながら、ぶらぶら歩いている私はちょっと変???

 ところで、この玉川上水はご存知の通り玉川兄弟によって承応2年(1653)に完成している。徳川四代将軍家綱の時代である。兄弟の名は庄右衛門と清右衛門というが、苗字の玉川は、その功績により幕府から与えられ、子孫は代々庄右衛門と清右衛門と称したと云う。距離は、羽村の取水口から四谷の大木戸まで約13里(52km)あり、時速5kmで歩いたとしても10時間以上はかかる。羽村には兄弟の銅像が建立されているので、興味のある方は、そこから四谷まで歩いてみるのも良いかもしれない。(もちろん走っても構わない)

 さて、以上の知識を基にして問題です。

〈問題〉この玉川上水の工事は着工から完成まで

どのくらいの期間を要したでしょうか

答えは、年末の飲み会の話題にでもして推理してみたらいかがでしょう・・・。

 

太田アキラこと 古好亭志ん