どじょっこ雑記(8)
他にも民話が・・・、岐阜県関市のある地域にもありました。いうまでもなく、刃物生産が有名で、「関の刃物」としてのブランドを持つ街です。年一回の刃物まつりも開かれています。日本刀の鍛錬場も観光スポットとして存在するということなので、もしかしたら材料となる玉鋼(たたら製鉄)で、古くから山陰・島根県、とくに安来の街とも往来があり、安来節そして「どじょうすくい」などと関係ある話はないのだろうか。そんな多少の期待をもって、問い合わせたところ「さあ、聞いてませんね〜」と、やや寒(さぶ)いお応えのように感じたので、「そちらは寒(さぶ)いんですか」などと、あわやつまらぬことをいうとこでした。安来市でも毎年「やすぎ刃物まつり」が開かれています。安来の名をとった「ヤスキ鋼」があるくらいで、多くの職人さんが全国からやってきて賑わう刃物まつりです。さて、関市に伝わる民話「仏のどじょう」です。
「入江のように山の中へ入り込んだ田んぼには、“○○洞”と田んぼを作った人の名前がつけられていた。“じんねさ洞”の向かいに底なし沼があった。ある日、お百姓さんが沼の傍で休もうとして、過って石につまづき沼に落ちてしまった。お百姓さんは、助けてエ〜と叫んだが、とうとう笠だけが蓋のように残って沼に沈んでしまった。村人は“笠ぶた”と呼んで恐れていたけれど、“昨日は吾作どんが落ちた”、“今日は権六どんが…”と沼に落ちる人が絶えなかった。村人たちが相談し、近くにあった大岩で沼をふさぐことにして、綱を掛けて皆で引張った。しかし、もうちょっとの所まできて、大岩はまったく動かなくなってしまった。これを見ていたお寺の和尚さんが“どうした事かの〜”と岩の上を覗いた。すると岩のてっぺんの窪みに、どじょうが数匹泳いでいた。和尚さんは“村の衆や、これは仏様のお使いじゃ、仏様も手伝ってくれている、もう少しじゃ”と励ました。村人たちは再び力を合わせ、やっと大岩で沼をふさぐことができた。村人たちは、そのどじょうを“仏様のお使いじゃから、大切にしなくちゃ〜”といって、近くのきれいな谷川に放してやった…」と。この話は、“わかるまで”池村兼武著、“関の民話”旭丘小PTA編を参考文献として公開されている民話、「仏のどじょう」の要約です。
中村英生
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